第5話 クリスマスの告白

 二十五日クリスマス

 朝七時過ぎに目覚め、着替え朝食を済ませて、いつものようにネイルサロン前の掃除をしていると声をけられた。声のほうを向くと、道路の反対側で大きく手を振っている悠の姿だった。

 まぼろしを見ているのかとおもい、その場で固まってしまう。横断歩道を渡り、近くに寄ってきたのは本物の悠だった。

「おはようございます」

 さわやかな挨拶。本物だ。

 なんで? 思わず言葉にでていて、すぐに挨拶を返す。笑顔を取り繕うとしても、びっくりしすぎて追いつかない。悠の着ているものがスポーティーなものと気づく。

「走ってるの?」

「はい。毎朝ではないですけど、ランニングコースなんです。初めてここを走ったときに蒼さんのこと見つけて。そこから、気になって」

 真っすぐに見つめてくる憂えのある瞳に吸い込まれそうになる。

 悠の視線が足元に落ちて、小さく息を吐く。次の言葉を探しているような間。そして顔を上げて、また蒼をみる。今度は大きく鼻息をした。

「気になって。ずっと気になってて、蒼さんのことが好きだって気づいたんです。俺と付き合ってください」

 何が起こっているのか理解できなかった。自分の耳がおかしくなったのかとも思った。悠の緊張で強張った顔を見て、返事しなきゃと思いながらも、言葉が出てこない。俺も好きだ。と言えばいいのに、なんで? どうして? その問が先にきて、詰まってしまう。

 あ、う、とか言葉にならないものが口から出る。

 おはようございます。と隣の呉服店の主人に声を掛けられ、はっとする。

「返事がオーケーなら、今日の夜、店にきてください」

 悠はそう言って、もときた道を走って行ってしまった。

 その背中を見送り、呉服店の主人に話しかけられていても、上の空だった。

 

 昼の時間帯が過ぎたころに、石田が店に顔をだした。

「蒼、ごめん。忙しいときに、ちょっと話せるか」

 ちょうど、客がいなかったが、またすぐに予約が入る時間帯でもあったので、手短にと招き入れる。メリークリスマスと言い、スタッフの二人にプレゼントを渡していた。こういうところに抜かりない。

「メッセージみたけど、やっぱり告られたか」

 は? その言葉に驚いた顔をしていると、フッと口の端で笑っている。

「気づいてなかったか? わざと蒼にべたべたしただろう? 悠君さ、やたら俺に厳しい視線送ってくるから。こりゃ、嫉妬してんのかな。ってさ」

 たしかに、言われてみると、いつもより怖いなと思ったこともあったけど、まさか。信じられない。

「で、もちろんオーケーしたんだろ?」

 その言葉に、へっ? という間抜けな返事をしたら、石田が自分の額を手でパシッと叩いて、あーと嘆いていた。テレビの中の人がするようなことをするな、と真顔で見ていると、何か言ってよといわんばかりの顔で見てくる。そんなおどけた石田をみても笑えない。

「純太くんや、他のスタッフさんは大丈夫だろうか……俺が店に行っても嫌がらないか。俺がいることで悠が困るようなことになったら……不安なんだ」

 自分だけじゃない、周りにも気を遣わせることになるのは、どこまでも付きまとう問題だ。

 深いため息をついたときに、石田から、思い切り背中を叩かれた。

「いったっ……」

「そんな暗い顔してたらダメだろう。まだお客さん来るんだろう? 彼のことも大事だけど、まず今は自分の店のこと考えろよ。せっかくの繁忙期だぞ」

 その言葉に、五年前、彼氏に振られて、自暴自棄になっていた自分を励ましてくれた石田のことを思い出した。『大丈夫だよ。また好きな人も出来るし、まずは店、がんばろうや』あの時もそういって、背中を叩いてくれた。

 ありがとう。と恥ずかしく、呟くように言った言葉をかき消すように午後一のお客さんが元気よく店に飛び込んできた。

「寒いよ。今日はクリスマスだね!」

 いらっしゃいませ。こちらもつられて大きな声が出る。

 元気なお客さんと入れ違いに、店を出ていく石田を送る。ちゃんと向かい合い、礼を述べると、照れくさそうに返してくれた。

「そんなに不安になるくらいの大事な人が出来て良かったな……また、雪月花行こうぜ」

 石田も五年前のことを思い出したのかもしれない。


 夕方六時過ぎ、今日最後の施術も終わり、片付け掃除をして七時には店を閉めることができた。年末に向け、怒涛の忙しさがまだ待っているが、エリカも望もクリスマスの夜は気持ちが上がる。と言って帰っていった。ドアを出る前に言った望の言葉に首が熱くなった。

「メリークリスマス。蒼さん、ラブラブな夜を」

(ラブラブって……)

 好きになった人が、自分と同じ想いを抱いてくれているなんて奇跡としかいいようがない。すごく嬉しい。

 でも、このことが悠やレストランにとって悪影響となることもあるのではないか。同性とつきあってるなんて。どこかで噂が流れたら、それを気にするスタッフは辞めていってしまうのではないか。ついていた客が離れていってしまうのではないか。

 自分のせいで……悠が困ることになるのは避けたい。

 レストラン雪月花に向かう途中、クリスマスマーケットに立ち寄った。

 マーケット露店で目にはいった、ドール缶の中に入っている紅茶のセットを何種類かをまとめて買う。ささやかではあるけど、悠とスタッフみんなへのクリスマスプレゼントだ。

 いつにもまして大繁盛のレストラン雪月花に到着した。

 賑わう客、笑いあう声、忙しく動き回るスタッフも活気があふれている。

 受付には、赤い帽子をかぶった夢が、にこやかに出迎えてくれた。

「蒼さん、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

「メリークリスマス」

 蒼は、クリスマスマーケットで買った袋を渡した。

「みなさんに、プレゼントです」

 えっと、驚いた顔をしたあと、嬉しそうにプレセントを受け取った。

「うれしいです。ありがとうございます……純太が……落ち込んでて、店でも家でもずっと。だから、プレゼントもらえるなんて、きっと嬉しすぎて倒れちゃうかも」

「家でも?」

 あっと小さくつぶやき、口元を抑えてから続けた。

「純太と私、結婚してるんです。スタッフ全員知っていることなんですが、お客様に余計な気遣いさせないように、そういうそぶりは見せないようにしてて……でも、この一週間は、お客さんに気遣われるくらい静かで、こっちがフォローするのに大変でした」

 恥ずかしそうに、前田を想って話す姿が可愛らしい。

「蒼さん、この前は、すみませんでした」

 泣そうな顔の前田が声をかけてきた。

 その顔に思わず、ぷっと吹き出して笑ってしまった。

 えー。笑われた。と言い唇を尖らせた顔をみて安心する。

「こちらこそ、驚かせてごめんね。怒ってないし、純太くんは何も悪くないから、もう謝るのなしね」

 目を合わせた前田は、はい。と頷き、目を赤くしながら席に案内してくれた。


 いつものカウンター席に通される。他のスタッフからもいつものように挨拶を交わされる。

 ホッとした。どう思われているかなんて考えなくていい。

 ここにいる人達は、みんなプロで、プロの接客をしているのだ。それにここは、悠の店だ。悠の信頼しているスタッフなのだから、この応対は当然だ。

 カウンターのいつもの席で、お酒を飲みながら周りを見回す。悠の接客している姿が視界に入る。

 きっとにやけているだろう自分の顔を触りながら今朝の出来事を反芻する。

『ランニングコースなんです。初めてここを走ったときに蒼さんのこと見つけて』

 たしか、悠はそう言った。店にきたのが初めてだと思っていたが、それ以前に蒼のことを知っていたみたいな口ぶりだった。

『気になって。ずっと気になってて』そんなことも言っていた。

 いつからだ? 今更になって、すごく恥ずかしくなってきた。にやけるどころじゃないかもしれない。

 そうこうしているうちに、悠が隣の席にきていた。

「蒼さん、いらっしゃい。来てくれて、うれしいです」

 にやけている……。悠の顔もいつもの顔より少し緩い。

「プレゼントありがとうございました。スタッフの分まで……」

「オーナー」奥から、スタッフに呼ばれて、渋々席を立つ。また後で。と言って行ってしまった。

 悠がいなくなった寂しさを埋めようと前田に話しかける。

「夢さんとご夫婦だったんですね。以前、試食会の時にも、よく夢さんを見ていたので、なるほどと思いましたよ」

 いきなりそんな話を振られるとは思わなかったのだろう。前田の顔が赤くなる。

「素敵なご夫婦ですね」

 そう伝えると、いつの間にか隣にきていた夢が、恥ずかしそうにして、ケーキを置いてくれた。

「お、お店からのサービスです」

 その姿をみて、前田は首まで赤くしている。

(ああ、なんて可愛らしい二人だろう。)

 

 お店は、そろそろ閉店時間を迎える。ほとんど悠とは会話らしい会話ができなかった。

 自分の気持ちを伝えなきゃとは思うものの、タイミングがない。店に来たことで、答えはイエスということなんだけど……。

 仕方なく、帰ることを告げ、前田に会計を頼んだ。

 カウンター席の客は、蒼だけになっていた。フロアー席の客も順々に帰っていく。

 フロアーが段々と静かになり、代わりに店の出入り口に人の動きが集中している音が響いた。

 ほどなくして、上気した顔の悠が現れた。

「バタバタしちゃって、すみません……」

 席に座るように、促された。隣に悠も座る。

 目を合わせただけで、心臓が跳ねる。聞きたいことや、伝えたいことがあるのに、言葉にならない。

 落ち着かずに手を組んだり、離したりしていると、悠がそっと蒼の手に自分の手を重ねた。

 重なる手を見つめて、じんわりと手の甲に感じる悠の温もりに、落ち着きをとりもどしてきた。

 「俺も、悠くんのこと好きだよ」

 やっと言えた。

 その瞬間、ぎゅっと手を握られ、咄嗟に、悠の顔を見る。

 頬を朱色に染めて、見つめる瞳は煽情的で、また心臓が跳ねた。

 もっと近づきたい。何かに引っ張られるように手を伸ばし、悠の頬に触れた。

 ぴくりと動く、こめかみが愛おしい。

「あ、蒼さん」

 問われて、我に返る。

 すぐ近くに悠の顔があり、無意識に距離を詰めていたことにびっくりする。

 ごめん。と言い終わらないうちに唇と唇が触れた。一瞬の触れただけのキスだ。

 嬉しさと恥ずかしさの後に、誰かに見られたのではないかと、焦っていると、悠がはにむような笑顔をしていた。

「大丈夫。俺の背中で見えてない。それに……俺は大丈夫だから」

 確かに、キッチンのほうと出入口にしか人の気配はしない。安心したが、そんな自分が恥ずかしい。

「そんなに焦った顔してた?」

 悠が目を細めて、見詰めてくる。蒼の手を持ち自分の唇に触れるか触れないかの距離に近づけて答えた。

「蒼さんは、表情が豊かだから、なにかあったらすぐわかる……それに……」

 蒼の手の甲にキスをして「もっといろんな顔がみたい」と目を見て口説かれた。

 流石に、今のはマズイ。落ちた。恋に落ちるって、もう死語か。でも、落ちた。これ以上、今の気持ちを表す言葉がない。

(ああ……もう……なんてやつなんだ)

「メリークリスマス」

 そう言う悠の目も、声も、全てが甘く、幸せに満ちていた。

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