第23話 奈落の落とし穴

 涙々に続いてフルギミックタワーに入り、運春と命依は周囲に目を向ける。


 その異様さに、一番先に口を開いたのは運春だった。


「……なんだ? このビル。受け付けもなければな」


 目が痛くなるほどすべてが真っ白で覆われ、遠近感を失うような色彩に始まり、オフィスロビーにありがちなソファもテーブルも存在しない。


 とにかく一面の白、光、白、光。


「……これが別名フルギミックタワーだよ。このビルはゲームの予定が組まれる度に、内装どころかビルの構造自体が激変するんだ。

 家具の類や色が一切存在しないのは、ちょっとした予算削減の一環ってわけ」


 ここまで色がないと、模様替え一つとっても逆に困難ではないか、という常識は飲み込んだ。


 命依の言うことは疑わない、というのが運春がこのジオフロントに来たときの約束の一つだ。


 たまに忘れそうになるが、忘れていないときは順守する。


「構造自体が、なあ。あまりピンと来ないが。別名ってことは正式名称は別にあるんだろ? 本当はなんて言うんだ?」

「人間ぶっ殺しビルディング」

「帰らせてくれッ! 今すぐに!」

「嘘だよ。本当は句理原くりはら総合第二ビルディングっていう面白みのない名……前……」


 くだらない嘘で笑う命依は、しかしすぐに表情を凍らせて。やがて泡を食ったかのように慌てて周囲を見回した。


「あの女はどこ!?」

「は? 俺たちのすぐ前に——」


 いただろ、とその方向を見るが、消えていた。


 涙々の姿がどこにも見えない。


「……は!? おい、どこ行った!?」

『運春くん! 命依ちゃん!』

「うおわっ!?」


 足音もなく蒸発した涙々に慄然としていると、横からホログラフの瓜がいきなり現れた。


 前に見たのとは色違いの、黒色のバニースーツだ。


「死倒!? いきなり来るなよ、心臓に悪い!」

『涙々ちゃんはどこ!? トイレかなんかだよね! トイレかなんかだと言って!』

「え……い、いや。俺が知りたいくらいだけど。なんか……どっか行った」

『遅かったぁ! もう! もう! 今日担当するってわかってたら絶対に目を離さなかったのに!』

「死倒さん!」


 次に現れたのは、ホログラフではない実態のある黒服の男。口ぶりからすると、おそらく瓜の同僚のようだった。


「監視カメラにアクセスしたら見つけました! 何故か十階のあたりで迷ってます!」

『なんで!? スタッフオンリーって書いた札、置いたよね!?』

「置いてたんですが見えなかったみたいにフラフラと……」

『いや、いい! 聞きたくない! 早く捕まえて会場に連れてきて! また遅刻で虚無時間配信ミスとか許されないから!』

「もちろんです! 既にスタッフを挟み撃ち状に……あれ!? 今度は十二階にいる!?」

『ああ、もう! 毎度毎度!』


 ——そういえば、初めて見たときも迷ってたなぁ。アイツ。


 などと他人事のように見ていると、指示を飛ばしていた瓜が首をグリンとこちらへ向けた。


『……先に会場に連れて行くから。待っててくれる? すぐ捕まえるから』


◆◆◆


「……うっっっわ」


 いよいよもって、運春は目眩に倒れそうになった。遠近感も色彩感覚も破壊されてしまいそうな、あまりにも狂った光景に。


 瓜から案内された先にあった大部屋。そこも白かった。そして、広かった。


 言ってしまえばそれだけの部屋なのだが、規模が桁違い過ぎていた。


 まず、床の面はおそらく正方形かそれに近い形。そして、上を見上げてみると証明が燦々と降り注いでいる。


 遥か彼方から、太陽のように。


! なんだこの部屋!」


 そう。あまりにも天井が高すぎて、四方の壁はもはや消失点の向こう側。デッサンどころかパースから狂気を感じる。


「……また前回のゲームとは違う種類の不吉さだね。予算削減されてるの、ロビーだけかと思ったのに。まさかゲーム会場までこんな調子とは」

「なにさせる気だよ、こんな場所で」

『おまっ……おまたっ……おまたせえっ!』


 命依とゲーム会場の品評をしていると、息を切らせて目を回した瓜が遅れてやってきた。


 後ろには、ばつが悪そうにあらぬ方向に目を向けている涙々。


『もう! 毎度スタッフが来る前に勝手に動くのやめてって言ってるのに!』

「……許してって言うとるやろ。好きで迷っとったんちゃうし」


 この会話から察するに、ゲーム会場で迷うのは一度や二度の話ではないようだった。


 その様に命依は呆れ切ったような顔で鼻息を吐く。


「……久しぶりに僕、本当にビックリしたよ。気配なく消えるからさ」

「あー、もう。やめや。やめやめ。はようゲームの説明してくれや」

『……はあ。反省してね。それじゃあ、現場スタッフ。遅れたけど、アレちょうだい』


 瓜が声を上げると、銀色のトレイを持った黒服の男性が二人ゲーム会場へと入ってきた。


 それぞれが涙々と運春に、トレイを突き出す。


 そこに乗っていたのは、バイク乗りが付けるようなゴーグル。それとバングル型のデバイスだった。画面はスマフォを横にしたような大きさだ。


『まず、それを両方付けてね。それらがないとゲームが成り立たないから。ゴーグルの頭紐の調節はスタッフに言えばしてくれるけど』

「いや。いいよ。仕組みはわからんでもないし」

「邪魔臭いわー」

『文句言わないで早く付ける! 時間押してるんだから!』

「はぁい……」


 涙々は姉に叱られた妹のように、しょんぼりしながらゴーグルを付ける。


 バングル型デバイスも付けて、二人ともが準備完了となった。


 それを眺めていた命依は手持ち無沙汰だったが。


「……で。死倒。僕はなにも付けないでいいの?」

『命依ちゃんはスタントの利用者だから別にいいよ。で。次に、二人は光ってる足場の上に立って』

「光ってる足場?」


 と、疑問を口にしたのと早いか遅いかのタイミングで、床が二箇所発光しだした。


 むかし、夜に懐中電灯で、絵の描いた紙を透かせて遊んだときのような光だった。


「相変わらず、地味に金のかかった技術力だな。どっちがどっちに立ってもいいんだよな?」

『そうそう。で、命依ちゃんは別室に移動して』

「……運春と離れ離れってこと?」

『大丈夫、ちゃんと連絡付くようにはなってるから』


 やや不満気な命依は、チラリと運春に心配そうな顔を向けてから、渋々と会場から退出していく。


 入ってきたときと同じ、ボタン式のスライドドアの開くボタンを押して、向こう側へと消えていった。


 一抹の心細さを噛み締めながら、運春は光る足場に立つ。


「ん? なんだこれ……なんか……」

「……なんや? まるで硬めのバターとか、ブタのラードや牛脂を踏みつけてるみたいな……」


 見た目は光っている以外、周囲と同じ白い床のはずなのに。足から伝わる触感がおかしい。


 あまり長く踏み付けていたくない感触だ。沈みはしないし、滑りもしないが、顔を顰める程度には気持ち悪い。


『……よし。立った? 立ってるね? ちゃんと二本足で立ってるね? ゴーグルとデバイスもオッケーだね?』


 うんうん、と瓜は頷き、そしてゆっくり大きく息を吸った。


『大変長らくお待たせしました! ただいまより、上級カジノゲームを開始いたします!

 司会進行、アンド実況を務めますのはこの私! みんなの愛らし麗しウサギ! 死倒瓜が担当いたしまーす!



 ……と、挨拶もそこそこにして。、二人とも』


「「は?」」


 疑問の声が綺麗に、運春と涙々で重なった。


 急に声の調子を冷たくした瓜は、右手を宙に大きく掲げる。


『さあ! これよりゲームに関わる、二匹の最悪最強の怪物に登場してもらいましょう!


 まず一匹目! 奈落の口タルタロス!』


 ビシリ、と下から音がした。


 何事か、と目線を下に向ける。


「「えっ」」


 あってはならないことが起こっていた。


 床に亀裂が入っている。そしてあっさりと——本当にあっさりと。


 広い部屋の床のほとんどが、落ちて運春たちの視界から消える。


「なっ、わっ」

「きゃあっ!?」


 だが、いつまでたっても運春と涙々の乗っている床だけが落ちない。


 正確に言うなら、浮かんだまま不動だった。


「こ……これは……?」

『ホバーボードだよ。その指定した足場がね』

「おまっ、死倒! これ、危なっ……」

『続いて第二の怪物!』


 瓜は運春のつっかえつっかえの抗議は完全無視。司会を続行する。


『光を奪え、視界を閉ざせ! 二匹目の怪物の名は……夜の天蓋ニュクス!』


 その名前をこの場で聞いて、血の気が引かない者がいるのだろうか。


 冷や汗が滝のように滴り落ちる。


「待っ——」


 バツン、と音を立てて。部屋の目に痛いほどの照明は完全にダウン。


 部屋は完全なる闇に閉ざされた。


『さあ。始めましょう! 絶望に満ちた世界の中で、光ある世界に帰還するため!


 あなたたちが挑戦するゲームの名は——ブラインド・ロスグライド!』

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