第8話 魔王ルドリアの素顔
教えられた東海岸地区のカルベール通りはすぐにわかった。
レンガ造りの家屋が並ぶ、南国の気配――この感覚は新条司のそれだが――が漂う地域だ。
この辺りは海からの風が比較的強い。そのため壁は塩害対策だろうか、漆喰が塗られている建物が多い。
ただ、意外なほど人は住んでいる印象だ。
「本当に人が多いんだな……」
魔軍への取り込みの対象は基本的に男性だ。
対象は主に主に十代後半から三十代くらいまで。
つまり働き手となる人間がほぼ根こそぎ持っていかれることになる。
少なくとも、シドニスではそうだった。
意外に残る男性も多いが、大抵の場合は体の弱い者だ。
だから、戦後まずやらなければならなかったことが、周辺地域から人々の移住を促すことで、それには王家が蓄積していた財が使われた。
貴族たちは自領の民の被害に対する補填が必要とかでほとんど金を出さなかったからである。
幸いだったのは、魔王は金銀財宝には興味がなかったのか、王家のそれはほぼ手つかずだったことだろう。
ただ、それに比べるとこの街は人が多い。
確かにルドリアが誕生したのは三十年以上前。
当時の対象年齢の人々が魔軍に取り込まれたとしても、その後子供達が大きくなっていれば、ある程度は補充される。
ただその場合でも、四十代後半から六十代はほとんどいないと思ったが、そういうわけでもないらしい。
「意外に……魔軍に徴用されなかった者もいたのか……?」
通りには何人か人が歩いているが、総じて若い人が多いが、いないと思っていた世代も思ったよりいる。
カイはそのうちの一人に声を書けることにした。
年齢的には五十歳のくらいか。日焼けした肌が普段から陽光を浴びる仕事をしていると分かる。おそらくは漁師か。
「すまない。この辺りに魔軍からの帰還者がいると聞いたのだが、知らないだろうか」
「なんだ、あんたは」
「俺はリーグ王国から来た。魔王の調査をしている者だ」
「王国から? ……なるほど。倒した後のケアもしてくれるんかね」
「そこは……確約は出来ない。ただ、魔軍から解放された人間で、自分の家に戻れた者がいると聞いてな。話を聞ければと思っているんだが」
この言い回しだと、確実に王命を受けていると勘違いされるだろうが、その方が都合がいいため、カイは訂正する気はない。
果たして勘違いしたかどうかは分からないが、男性はグレンと名乗り、こっちだ、と言って歩き出した。道案内をしてくれるらしい。
「まあ生還したのはいいが……ひどく怯えるようになっちまってな。話がまともにできるかは保証できんぞ。元は腕のいい漁師だったんだが」
「……もしかして、親類か?」
「ああ。甥っ子だ」
言ってから、ふと奇妙なことに気付いた。
魔王が現れたのは三十年余り前。つまり、目の前の人物はその当時二十歳程度だったはずだが――。
「あんたは、魔軍に取り込まれなかったのか?」
「ん? ああ、なるほど。兄ちゃん、俺が何歳に見える?」
「……五十歳くらいかと思うが……」
「外れだ。俺は八十歳だよ」
「は!?」
さすがに驚愕した。
二十一世紀の記憶でも、八十歳といえば相当な高齢で、とてもではないがこれほど若々しいはずはない。
というか、『新条司』が死んだのが五十歳。記憶してる彼の姿より、若々しいと思えるほどだ。
「俺も不思議なんだがな。魔王の影響とも言われてるが……このあたりの老人は元気なんだよ。まあ、さすがに老け込み始めると早いが」
「この町の人間、全員あんたみたいなのか?」
「全員ってことはないが、魔王が現れた後から、俺みたいに年食っても元気ってやつは多かったな。まあだから、若い衆が連れていかれても生活が維持できたんだが。これはこのケーズだけらしいが、これはかなり大きかったな」
これではまるで、魔王が生活を維持するために人々に力を与えたようにすら思える。
人類の敵対者ともされる魔王が、だ。
「まあ、俺からすればルドリアならそれほど不思議でもないというか……ルドリアはこの街を愛してたからな」
「ルドリアを知ってるのか?」
「ああ。ルドリアは近所に住んでいた娘だったんだ」
まさかいきなりルドリアを直接知る人物に会えるとは思わなかった。
「ルドリアとはどういう人物だったんだ?」
「どういう……と言われてもなぁ。普通の娘だったと思う。親思いで、優しい娘でな。魔法が得意で、俺とかが怪我したら、すぐ治してくれたよ。誰に対しても優しくて、そしてこの街が大好きだといつも言っていた」
男が語る言葉から連想される女性と、大陸を混乱に陥れた魔王ルドリアは、まるで結びつかない。
ただ、魔法で怪我を治してくれたというのは驚きだ。
この世界、確かに魔法は一般的だが、同時に強力な使い手は多くない。
治癒魔法は高度な魔法の一つとされ、カイはもちろん使えるが、正直に言えばあとはラングディールとシャーラしか知らない。
地域にいる『魔法使い』を名乗る者でも、治癒魔法や戦いに使える魔法を使える人間など、滅多にいるものではない。
「そんなに魔法が得意だったのか?」
「ああ、とびぬけて魔法の才があった。近隣はもちろん、大陸でも彼女以上の存在はいないんじゃないかと思うくらいな」
果たしてどの程度だったのだろう、と思う。
カイの知る、破格ともいえる魔法の才を持つ存在といえば、勇者であり親友でもあるラングディールだ。
カイですら、並の人間の百倍ほどの
そんなラングディールだからこそ、なんとか魔王ルドリアを倒すことができたともいえる。
「ただ……魔王になる一年くらい前から、ちょっとずつ……言動がおかしくなっていた気はしたな」
「おかしく?」
「なんていうのかな。心根の優しい子だったはずが、時折ひどくきつい言葉を言うようになった。元々は動物が好きだったはずが、だんだん近づくのも嫌がるようになって、挙句魔法で攻撃したこともある」
それは確かに妙だ。
あるいは、魔王化というのは、いきなり始まるわけではないのかもしれない。
少しずつ何か――魔王と呼ばれる存在に乗っ取られていくのだろうか。
「正直彼女がいつ魔王になったのかは、俺もわからん。ある時からいなくなって――しばらくしてから魔王が誕生した、と聞いた」
「魔王が誕生したのはこの街と聞いていたが……」
「正確には少し違う。ルドリアの出身地だからそういわれているのだろうが、レンブレス自由都市群の中心であるタウビルの街で魔王と宣言し、一瞬で制圧したと聞いている」
タウビルの街はこのケーズから南に二百キロ余り行ったところにある大きな街だ。
魔王ルドリアに最初に降った街だと聞いていたが、そこで魔王だと宣言したという事か。
「その後ルドリアはレンブレス自由都市群を支配した。ただ、ケーズへの思い入れが残っていた……と俺は思ってるんだが、この街の扱いは他の都市に比べるとかなりマシだったらしい。まあそれでも、働き手はことごとく魔軍に連れていかれたわけだが――っと、ここだ」
グレンが立ち止まる。
白い漆喰で固められた家。この辺りではありきたりの家だった。
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