第18話 絶対に振り返るなよ

 そうしてねこ先輩に連れられて、私は301号室周辺に戻ってきた。

 そこでねこ先輩は言う。


「それで、全員に片っ端から声をかけるつもりなのかい?」

「そのつもりですけど……」


 だからこそ、わざわざ朝から来た。


 それにしても……今日は天気の悪い日だった。ジメジメしているというか雷でも鳴り出しそうというか……なんとなく重い空気感だった。


 ……胸騒ぎがするな。気のせいだろうけど……ちょっとばかり不安だ。


「なら僕は――」言葉の途中で、ねこ先輩がなにかを見つけたようだった。「……」


 ……なんだろう。ねこ先輩が言葉をつまらせるのは珍しい。大抵は詰まることなくスラスラ話すのに……


 先輩はどこを見ているのだろう。先輩は私の後方を見ているが……そこになにかがあるのだろうか。


 何事かと思って振り返ろうとすると、


「動くな」ねこ先輩が低い声で。「絶対に振り返るなよ」

「……?」やはり私の背後になにかあるらしい。「な……どうしたんですか?」

「救急車を呼んでくれ。絶対に振り返らないように」


 それから先輩は私の隣をすり抜けて、どこかに向かっていった。


 ……301号室のほう、だよな。301号室に怪我人でも見つけたのだろうか。いや……その程度なら振り返ってはいけないなんて言わないよな……


 とにかく先輩に言われた通り救急車を呼ぶ。スマホを操作して大学の名前と301号室の場所を伝えた。


「せ、先輩……?」なぜか冷や汗が出てきた。「どうしたんですか……? なにか……」

「ちょっとまっててくれ。そっちのベンチにでも座っていたほうが良い」


 どうしても振り返ることは許してくれないようだった。

  

 ……とにかく嫌な予感がした。ねこ先輩の様子を見る限り緊急事態であることは明白だった。


 なにか、あったのだろうか。悪いことが、あったのだろうか。


 もしかして、誰かが…… 


「鍵がかかっているな」ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえる。「鍵をもらってくる。キミは食堂にでも行っておいてくれ」

「食堂って……」


 そのとき私は、振り返ってしまった。


 大した理由なんてない。ねこ先輩の声がしたほうに自然と体が回ってしまっただけ。言いつけを破ってやろうとか、そんな気持ちは一切なかった。


 そして……


 見た。


 見てしまった。


「え……?」


 あまりの衝撃に、思考がすべて飛んだ。頭が真っ白というのは、この状況のことを言うのだろう。


 301号室の窓……そこから室内が見えた。電気のついていない薄暗い室内が見えた。


 人間が、空中に浮かんでいた。

 

 首にはロープが巻き付いていた。


 それだけが私の視界のすべてだった。


「だから見るなと言っただろう」ねこ先輩がなにかを言っている。「キミには刺激が――」


 先輩が何を言っているのか理解できない。目の前の光景が衝撃的すぎて、なにも頭に入ってこない。


 あれは……だってあそこで首を吊っているのは……


 いや、そんなわけがない。そんなわけがない。だって……昨日だって電話で話したじゃないか。悩みは解決したって、言っていたじゃないか……


美築みつき……?」


 その言葉を発して、体温が急速に下がる。なのに頭だけは沸騰しそうなくらい熱くて、呼吸ができないくらい動揺していた。


 ……なんで……?


 なんで美築みつきが、首を吊っているの……?

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