第4話 カミングアウト
十二月に入り、石田諒哉とレストラン雪月花に行く約束をした。
石田は、蒼の高校時代の友人だが、学生時代の時はお互いのことは知らずに過ごしていたので、上京してから友人となったという方が正しい。
二十歳の時に新宿二丁目のバーで知り合った。何の気なしに話した内容が、同郷で、しかも同じ高校だとわかりすぐに仲良くなった。
仕事や恋愛の相談や愚痴などを話す仲になっていて、気の知れた友人として連絡を取り合っていた。
当然、悠のことも、石田に話していた。
「蒼の好きな人も気になるけどな。そのレストランて、なかなか予約とれないらしいじゃん。連れてってよ」
石田は身長も高く、肩幅もある、彫の深い派手な顔は、一見堅気に見えないが、製薬会社の営業で真面目に働いている。
食べることが好きで、営業職ということもあるのか、いろんな店を知っている。蒼も一緒に行くことがあるが、どれも美味しい店だったことを記憶している。
「予約しておくから、空いてる日教えてといて」
そして、予約した日になった。
クリスマスまであと一週間という日だ。ネイルサロンもクリスマス、年末に向け繁忙期に入っている。石田も年末は忙しそうにしていて、ようやく日程の調整がついた。
待ち合わせしている、駅前には大きなクリスマスツリーにイルミネーションが灯り、大勢の人で賑わっている。
ほとんどが、男と女のカップルだ。同性同士もいるが、それは友達なのか恋人なのかは一見してわからない。
自分がゲイだと隠しているわけじゃない。ネイルサロンのお客さんも知っている人はいる。聞かれない限りは、言わないだけ。カミングアウトすることで、余計な気遣いをされたくない。
石田と合流して、レストラン雪月花に向かう。
年末は忙しいとか。そんな仕事の話をしていく中で、蒼は、どうしても石田に伝えなきゃいけないことを話した。
「諒哉、これからいくレストランのスタッフ、悠も、俺がゲイということを知らない」
石田は、歩みを止めて、蒼の顔をみる。
「え? 両思いなんじゃないの? 前に聞いた話の感じだと、そう思ってたんだけど」
「確かに、好意を持たれてるという気はする。ハグ……されたし、心配されたり、でも今までの話から察するに彼はノンケだ。たまたま、何かの拍子に興味が湧いただけの相手から、いきなりガチのゲイ告白はキツいと思う」
興味が湧いているというだけでも嬉しい。それなられそのまま現実は見ない方がいい。
「とにかく、余計な事いうなよ」
石田の方が背が高いので、下から凄むように念を押した。
「わかった。わかった」
子供を適当に宥めるような言い方に不安が残ったが、これ以上は何を言っても同じだ。石田は、人の話を聞かない。
そろそろレストラン雪月花に着く。友達を連れていくのは初めてだ。なぜか妙に緊張してしまう。
少し後ろに歩いていた石田が、俺が見定めてやるよ。という言葉を発していたが、蒼の耳には届いていなかった。
レストランの中に入ると、いつもの受付をしてくれる夢ではなく、悠が立っていた。
「蒼さん、いらっしゃいませ」
いつものように、優しい笑顔をくれる。ふと後ろにいる石田に視線をやり、同席者にも当然のようにようこそと丁寧に挨拶をした。オーナーとしての凛とした姿がかっこいい。悠に特別な感情を持っていなくても、素直にかっこいい男だと思う。
どうだ俺が惚れた男はかっこいいだろう。と石田のことを横目でみやる。悠のことを見ながら、石田の口の端がふっと上がった。
(ん? なにか嫌な予感がする)
こちらへどうぞ。悠が席に案内してくれる後ろから、突如、石田の声がすぐ近く頭上に響いた。「蒼、おいで」そう言って、石田の手が蒼の腰を抱きエスコートしだした。
「……お、おい、お前……ふざけるな」
振りほどこうとしているが、腰の手をどかそうとしないどころか、強く自分にひきつけ歩みを進めた。悠にその様子を見られ焦る。視線が冷たく刺さるようで気が気でない。
通された席に石田と向かい合い座る。
「諒哉、お前、さっきのなに?」
小声で責めるが、何が? というようにとぼけた顔でメニューをみている。
「おすすめは牡蠣か。食べようぜ。お前も好きだろう?」
ああ。と同意する。石田は食べることが好きな奴だ。
よくバーに現れるけど、あまり酒も飲まない、というか弱い。どちらかというと食べてる方が多い。メニューを見て興奮気味に話す。
「ここいいな。単なるオシャレだけのレストランかと思いきや、この創作系の料理とか美味しそうだな。旬のものをうまく取り入れてるし、レストランの雰囲気もいい」
周りを眺めながら、喜んでいる石田を見てホッとする。とりあえず店を気に入ってくれたようで、嬉しかった。
出てきた料理は全て美味しかった。
「食べたー。うまかったー」
背もたれに寄りかかり、満足気に話す石田の顔に、蒼も満足気にグラスのワインを飲み干した。石田が食べる分、蒼はいつものように酒担当となりボトルのほとんどを空けている。
「だろ? 美味いだろ? ここの料理、それに合う酒を提供してくれるし、最高なんだよな」
いつもよりハイペースだったせいか、酔いが早い。気持ちの良さにボーっとする。顔がアツい。
「蒼、珍しいな、顔赤いよ」
「はあ? お前が飲まねーからだろ」
気の合う友達に、自分の好きな人の話をすることで、妙な恥ずかしさもあって、余計に酔いが回っているような気がする。
悠が、席へ近づいてきた。
「蒼さん、お食事済みましたら、カウンターに移動されますか? 少し飲んでいかれますか?」
蒼の返事を遮り、俺もいい? と石田が答える。
ポーカーフェイスの悠が、丁寧に応える。
「ええもちろん。では、いつものお席へどうぞ」
顔は笑ってるように見えるが、なんだかいつもと違って怖い。何かあったのかな。
バーカウンターでは、いつものように愛嬌の良い笑顔の前田が迎えてくれた。
かわいい子がいるね。石田が小さくつぶやく。
その言葉に蒼はギョッとした。うさぎのような小型の動物が、狼に狙われている様が目に映る。
小柄で大きい瞳をしている前田のような顔は石田のタイプだ。
お酒を注文して、前田が離れたのを見計らい、声を潜めて石田に言う。
「諒哉、彼は、ノンケだからな。余計なこと言うなよ」
わかってるよ。と蒼の耳元で小さく笑いながら、ささやいた。
息がかかった耳を手で押さえ、石田をつっぱね睨むと、にやけた顔をして簡単に謝られた。
(こいつ、何考えてんだよ)
ふとカウンター中に視線を向けると、夢がこちらをみていた。お互い、目があったところで夢が背を向けた。
さっきの視線は、今までも経験したことがある。五年前に、付き合っていた人と出かけていたときだ。公共の場でイチャイチャしていたわけではないが、単なる友達とは違う距離感があったのだろう。カフェで隣の席にいた女性が、連れていた友達に何か話し、好奇な視線を向けられた。
それに似ている……。昔の出来事を思い出してぼーっとしていると、前田に声を掛けられて現実に戻された。
「蒼さんの友達ですか? バー担当してます。前田純太です。お二人、仲良いですね」
その言葉に気をよくした石田が、蒼の肩を抱く。
「そう。仲良いんだ。高校の同級でね」
「へぇー。俺と悠、あ、うちのオーナーとも高校の同級生なんですよ」
前田は、いつもの調子で、はなしを弾ませてくれる。
「長い付き合いですね?」
「うん? いや、高校の時は、実はお互い知らなかったんだ。こっちに出て、あるとこで知り合ってさ、な? 蒼」
ま、そうだな。と頷く。こっちはひやひやしているのに、石田は、楽しそうに話している。
「この前の試食会の時に蒼さんのこと色々聞けて楽しかったですよ。彼女さんはいないみたいですけど、どんな人がタイプとか。そういう話しも聞きたかったな」
カウンターに肘をつき、「へぇー」と前田と蒼を交互にみてくる。何かを仕掛けようとしている顔だ。そう感づいた蒼は次の石田の言葉を制しようとしたが遅かった。
「俺さゲイ、なんだけど、純太くんみたいに、可愛い子タイプなんだよな」
石田の視線が前田から、他に映った後、蒼をとらえた。
石田の手が蒼の頬に触れ親指で唇をなぞる。
「蒼は? どんな人が好きなの?」
石田のことを恋愛対象として見たことないが、かっこいい外見に、色気のある仕草にのまれてしまった。
しばらく石田と見つめう状態になってしまった。
「え? まさか、蒼さんも?」
一瞬、なにを聞かれたのかわからなくて、前田の顔をじっと見つめてしまった。おそらく自分の顔には、困惑か、恐れのような複雑なものが滲み出ていたのだろう。
視線があった前田は、自分の言葉選びを間違えたことに気づき、はっと口元を抑えていた。
「まさか……じゃなくて……えっと」しどろもどろになって、どうすることもできない表情をして黙ってしまっている。
否定する空気でも、冗談と笑い飛ばす空気でもない。
目の前のグラスを飲み干す。しばらくグラスを見つめて腹を決めた。
「俺も、ゲイなんだ……」
自嘲気味に笑いながら、顔をあげたあと、あっと小さく息をのんだ。カウンター内の前田の後ろに悠の姿が目に入る。
悠に聞かれた。どうしよう。頭が真っ白になる。怖い、逃げだしたい。
本能的にこの場から去ろうという気持ちから席を立とうとしたが、石田に腕をつかまれた。
逃げるな。といっているような石田の目が怖かった。
前田は黙ったまま、顔色を青くさせていた。
何かフォローになることを言わなきゃと思っても声が出ない。なんて言えばいい?
悠が前田の背後から小声でなにか言い、前田をバーカウンターから出ていかせた。かわりに夢がカウンター内に入り、接客している。悠は、なにもなかったように笑顔を向けた。
「申し訳ございません。少し席外します。ごゆっくり。お過ごしください」
バックヤードに消えていった悠の背中を見ながら、蒼のため息が溢れる。
「こんな気遣いさせたくないんだよ」
とつぶやいた。
昨日の夜に、悠からメッセージが届いていた。お詫びと、またレストランに来てほしいという内容だった。
自分の性癖について恥じていることはないけど、カミングアウトすることで、過度な気を遣わせてしまうのが嫌だった。
前田は素直な性格だ。それに普通だ。『まさか』なんて言葉は誰だって言ってしまう。それが失礼な事だとは思わない。
だけど予期しない出来事を生んでしまったことに、申し訳なさと、受け入れてもらえないという怖さがつきまとう。否定的なことは何もいわれていないのに、否定された気持ちになってしまう。
こういう事は今までも何度かあったけど、今回は特別怖い。
深いため息をしてメッセージに返信をする。
『こちらこそ、突然のカミングアウトで困らせてごめんね。僕は傷付いてないし怒ってもいない。これからお互い忙しい時期になるから、落ち着いたらまた店に行くね』
何回も読み直して端的に伝えたいことを書いた。
また会えるだろうか。あの店に行っても大丈夫だろうか。
いろんなことを考えてしまうが、店が開いている間は忙しさで、深く考えないで済んだ。
そして、あっという間にクリスマスイブがきた。
最終のお客さんが帰ったのは夜の八時過ぎ。片付けは、そこそこに疲れているスタッフを帰す。
「明日もあるから、ゆっくり休んでね」
エリカも望も疲労した顔を隠さず、挨拶をして帰っていった。
残りの片付けと掃除をしている中、あの夜の出来事を思い返す。悠や、前田の表情は、嫌悪でもなく、ただ驚いてるというものだった。
片づける手を止めて椅子に座り、しばらく、ぼっとする。
今までも、友達やお客さんに自分がゲイだと知られることはあった。驚く人、嫌悪を表す人、下世話な興味を抱く人、たくさんの反応がある。
俺と同じように店を経営していて、そこで働いていれば、いろんな人と出会うだろう。個人的に嫌悪感を抱こうとも、店の客としては受け入れなければならない。
大好きなお店ができて、そこに行けなくなることは、とても悲しい。
そのお店で働く大好きな人に気を遣わせるのも、しんどい。
悠が俺の気持ちを知ったら。どんな反応をするんだろう。迷惑か。
ため息がこぼれる。
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