第3話 お嬢様の連行術
とにかく全速力でがむしゃらに走った末、大きな道路に出たところで落ち着き、落ち込んだ。
傷に関しては、痛いには痛いが我慢できないほどではないので問題はなかった。それよりも運春が重要視していたのはボロ衣同然になった学生服の方だった。
傷は食事とって寝ていればいつかは治るが服はそうはいかない。これを修繕するほどの縫製スキルも運春にはない。
というか、見た限りではどう見ても再起不能の有様だった。直すよりかは新しく買った方が安く済む。
もっとも、学生服は安い買い物ではないという問題があるのだが。
「母さんに怒られる……」
出張が終わるのは今日だ。おそらく昼前には帰ってくる。
ならば学友や先生に心配されたりからかわれたりすること覚悟で学校に行く方がまだ精神的にはマシだ。どっちにしろ大目玉を食らうことは確定だが、引き延ばせるものなら永遠でも引き延ばしたい。
あの駅は今、使えない。せっかく逃げたのにわざわざ戻るなんて馬鹿げている。そうすると、次点に出て来る選択肢は歩きで学校に行くか、隣の駅から学校に行くかだ。
(元の駅に戻るのとどっこいどっこいかもしれないが、この場合は隣の駅まで歩いてそこから学校だな……)
風通しがよくなった服を着たまま、運春は仕方なく歩き出す。
あの場合はなにもかもが仕方なかった。結局このままなるようにしかならないのだから――
「ねえ」
綺麗な声が響いた。車の走行音をすり抜けて。意識をする前に本能から『振り向け』と命令されるような色気のある声が。
「……あん?」
「こっち来てよ。お話しよう?」
見ると、声の主は歩道橋の上だった。
(……さっきのパツキン少女?)
先程、駅のホームで見た人形のような少女が手招きしている。
どうせ急ぎの用はない。呼ばれているのならば、と軽い気持ちで運春は階段を昇っていく。
そう長い時間をかけるまでもなく、運春は少女と相対した。
「なんか用?」
「うんっ! 大事な用!」
まったく見当が付かないが、用があるというのなら無下にできない。しばらく待っていると、ごそりと少女がポケットを漁り出した。
あのワンピース、そんな場所にポケットあるんだなぁなどと呑気に考えていたのだが――
「ここに百万円があるんだけど」
「は?」
「前金であげるから僕についてきてくれる?」
「は!?」
物語は、冒頭へ戻る。
◆◆◆
「考えなしに手錠で手を繋いでみたけどさ。身長差があると結構辛いね」
「俺はこの状況そのものが生き恥すぎて辛いんだが」
「……ああ、大丈夫。車呼んだから、すぐに手錠のことなんか気にしなくてよくなるよ」
流石に手錠で繋がったままどこかにお出かけは無理だとはわかっていたらしい。少女はなんてことなさそうに運春を慰める。
元凶が慰めても煽りにしか聞こえないはずなのだが、少女がひたすら上機嫌な声で喋っているのを聞くとそうではないということはわかる。
常識が無くて、悪気もない。
「おい。なんかの番組のドッキリかなにかか? 俺一人を驚かしたところでなんも面白くないと思うぞ」
「あはは! ドッキリで百万円は用意しないと思うよ。採算取れると思う?」
「確かにコスパ最悪だとは思うが、まだありえないってほどじゃ……」
言っている途中で、車が着いたらしい。優雅で静かなモーター音を携えて、黒塗りで長い光沢のある車が運春たちの前に止まった。
「じゃ、乗って」
「……なあ、これリムジンってヤツじゃないか?」
「え? なにその反応。初めて乗るわけじゃあるまいし」
「初めてに決まってんだろッ!?」
「いいから、ほら。暑いし早く中に入ろうよ」
ドッキリ説、完全崩壊。もうなにをどうやったとしても採算が取れるとは到底思えない。起こることのすべてが荒唐無稽かつハイコストすぎる。
見れば少女の服も、近くで見ればいかにも肌触りが良さそうなオーダーメイド。おそらく成長に合わせて一々リサイズ、などということは言わずに新しく買っているのかもしれない。
促されるままリムジンに入ると、運春が思った以上に中の空間は快適だった。涼しいし、広いし、ボトルとグラスが備え付けられている。
未成年しか乗っていないのに? という怪訝な目線を向けていると、察されたのかクスクスと少女が笑う。
「安心して。中身はただのコーラだから」
「にしては見たこともないボトルだけど……」
「うん。リムジンに合うようにボトルのデザインから発注したらしいよ。知らないけど」
「……いい加減頭痛くなってきた。なんなんだよ、お前?」
「お前じゃないよ。
何故か名前まで既に知られている。ここまで不気味だと今すぐドアを開けて逃げたくなってきた。手錠は相変わらず付いたままだから不可能なのだが。
「年上を呼び捨てにするな。運春さんか、百歩譲って運春くんだ」
「あれ。結構余裕そうだね。良かった。流石に強引すぎて引かれてるかなって不安だったんだ」
――いやゴリッゴリに引いてますが
とまでは言えなかった。逃げ場がないこの状況で、露骨に弱みを見せるようなマネはしたくない。もう態度に出ているかもしれないが。
ニコニコと笑う命依は、ボトルに手を伸ばそうとしたが。両手が上手く使えない状態ではジュースを注げないということに気付いたようで、残念そうに鼻息を吐いた。
「で。ええと、僕が何者かって話だっけ。ええっとね、なんと言えばいいかな……その……うーん……一言で言うと……普通の小学生かな」
「嘘がつまらなさすぎてビックリしたわ。逆に大爆笑」
当然ピクリとも笑ってないが。
「いや本当本当。ただちょーっと人とは違う特技があるかなーってだけでさ」
「……人とは違う特技?」
「ギャンブル」
絶句するしかなかった。
更に命依は、黙っている運春に続ける。
「僕ね、ギャンブラーなんだ」
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