気付き

 「……しばらく、お肉は食べられないかも」


 「あたしもー。書いてあること調べたら、エグすぎて引くわ」


 「私の言ってることも、少し分かるでしょう?」


 私たち二人は、とりあえずこの「正しい拷問の仕方」を読んでみようということになり、それを軽く流し読みした。


 それだけでも分かる、あまりに悲惨な行為の数々。加えて、脳裏に悲鳴がぶち込まれるような、生々しい叫び声や泣き声のレパートリー。恐ろしいが、確かに納得してしまう代物だった。


 「これの怖いところって、彼女が失踪している期間なのよ。いなくなったのが、彼女が発見される約二週間前。その間、ずっと拷問されていたとは思わないけど……」


 「そんな長い間、毎日の様にこんなことを……? し、信じられない……」


 「わざわざこういうの残す辺り、ヤバい人だろうねぇ……これって、犯人捕まってるの?」


 「それはもちろん、捕まってるわ。犯人は被害者の大学で事務員をしていた、30代前半の男だったらしいの。でも、少し変なのよ」


 そう言って、湊はノートのページをめくった。先ほどの新聞から日付が二ヶ月ほど進んだそこに、またしても小さな欄で犯人発見という記事があった。


 「犯人は神崎守という男で、その人が自首したことによって逮捕に至ったらしいの。二ヶ月もの間、その男は普通に生活していて、警察から聴取を受けた事すら無かった。だから、逃げ切ろうと思えば逃げ切れたはずなの」


 「わざと捕まった……? 二ヶ月も見つからない様に、証拠を残して無い犯人が……?」


 「おかしいね、それ。警察はどうしたの?」


 「男が犯行に使用したとされる器具を持参してきたらしいの。ご丁寧に、被害者の血痕付きでね。二ヶ月もかかっていたのだから、そのまま逮捕、という感じでしょうね」


 日本の警察は優秀、という単語は良く聞く。そんな警察が、二ヶ月もの間犯人を見つけることが出来なかった。それだけで、この事件が地方の新聞だけでしか取り上げられていない理由が、少し見えた様な気がした。


 「被害者は大学生の一人暮らしで、交友関係もあまり広くなかった。偶々被害者の母親が彼女の住居を訪ねなければ、もっと事件発覚は遅れたはずよ」


 「ねぇ……私、一つ思ったんだけどさ……その捕まった人、本当に犯人だったのかな?」


 「それ、あたしも思った。最初はその二ヶ月の間にそれを書いたのかなぁって、思ったんだけど……それだと」


 このコピー用紙の束は、古本と比べて真新しさが感じられる。つまり、印刷されたのはつい最近ということだ。要するに――


 「じゃあ、誰がこの犯行記録を、みなっちゃんに渡したのかな。それって、つまりさ」


 「犯人は、まだ捕まっていないっていうことかしら?」


 湊はそう告げると、満足げに笑った。どうして笑えるのだろう? もしかしたら、頭のおかしい犯罪者が、知らず知らずの内に接触してきたのかもしれないのだ。被害者と、そう歳の変わらない湊に。


 「やっぱり、二人に話しておいて良かったわ。これで私が急に居なくなっても、すぐに捜査が始められるわね」


 「な、何言ってんの!? あんた、命狙われてるかもしんないんだよ!?」


 「ちょ、みっちゃん落ち着いて! それはみなっちゃんが一番分かってるってば!」


 「じゃあ、なんで……! なんでそんな風に笑ってんのよ……! 私、あんたが本当に死んじゃったらやだよ……!」


 「みっちゃん……」


 湊は笑ったままだ。それは余裕の様にも見えるし、この状況を楽しんでいる様にも見えた。


 「みなっちゃん、今からでも警察に行こう。ワンチャン、話くらいは聞いてくれるかもだし」


 「意味ないわ。警察がこの程度で動くなら、世の中の犯罪はもっと減ってるし、警察の残業時間はそれはもう増えることになる。行くだけ無駄ってものだわ」


 「でも……!」


 「それより、他に気付くことは無いかしら? 私に出来ることは、これを受け取った意味を汲み取ることだけ。それくらいしか、今は出来ないわ」


 「湊……」


 「それしか……本当に無いの?」


 最初は、湊の悪癖が出ただけだと思っていた。けれど、彼女は彼女なりの葛藤を抱えて、私たちのこの話を打ち明けてくれたのかもしれない。それを考えると、もう彼女の頼みを断る事なんて、出来ない。そう思うのが自然だ。


 「もう一回……読んでみる。私じゃ何にも分からないかもしれないけど、何もしないでいるのは、やっぱり嫌だから」


 「あたしも手伝うよ~。親友の一大事に、ぼけーっとしてらんないしね!」


 「ふふ……二人とも、ありがとう」


 そして、私たちは考察を続けた。どこを切り取っても、痛々しい有様を伝えるこの文章から、湊を救える何かを見つけるために。


 すっかりと日が沈み、辺りが暗くなった頃。私たち三人は場所を変え、駅前のファミレスに来ていた。辺りがザワザワと、この前の私たちの様に他愛もない話に華を咲かせる中、私ら三人は頭を悩ませていた。


 「絶対、今日は悪夢確定だわ……スプラッター映画以上に、妄想の中の光景っていうのは、くるものなのね……」


 「あたしもけっこーキツいかも。考えないようにはしてっけど、やっぱダメージはあるよなぁ」


 「私はもう慣れたわ。それに、いつもは見られない亜里砂の青ざめた顔、大変眼福だったわ」


 「なんだとー? そっちこそ、ポーカーフェイス気取ってても、内心ガクブルなんだろぉ? みなっちゃんとみっちゃんが寂しく無いよう、一緒に居るあたしに感謝しろよぉ」


 「私も含まれてるの? まぁ、確かに夜道はちょっと怖いけど……」


 「にしし……一緒に帰ってやろーか?」


 「湊も亜里砂も、帰り道は私とは反対方向でしょ? 全く……」


 ファミレスという、人の気配を存分に体感できる場所だからだろうか、私たちはすっかりと雑談する雰囲気で、ゆったりとした時間を過ごしていた。


 「けどまぁ……それにしたって嫌な文章だよなぁ。なんかその場で体験したものを書いた、っていうよりか、その場で見たもんをそのまんま言葉に落とし込んだっていうのか? 私たちの目線で書かれてるみたいで、つい想像しちまうよな」


 ふと、そんなことを言った。ただ、感想をそのまま言ったような、普段ならそうだねーで流されるような、そんなことだった。


 「亜里砂!!! それ、何でそう思ったの!!!」


 「え? え? きゅ、急にどした?」


 「私も分かんない! 分かんないけどっ……! それ、私が無意識で感じてたことだよ!」


 湊はピクッと、ほんのちょびっとだけ表情を動かした。それは間違え探しのような、注意深く見ていないと分からないほどの、一瞬の動きだった。


 「……確かに、言われてみればそうね。私たちは基本、文章を読むときは第三者だから、そこに書かれていることを無意識的に、登場人物の誰かの視点だと思い込む。登場するのが被害者の女性と犯人以外、描写が無いのだから、そういう風に捉えてしまうでしょう」


 「きっとそこだよ! それに何の意味があるのか分からないけどさ! 絶対、意味や意図があるんだって!」


 行き詰まり、緊迫感が薄れてきた私たちの間に、活路が見えた気がした。私たちは早速、もう一度その視点を持って「正しい拷問の仕方」を、読み直してみることにした。


 「やっぱりそうだ……! これ、書いた人は被害者を殺した人じゃ無い……! その横で女性が痛めつけられているのを、見てた人が書いてるんだ……!」


 「つうことはさ……やっぱ、自首したのって、犯人じゃ無かったのかな?」


 「……そこは分からないわ。でも、分かったことはある。この事件はまだ、終わっていない。少なくとも、共犯者はまだ生き残っているっていうことね」


 二ヶ月もの空白の期間。不自然に自首した犯人。数年の時を経て、湊の元へやってきた犯行記録。そのどれもが、私たちに言い表しようのない恐怖を与えてくる。空気は冷え切って、このまま談笑会、とはならなかった。


 「……きょ、今日はこの辺にしよっか? みなっちゃんは私と帰り道同じだけど、みっちゃんはどうする?」


 「お母さんに迎え来て貰う。私の家ここから近いけど、田舎寄りだから夜は暗いし、流石に怖いから」


 「そうしてもらうと良いわ。今日は急にこんな話して、ごめんなさい」


 「私は気にしてないよ……むしろ、湊が私たちを頼ってくれて、嬉しかった」


 「あたしもおんなじ! みなっちゃんがすっきりしたなら、それが一番だよ!」


 「ありがとう……そう言って貰えると、私も気が楽だわ」


 フッとこぼれ落ちるようなその笑みは、きっと作り笑いなんかじゃ無かった。それだけに、の内心は湊に対する非難で一杯だった。


 会計をして、そのまま駅前で美希と別れる。あたしは、湊とふたりっきりになった。いつものように同じ電車に乗って、いつもの順路を辿る。その別れ際に、あたしは湊に問いかけた。


 「それで? なんで、湊は嘘をついたの?」


 「へぇ……もしかして亜里砂、気付いたの?」


 「そりゃあね。湊が気付かないことを、あたしたちが気付くはず無いよ。だから、あれはただの茶番だ。ほんとは全部、知ってたんでしょ?」


 あたしは四條亜里砂しじょうありさ。不敵な笑みを浮かべた、伏屋湊ふせやみなととは小学校からの付き合いで、親友である。高校で出会った辻本美希つじもとみきとは、比べものにならないほどの時間を湊と共に過ごしている。


 だから、あたしと湊は、お互いの嘘や隠していることが何となく分かってしまうのだ。


 「久しぶりに、亜里砂の猫被りが解けたわね。私はそっちの方が好きよ」


 「そっちも、ちょっと仕込みや嘘の完成度が低いんじゃ無いの? それじゃあ美希は騙せても、あたしには通用しないよ」


 今日は満月だ。お互い、醜い裏側を隠している私たちにとっては、おあつらえ向きの日、ということなのだった。


 「じゃあ、答え合わせをしましょう。私をガッカリさせないでね? 亜里砂」

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