ルンは何者
アマルタ=フェグニ=ナクエータは"ルン"を抱え、少しだけ早足で神殿に向かった。ルンの状態がわからないために振動をなるべく与えないようにという判断であった。
それにしても、とアマルタは未だかつて触ったことのない肌触りのルンを撫でながら思う。
この子は一体なんなのだろう。
雌雄もわからない。
かろうじて(今は光はないが)目のようなものはある。それにあのヴィジョンがあったから地下や海の生物では無いことはわかっている。
ヴィジョンは完璧ではない。必ずしも観たい場面を探れるわけではない。
その対象の深い思い、あるいはその対象に触れた者がそのとき見ていたものや考えていたこと、その状況自体が流れ込んでくるだけで、知りたいことに絞って探れるわけではない。
たとえば、ルンの母ーー箱状の母だと思われる者の思考を読み取ることが出来ればアマルタはこれほど悩むことはなかっただろう。
通常であれば、出産という場で最も思念が強いのは母であろう。それがたとえ明確な思考でなく痛みなどの感覚だったとしても、である。
しかしあの場での思念は驚くほど見えなかった。腹を割いてルンを取り上げていた男からもほとんどなにもなかった。唯一、母体を押さえていた女性からだけ少しあっただけだ。
陽の光がすべて神殿の入り口にむかってさしているかのように、そこは明るく神々しい。
アマルタの居住でもあるラリグニ神殿は数多ある神殿の中でも特別であった。
外観は、その特異性を考えるに少し地味であるといえよう。
派手好きで知られた前フェルナント王が建てたホルゾ神殿なぞは至る所に金で細工が施され宝石がちりばめられていた。
ラリグニ神殿は、見るからに建設費用がかかっているという富や権力を見せびらかすための造りとは全く異なっている。
強固な石灰岩の基礎の上に大理石でもって建てられていた。白く、気品のあるそのたたずまいは凡百の神殿と比べようもない。
その実、大理石はフェルナントの最東にあるレクへゼル山から切り出した最高級品であり、高浮かし彫りの
聖力に充ち満ちているために隠しようもないほど神々しく唯一であった。
アマルタは神の像に頭を垂れてから急ぎ処置室へと向かった。
「聖女様」
呼ばれ、振り返ってみると黒髪をきっちりと結い上げた長身の美丈夫、【聴】の神官アンスンがいた。
五感を名乗れる神官はごく一部で大部分は【指】と呼ばれる。
「いかがなされました。なにか……」
「アンスン、ちょうどよいところに」
アンスンの言葉を遮って、アマルタは腕の中のルンを見せた。
「この子の声は聴こえるかしら」
五感の神官たちはその呼び名を戴いている五感が特に鋭い。
見えぬものを視、
聞こえぬものを聴き、
香らぬものを嗅ぎ分け、
無味であろうとその舌には暴かれ、
触れば些細な変化も全て知ることが出来る
たとえほんの一部であろうとも神の五感を与えられた者たちである。
「これは……」
「ええ、わからないの。恐らくこの国……この世界のものでは無いと思うのです。名前がルンだということだけ……」
死に瀕しているのに救出する方法がわからない。
アマルタにとってそれは初めての経験である。
死者を甦らせることは出来ない。
それは世の理である。
しかしそれ以外のことは出来た。手をかざし、聖力を注ぎ込めばそれが生命の活力となり回復する。
それに、理から外れてしまうため禁忌ではあるが、アマルタが本気で願えば死者も甦るであろう。
「わかりました。尽力、いたします」
アンスンはアマルタからルンを受け取り、ゆっくりとその体を撫でた。その手を己が耳に当てる。
「どう?」
不安そうな聖女を見て、アンスンは静かに首を振った。
「彼の声は、聴こえません」
「しかし」
「聖女様がずっとその
ルンからはかすかに
「では、もしかしたら先ほどのように聖力を注ぎ続ければ」
いまだ不安の色をにじませながらも聖女はアンスンを見上げた。
「そのように存じます」
アンスンは静かに傅いた。
神殿内でもルンの正体は誰にもわからなかった。
アマルタは【指】の神官を纏める長、【体】の神官にルンを拾った経緯と、その際のヴィジョンを伝えた。
「どうやらルンはある家に仕えていたようです。その家で生まれ名を与えられ、その家の警備をしていたようです。私の視たヴィジョンでは何時間も動き回っていましたから。しかしある日主人の手によって殺められたようです」
長い白髭を撫でながら【体】の神官は怪訝に顔をゆがめた。
高齢のため彼は聖女の前でも揺り椅子に座ることを許されている。
揺れるたびに椅子はギ……と音を立てた。
「なにゆえに?」
もし曰く付きの者であるのなら神殿内においておきたくはない。彼の顔はそう物語っていた。
アマルタも椅子に腰掛けながら、必死に伝えた。このままでは瀕死にもかかわらずルンは追い出されてしまうかもしれない。
「それは私にもよくわかりませんでした。いつものように警備を終え、主人が帰ってくるのを待ち、迎えに行ったところ、彼らは怒り出しルンを地面に叩きつけたのです」
アマルタはルンを擁護し、とりあえず彼が元気になるまでは自分が面倒を見ると主張したが、猛反対に遭った。
「貴女は聖女なのです、アマルタ。一介の何者かもわからない
「でもルンは聖力を必要としています。私のように聖力をルンに注ぐことが出来るのならば私も何も言いません。私は、目の前で弱っているものを助けたいのです」
毅然とした態度で続ける。
「私は聖女なのです」
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