第6話 魔王が現れた地

 ケーズ。

 北東部に存在する都市で、都市自体は大河の河口にある。

 人口はリーグ王国の記録によると約五万人とあるが、それは魔王ルドリアがこの地を支配する前の記録だ。


 複雑な地形の河口付近は地盤が緩いのか、実際の都市の中心は少し離れた高台にある。二十一世紀であれば、土地を埋め立てて海辺に街を作ったのだろうが。


 都市は城壁に囲まれているという形ではない。

 南部のみ柵が存在するが、どちらかというと獣対策という感じだ。

 ケーズは大河によって区切られたエリアと海に挟まれた、さながら半島のようになった場所にある都市で、防備を固めるのは南側だけでいいのだ。

 それ以外は河と海に囲まれている、いわば天然の要害なのである。

 その半島めいた場所でも小さな川もあり、水に困ることもない場所だ。


 しかし。

 ここで三十年あまり前に、惨劇が起きた。

 魔王ルドリアがこの街に現れたのである。


「といってもなぁ……突然発生したわけではないだろうしなぁ」


 魔王ルドリアの出現は謎が多い。

 というかほとんど調査されていない。

 分かっているのは三十二年前、リーグ王国歴八一二年にこのケーズに現れたこと。その二年後にリーグ王国の王都シドニスを攻め滅ぼしたこと。

 そして、リーグ王国歴八四四年に討たれたこと。

 ルドリアを倒したのは勇者であるラングディールだが、文字通りただ戦っただけだ。

 魔王デモンロード勇者ブレイヴ

 互いに相容れない存在である以上、そこに交渉の余地はないと――カイも戦った時はそう思っていた。


 しかし実際に討ってから、その正体が気になってしまったのだ。

 それが、カイが出奔をするに至った理由の一つでもある。

 カイとしては、魔王というのが一体どのように表れたのかを知りたいと思い、この地を最初の目的地とした大きな理由の一つだ。

 三十年あまり前のこととはいえ、まだ当時を知る者が生きている可能性は十分にあるのではという期待があった。


「さて、当時を知る人がいてくれればいいが」


 魔王ルドリア出現後、この地の人々は魔王に支配された。


 魔王の能力の一つに、人間を魔軍の兵として組み込むという能力がある。

 ただの一般人であろうと、屈強な兵士へとその肉体を作り替え、さらに強力な魔術師にしてしまうのだ。

 もちろん、魔王には絶対服従だ。命すらなげうつ覚悟――というより、ほとんど自我がないかのように戦う兵士だった。

 これが魔王が大陸最大国家であるリーグ王国をも蹂躙できた理由でもある。


 対象になるのは、主に青年から壮年に当たる、主に男性。

 実際、そのほとんどが魔軍にしまっているはずだ。

 魔王が倒れたことにより元に戻る人もいるらしいが、ほとんどは過剰な力を与えられた反動でそのまま死ぬか、すぐ死ななくても動けないまま寝たきりになり、数週間から数ヶ月で死に至るケースが多いらしい。

 そういう人々からすれば、魔王を倒したラングディールは仇と言えるのかもしれないが。


 ただ、裏を返せば女性は多くが残されていたし、そうなれば当時を知る人は少なくはないはずだ。


 街に入ると、思ったより活気があった。

 時刻は朝の十時頃。

 朝市が終わるころではあるが、それでも思ったより賑わっている。


「オレンジをこの袋半分くらいくれないか」


 カイは商品が並ぶ屋台に適当に寄ると、持っていた袋を渡す。

 店はおそらく六十は超えているくらいの女性が立っている。

 売られているのは果実類が主。

 市は時間になったら解散し、彼女も家に戻るのだろうが、他に店員は見えず、つまり撤収は彼女一人でやることになるのだろう。

 果実は水分を多量に含み重く、屋台をたたむのだってかなりの重労働だ。


「あいよ。おや、珍しいね。あんたみたいに若い子は。ほれ、サービスしとくよ」


 渡された袋には半分より少し多くオレンジが入っている。

 提示された値段を見ると明らかに二個ほどサービスされてるようだ。


「ありがとう、店主。しかしやはり、俺のような年齢の男は少ないのか?」

「いないねぇ。みーんな魔軍に行っちまって……帰ってきてないよ。帰ってきたやつがいても、なんか心が抜け落ちたような状態だね」

「魔軍から帰ってきたのがいるのか?」


 魔王が討伐されてから一年あまり。

 魔軍は大陸各地に散っていたが、魔王討伐によって人々にかけられていた魔王の呪いともいうべき魔術は解除された。

 そして王都シドニスにいた元魔軍の兵で生きていた者は、全て王都の施療院などで治療されていた。だが、カイが王国を出る時点で確認した限り、生きていた者はいない。そもそもほとんどは魔王が死んだ時点で死んでしまったらしい。

 そもそも生きていたいっても、かろうじて『息をしてるだけ』というのが数人いた程度だったと思う。


「何人かいるよ。なんだあんた、気になるのかい?」

「ああ。俺はその、リーグ王国から魔王の影響の調査に来ていてね。ここがルドリアが最初に制圧した土地だと聞いたから来たんだ」


 一応、嘘は言っていない。

 意図的に誤解されるような言い方をしてるのは否定しないが。


「おやまあ。魔王を倒した勇者様の国からかい。そりゃまたはるばるようこそだ。そういう事なら、東海岸地区、カルベール通りのウィンスってやつの家を訪ねな。息子が帰ってきてるって言ってたからね」


 リーグ王国の名を出すことは多少リスクがあるかとは思ったが、どうやら魔王を倒してくれた勇者の国、という認識になってくれているようだ。


「それは助かる。あとそうだ。あんたの年齢なら……ルドリア現れた時のことを、何か知ってないか?」


 すると女性は怪訝そうな顔になる。


「……ルドリアが現れた……とはまた妙な言い回しだね。ルドリアが魔王になったことなら、まあ覚えちゃいるけどね」

「魔王に……『なった』?」

「ああ、そうだよ。ルドリアは三十年前に魔王に『なった』んだ。突然ね。それまではごく普通の、気立てのいい娘だったらしいよ」


 思わず唖然とした。

 魔王とは突然現れる存在だとばかり思っていた。

 何しろどう考えても人間とは思えなかったからだ。


「つまり、魔王ルドリアは、元は人間だったっていうのか?」

「そうだよ。……まああまり知られちゃいないのかね。ケーズの人間で知らん人はほとんどいないんだけどね」


 この世界の情報伝達手段は限られる。

 新条司の記憶の様に、遠く離れた場所でも一瞬で情報を伝える手段はほぼ存在しない。

 情報の伝達は基本的に人伝ひとづてだ。

 無論商人などの情報網というのは非常に優れていて、その速さも正確さもかなりのものであると分かってはいるが、魔王ルドリアが存在したことで、特に北東部は商人も長らく寄り付かない場所となっていた。


 もともと大陸北東部のレンブレス自由都市群はその中で自給自足できる体制が整っていたこと、さらに言えばケーズはレンブレス自由都市群の北限にあり、ここより北に豊かな穀倉地帯を抱えていたので無理に他と交易をする必要がないこと、さらには魔王出現の地ということで、魔王討伐後も敬遠され気味だったこともあり、情報が外に出ることはなかったのだろう。


「てことは、魔王ルドリアってのは元は……人間、だったってことか?」

「ああ、そうだよ。それがどうしてああなっちまったのかは……分からないけどね……」


 女性はそういうと、とても悲しそうな表情になった。

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