こっち見るな

「本日はよろしくお願いいたします。本件代理店として担当させていただいております、『BLUE BULLET』の木戸と申します」

 「青い弾丸」…?どうした…殺人欲求…?広告代理店も数が多過ぎて、よくわからなくなる。まぁ、そこまで大きな会社ではなさそうと言うことはわかった。


 私が所属…程ではないけど、登録しているインフルエンサー会社が色々な広告代理店とつながっていて、そこ経由で案件を貰うことが多い。

 何故か私は一番前に座ってしまったから、木戸さんと凄く目が合う。まだ20代前半?25くらいかな。少し丸みを帯びていて、代理店の人にしては穏やかそうだ。男受けしそう。


 軽い会釈をしながら、名札を見る。「GUEST 木戸さきこ」。


 さきこ…?さきこ…かぁ…。地元の武蔵中原にはあまりいなさそうな種類の名前だった。


 さきこ…さきこ…?どういうこと…?「さき」で良いじゃないか…で、「さき」に適当に感じを当てればいいのに、わざわざひらがなで、かつ「こ」をつけるというのは、どういうあれなんだろう…。


 さきこ…う~ん…とはいえ、大人をなめるのもよくない。彼女が単なる普通の立派な大人だとしても。


「今日は簡単に商品説明と、今後のスケジュール、あと投稿時の注意点について、林田製薬社の松浦様にご説明頂きます」

 この仕事をしていて良かったと思うのは、大人と触れ合う機会が圧倒的に増えたことだ。普段話す相手としては、世間知らずの母親と、特に話にセンスの感じられない担任くらいだ。コスメが中心ではあるけれど、やっぱりカッコいい会社で働いている大人に会うのは新鮮。


 とはいえ、ただ「新鮮である」だけな気もするのだけど。

「いやぁ今日は学校帰りの中ありがとうございます。本当に今日は暑いので、熱中症には気を付けて下さいね」

 世の中には色んな大人がいるけど、大体は自分の範囲の中で、粛々とこなしているだけの人が多い気がする。さきこ。

 私はビジネスに明るくないけど、ただ、1つ言えるのは、こんなピンスタの投稿1つで世界は変わらないということだ。さきこ。


 だって、こんな私である。こんな私の投稿1つで、何が変わる?多分もっとやらなきゃいけないことがあるんだろうけど、だろうけど、だろうけど…目の前の大人が、それにどこまで応えようとしているのかは、わからない。


 知らぬ間に、代理店だかクライアントだか良く分からないけど、大人がゾロゾロと集まってきている。騒がしく、さきこに誰かが耳打ちしている。とはいえ、彼らも大人だから、ひどく動揺することもない。


「あっ、すみません。ちょっと今日急遽松浦様と、あと美容部員の方も急遽ご用事がありいらっしゃらないようでして…」


 よくあること。


「代わりに、そうですね。私が代わりに説明させていただきます」


 これもよくあること。周りの女子も、あぁそうですかといった感じだから、慣れているのだろう。とはえい、私は誰一人として周りのインフルエンサーの子のことを知らないのだけど。


「えーっとどうしよっかな…えーっと、まずはオリエンですが…」

 手元の資料を読みながら、さきこが話し出す。とはえい、紙の資料は私たちも貰っていて、先ほど読んだばかりだから、大体さっき読み通してしまった。


「えーそうですね、でも皆さんもうこの資料は読まれましたよね?」

 お。


「何か読んでいてわからなかったことはありますか?」

 おぉ~と言われても、会議室中のインフルエンサーは静まり返っている。そりゃそうだ。特に何かありますか?と言われて、何かふっかけてくる人間はいない。


「じゃ基本情報は把握されていると思うので、実際にやってみましょう」

 ほぅ…ほぅ…?


「えーっとやってみます。ちょっと見ていてください」

 はぁ…。


「えーまずは手を洗いましょうね…ちょっとお手洗いに行ってきます」

 そう言いながらさきこは会議室を出て行った。周りの代理店の大人もきょとんとしている。こういう時、自分がメインの話じゃないから、大人はちゃんと黙る。間を誰もつなぐことなく、静寂と共に、さきこが廊下を走る音だけが鳴り響く。さきこって何だよ。


「ハァ…はい…お待たせしました…」

 そんな手を洗うくらいで焦らなくても…。

「えー化粧を落とします。えー私は今から化粧を落とすので、ちょっと見ていてください」

 何回言うんだ。見てるから。だって目の前にいるんだもん。


 知らぬ間に、さきこは髪を後ろで結んで、戦闘態勢ではある。

「私今日結構しっかりメイクしているんですよ~今晩人と食事に行くので。あっ、彼氏は居ないですからね~」

 いや…誰も聞いてないのだけど…。鏡に向かってさきこはつぶやく。


「洗顔の時はぬるま湯にしてください」

 まぁ大体そうだろ。


「それで、最初はこの林田製薬の新作クレンジングオイルを2プッシュです!」

 イチ・ニと声に出しながらさきこはオイルを手に取り出し、そのまま顔につける。

 あぁ…この人…ホントにメイクを落とすんだ…。


「こうやって顔全体に塗っていくんですが、この商品は、もうホントに力が要りません!簡単に肌に馴染んでいきます」

 とはいえ私たちインフルエンサー勢は、無言でさきこを見つめている。誰か間をつなぐようなやつはいないのか。


「そうですねぇ…」

 ぬりぬりしながらこっち見るなよ、さきこ…。


「これはちょっと恥ずかしいですね…一人でメイクを落としているのを、皆に見られるなんて…」

 今更何を言っているんだ…。さきこは天然なのか…?


「そうだ!どなたか、一緒に体験しましょう!実際に皆さんも体験した方が、きっといい投稿が出来るはずです!」

 何を言っているんだ…。


「じゃあどなたか、では~Miranさん!一緒にやってみましょう」

「え…私…?私ですか…?」

「はい!一番前にいたので」

 理由がシンプル…。


「お化粧グッズは持っていますか?すっぴんで帰らせる訳にも行かないので」

「まぁありますが…」

「よかった!お母さまも宜しいですよね?」

「もちろん、ホラ、美蘭ちゃんよかったわね」

 何が「よかった」んだ?もう少し頭を使って言語を使いなさいよお母さん。

 あぁ…「保護者の同意」が…。

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