第9話 魔軍生還者(改稿)

「ウェイン、いるか?」


 グレンの言葉に応じて出て来たのは、グレンよりずっと年齢が上に見えた。


「ああ、兄さん。客ってのは?」

「こっちのカイって御仁だ。イルツに話が聞きたいらしい。リーグ王国から来たそうだ」

「そりゃあまた遠くから。まあ上がってくれ」


 促されて、カイは戸惑いつつも家に入る。


(兄と弟が……逆じゃないのか?)


 ウェインと呼ばれた方は、どう見ても七十以上という年齢だ。

 だが、グレンを『兄』と呼んだという事は、彼の方が弟なのだろう。


(魔王の影響の可能性はあるとしても――個人差なんだろうか)


 カイはいわゆるリビングに相当する場所に通される。


「俺はウェイン。奇妙に見えるだろうが、グレン兄貴の弟だ。なんか俺の方が早く老け込んでしまってな」


 そういうと、彼は水差しから水をコップに注いで、カイの前にも置く。


「で……イルツに会いに来たのか」

「ああ。俺はリーグ王国から来た。魔王軍の影響を調べにな。で、魔軍から戻った者がいると聞いたので来たんだ」

「そうか……まあ、話が出来ればいいんだが……来てくれ」


 そういってウェインは家の奥に案内する。

 風通しのためか、部屋に扉はなく、布が欠けられているだけだ。


「イルツ、入るぞ」

「……父さん」


 部屋の窓は開け放たれ、光が差し込んでいる。

 この地域は窓にガラスはなく、鎧戸をはめ込むようになっているが、今は完全に開いていた。なので、外の眩しい光が差し込んでいて、さながら南国のリゾートのようだ、と思ったのはカイの中にある記憶の方か。


 部屋にあるのはベッドと小さな机だけ。

 そしてベッドから体を起こしたのは、カイよりも年下だと思える少年だった。


「息子のイルツだ。こんななりだが、今年で四十八歳になる」

「なっ……」


 魔軍に取り込まれた者が年を取らなくなるというのは聞いていた。

 とはいえ、実際に目の当たりにするとその驚きはまた違う。

 魔軍は揃いの鎧兜を身に着けているので、その素顔を見ることはなかったのだが、あるいはあの戦った兵士の下には、このような少年たちの顔があったのかと思うと、少し心が痛む。


「といっても、魔軍に入ってからの記憶はほとんどないみたいでな。だからそういう意味じゃ、あんたより年下くらいかもだ」


 魔王ルドリアが死んだことで、彼らはその支配から解放されたはずだが、実際に正気を取り戻せたケースは非常に少なかった。

 魔王打倒後、最初に行ったのは膨大な数の死体の処理だったくらいである。

 ごく少数生きている者たちはいたが、少なくともカイが記憶する限り、元通りに回復した者はいない。大抵はその後死んでいる。

 このイルツという少年にしたところで、元通りとは言えないだろう。それでも、自分の家にいるだけマシかもしれないが、だとしてもまっとうな生活を送れているとは思えない。


「話を……聞けるだろうか、イルツ殿」

「あんたは……?」

「俺はカイ・バルテス。魔法使いメイジだ」


 厳密には魔法はほとんどの人が使う力だが、その中でも魔法を得意とする者が、特に魔法使いメイジと名乗る。

 魔法使いメイジといった場合、大抵は一般の人より遥かに魔法の扱いに長けている者であり、多様な魔法を使える存在だと認識されている。

 ただ、そう名乗れるほどの力の持ち主は非常に少なく、数万人に一人というレベルだ。


 魔軍に取り込まれた者達が脅威とされたのは、たとえ資質がどうあろうが、ことごとくを魔法使いメイジと名乗るに相応しいほどの力を揮えるようにした、という点があった。

 その上肉体も強靭で、しかも休みなく動き続けるというのだから、普通の人間の軍隊が勝てるはずがない。


「あ……うん、どっかで聞いたこと……ある気もするが」

「よくある名前だからな。話は出来そうだろうか?」


 そう言いながら、彼の父であるウェインを振り返ると、彼も頷いてくれた。どうやら今日は調子がいいらしい。


「俺に……答えらえること、なら」

「魔軍時代のことを、何でもいいから覚えてることを教えてくれないだろうか。どんな些細な事でもいい」


 するとイルツはゆっくりと横に首を振る。


「ない……んだ。まるで夢だったような、現実感のない漠然とした記憶しかない。あの日……魔王ルドリアに従うしかないと諦めた俺たちが、ルドリアの前に立った……覚えてるのはそこまで、なんだ」


 そういうと、呆然とした様子でイルツは窓の外を見る。


「多分……何か見たりしてたとは思うんだが、まるで夢の中のような感じで。ただ、とんでもなく強い魔力が体を巡ってるとは……思った。明確に自分を認識できたのは……つい最近だ。周りに仲間がみんな倒れてて……魔王が死んだと知ったのはその数日後だった」

「どこで気付いたんだ?」

「この街だ。どこをどう歩いてきたのか俺もよくわからないが、気付いたらこの街の入口にいた……のだと思う。多分だけど」


 実際、イルツは消耗がひどく、街の人がすぐ見つけてくれなければ餓死していたというのは、ウェインが教えてくれた。

 実際、他の地域ではそうやって死んでしまった魔軍兵士もいたのかもしれない。

 そう考えると、魔王を倒して終わりというほど簡単な話だったわけではないことを改めて痛感し、カイとしては自分の力不足を嘆きたくもなってしまう。


「魔軍だった時のことは、あまり覚えていないんだ。ただ……そういえば、定期的にどっかに行っていた記憶はあるんだ」

「どっか?」

「ええ。ぼんやりと覚えてる程度だけど、定期的に何かを持って行っていた記憶がある。ここからさらに北の方だったと思うが……コーエンの街の外れあたりだと思う」

「コーエンの街?」

「ぼんやり覚えてる、俺がいた街だ。ここからさらに北の方なんだが」


 カイも知らない街だったので、話を聞いてみるとここからさらに歩いて二十日近くかかる内陸の街らしい。

 話によると、そこでウェインの他何人かが、食糧生産を行っていたという。


「食料生産?」

「ああ。野菜作ったり、狩をしたりだな。何のためにとか聞かないでくれ。俺にも分からない」


 魔軍兵士は食料を必要としない。

 そのはずだ。つまり、食料はそれ以外の存在のために作っていたと考えられる。

 どこかに届けていたというのも食料だろう。


 彼がそんなことをしていたということは、間違いなくルドリアが命じたことだろう。そしてそれは、魔王になる前のルドリアではなく、魔王ルドリアが命じたこと。それが一体なんであるのか、それを知ることは魔王を知るための一助になりそうだ。


「これ以上は分からない。全然思い出せないというか……記憶することすらしてなかったんじゃないかと思うくらいだ。俺が生き残れた理由も、よくわからないからな」


 多分だが、彼が生き残れた理由については、カイは見当がついた。

 自分ほどではないが、見た限りではイルツの魔力量マナプールは破格に多い。

 先ほど、『体の中を強い魔力が巡っていた』ということから、おそらく魔軍の兵士は魔王によって膨大な魔力を与えられて、その力によって大幅に、そしてありえないほどに身体能力を強化しているのだろう。

 おそらくは、体の維持にすらその魔力は使われている。

 その供給源たる魔王がいなくなれば、魔力によって無理やり強化された反動が来ることになるのだ。

 その際に、本来持っている魔力が多い場合は、その反動が小さいのだろう。


「わかった。ありがとう、話を聞かせてくれて」


 カイは深く礼をして、それから心ばかりの謝礼を置いていこうとしたが、それはウェインにやんわりと拒否された。


「俺らはそこまで困っちゃいない。息子が生きて戻ってきてくれてるだけでも、俺には嬉しいし恵まれてると日々思ってるんだ。女神イークスも、人が助け合うことを望んでるというしな。あんたの援けを必要としてる人は、多分他にいる」

「……そうか。すごいな、あんたたちは」

「何がだ?」

「いや、何でもない。話を聞かせてくれてありがとう」


 謝礼を受け取ること自体に罪悪感を抱く必要のある場面ではない。

 実際生活がそれほど潤ってるわけでもないと思う。

 それでも、そうやって他者を思いやることができる彼らに、カイは改めて敬意を覚えた。


(こんな人が住む街で育ったルドリアが……なぜ)


 魔王ルドリアの容赦のなさは、実際すさまじかったと聞く。

 カイの出身地でもある、大陸南東部に浮かぶタスニア島の対岸、リーグ王国と並ぶ勢力を持っていたアルヴィル王国は、魔王ルドリアと徹底抗戦の道を選んだ。

 その結果、アルヴィル王国は完全に滅亡し、その王都であるメルビルは、文字通り焦土となって現在では人が全く住まない場所になっている。

 かつては数十万人が住んでいたとされるのに関わらず、だ。

 今では街にいくつかある神の刻報機ディバインクロックが、むなしくその名残を伝えるだけの荒地になっている。


 このあまりの容赦のなさと、この街でのルドリアの印象はまるで重ならない。

 無論故郷だからというのはあるにしても、ここまで違うというのはさすがに両極端過ぎる気がする。


(魔王とはいったい……何なんだ)


 ウェインの家を辞したカイは、その何とも言えない疑問を抱きつつ、もう少し情報がないか、街を巡るのだった。

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