第54話 不問にするとしよう

 恭子きょうこに殺されるのなら本望だ。


 そう思って私は目をつぶった。


 そして包丁が振り下ろされて――


「……まったく……」男性の呆れたような声が聞こえてきた。「その場にとどまれと忠告しただろう……手間をかけさせる」

「……?」私は目を開けて、その人物を確認する。「……ねこ先輩……?」


 突然現れたねこ先輩が恭子きょうこの腕を掴んで包丁を止めていた。


 彼は汗だくで、大きく肩で息をしていた。よほどの勢いで走ってきたらしく、呼吸を乱していた。


 包丁を止められた恭子きょうこねこ先輩を見て、


「……黒猫先輩……邪魔しないでくださいよ。もう少しで終わったのに」

「自分を殺して終わりか?」


 そう……包丁の向きがおかしかった。


 ねこ先輩が包丁を止めたとき……その包丁は私に向かっていなかった。


 恭子きょうこは自分を刺そうとしていた。自分の腹部に向かって包丁を振り下ろしていた。


 寸前のところだった。服は切れていて……少し腹部から血が出ている。あと1秒でも遅ければ、その包丁は恭子きょうこの腹部に突き刺さっていただろう。


恭子きょうこ……なんで……?」


 なんで恭子きょうこは自分を刺そうとしたのだろう。目の前の私を殺せば、すべてが終わったのに。


「さて」ねこ先輩は恭子きょうこから包丁を奪い取って、「せっかくの機会だ。すべて明らかにしようか」


 すべて……


 このオンランに会議殺人事件のすべて。


 恭子きょうこ美築みつきと、私の人生を狂わせた事件のすべて。


 ねこ先輩は私を見て、


「僕の忠告を聞かずに動いたことは、まぁ不問にするとしよう。わかりやすい場所にいてくれたからね」

「……わかりやすいって……」

「キミが最期の場所を選ぶなら、ここしかないだろう」


 301号室。

 美築みつきが殺された場所。

 その場所で死ねるなら嬉しいと思った。美築みつきと同じ場所で死ねば、もしかしたら同じ場所に行けるかもしれないと思った。


 その思考を読まれていたらしい。だからねこ先輩はここに現れた。


 だから間に合った。私は美築みつきを助けられなかったけど、ねこ先輩は私を助けた。


 役者が違う。この人には、敵わない。


「しばらくの間、僕の推理を披露させてもらおう」先輩は息を整えながら、「キミたちが巻き込んだんだ。それくらい付き合ってもらうよ」


 巻き込んだ……


 そうだよな。ねこ先輩からすれば、完全に巻き込まれただけだよな。悪いことをしてしまった。


 ならこの推理は聞くしかないだろう。ここで推理を無視したら……さすがに先輩が不憫すぎる。


 それに……私も気になる。謎の内容はあんまり興味無いけれど……ねこ先輩VS恭子きょうこの知恵比べの結果が気になる。


 呼吸を整えてから、ねこ先輩はゆっくりと語り始めた。

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