私たちは、もう触れても見てもいけない
黒羽椿
始まり
「ねぇ美希、亜里砂。聞いて欲しいことがあるの」
それは放課後、茜刺す教室でのことだった。親友の奏が、一冊の古ぼけた本を持って突然そんなことを言った。
「うーん? 藪から棒にどうしたのぉ?」
「あら、亜里砂がそんな慣用句を知っているなんて驚きね」
「馬鹿にすんなよなー。あたしだってカンヨークの十個や二十個、知ってるんだから」
「はいはい……で? 急にどしたの?」
湊はどちらかというと、聞き役に回ることが多い子だった。相槌を打ち、会話を広げ、場を整えてくれる。だから、彼女から話題の提供をすることは珍しかったのだ。
「この前、古本屋に行ったのよ。ああいうところって、独特の雰囲気とレトロな感じがミックスしてて凄く好きなの」
「花の女子高生がそんな場所に行くなんて、湊も相当物好きだよね」
「そお? あたしはみなっちゃんが本屋に行ってるの、凄く似合ってると思うけど」
「いや、そういう話じゃ無くて……まぁいいや、それで?」
湊は私たちの目の前の机に一冊の本と、コピー用紙の束を置いた。古めかしいそれは所々変色していて、少し汚かった。
「鈴木太郎短編集? 何これ? 有名な人なの?」
「いいえ。こんなありきたりな名前の文豪、少なくとも私は知らないわね」
「そっかー。うんじゃあ、随分マイナーな人なんだな」
「これがどうかしたの? 見た感じ、ただのどこにでもある古本って感じだけど」
確かに聞いたことの無いタイトルだ。けれど、世には毎日の様に新しい本や読み物が生み出されている。これもその内の一つのように見えた。
「こっちは話題に上げるほどでも無いの。どこにでもある……というより、本として出版されているのが奇跡の様な、さして面白みのない短編集だったわ」
問題はこっちの方だと、湊はコピー用紙の束を指さした。古書という姿のテンプレートの様なそれとは違い、こちらはまだ真新しさが感じられた。
「正しい拷問の仕方……? な、何これ?」
「うへー……ちょっと、物騒なタイトルだねぇ」
「物騒なのはタイトルだけじゃ無いわ。中身も相当に刺激が強いのよ」
湊はペラペラとコピー用紙の束を捲り、そこから一部抜粋して読み上げた。淡々と告げられるそれは、想像力の乏しい私でさえ血の気が引いてくるものだった。
「そして、男はペンチの様なそれで女の……」
「ストップストップ!!! これ以上はみっちゃんが吐いちゃうって!」
「うっぷ……」
「あら、ごめんなさい。美希がこういうの苦手なの忘れてたわ」
「もう……! 私を困らせるためとかだったら怒るからね……!」
「ふふっ。そんな意地悪なこと、私が今までしたことあったかしら」
「あたしのこと遠回しに馬鹿にしたり、みっちゃんが雷の音とか嫌いなの知ってて、不意打ちでその音声流したりとか?」
「そういうこともあったかしらね」
くすくすと笑いながら、湊は私たちの反応を楽しんでいる。こういう、意識的に配慮を欠くところは、湊の悪癖の一つだ。
「二人を揶揄うのはこれくらいにして……わざわざこんな悪趣味なものを話題にあげたのは、理由があるからなのよ」
「じゃあ、さっさと本題を話してよ……」
「案外、みっちゃんの驚く顔が見たいとかじゃない?」
「そうね。それもあるわ」
「あんたねぇ……!」
どこからが本当でどこからが嘘なのか分からない。湊はいつもそういう風にして、自分の本心をはぐらかす。
「私はとある古本屋でこれを買ったの。でもね? その時には、こっちの趣味の悪い冊子は付属してなかったの」
「……? どーいうこと?」
「それは、湊の勘違いとかじゃなくて?」
「違うわ。私がこんなインパクトのあるおまけ、見落とす訳無いもの」
「えっと……? じゃあ、なんでそれを持ってるの?」
「分からないわ。これを買ったお店に問い合わせてみても、何が何やらという口ぶりだったの」
「つまり……湊もお店も全く知らない、未知の特典が付属してたってこと?」
「そうね。脈絡も意図も不明の、不気味な付録なの」
少し、鳥肌が立った。いくつもの疑問符が浮かぶも、そのどれに対しても明確な理由や意味が予想出来ないのだ。湊がこれを私たちに話したのも、少し納得できた。
「まだ不思議なところはあるの。さっき、私はこの短編集を面白みの無い時間浪費マシーンだと言ったわね?」
「そこまでは言ってないけど……まぁ、言ったね」
「それが一転して、こっちは面白い……というか、深みのある文章だったのよ。話の内容なんかは過激だけど、それこそ目の前にその様子が再現出来るくらいに、一文一文の描写が丁寧だったの」
「そんなの、リアルに書かないで欲しいけどなぁ。みなっちゃんも、良くそんなの読めるよねぇー」
「うん……私だったら、フィクションだって分かってても、最後まで読み切れる自信無いよ」
私たちは一様に顔を暗くして、より一層不気味になった冊子を見た。中身も見ていないというのに、ホラー映画一本見たような気分だ。
「追い打ちを掛けるようだけど、最後にもう一つだけ。私は自分のことを読書家だって自負してるわ。だから、これを読んだときに不快感と同時に、もう一つのことを思ったの」
「何ー? そこに書かれてる内容がリアル過ぎて、本当に起きたことを書いたんじゃ、とか言うのー?」
「あらあら……私が言う前にネタバレするなんて、駄目じゃ無いの」
「…………え?」
ピキッと、空気が凍った。緩やかに流れていた緩慢な空気は、湊のたった一言で明らかに霧散してしまったのだ。私たちは眼を合わせて、声を震わせながら湊に問いかけた。
「も、もう! みっちゃんを驚かせようとしてるなら、もう良いって! それに、いくら冗談とは言えそれは流石にさ……!」
「そうだよ! その言い方じゃ、まるで……!」
本当に、起きた出来事を書いたみたいに聞こえるじゃないか。私たちは声に出さずとも、同じ事を思った。
「あくまで、これは私がそう感じたってだけのことよ。でもね? こんなにも分かり易く、そして無情なくらいリアリティのある文章なのよ? こんなの、頭の中だけで書けるわけ無いじゃない」
「で、でもさ……そんなこと…………」
「そ、そうだよ……じゃあそれを書いた人は、実際に人が拷問されているところを見て、それをめちゃめちゃリアルに書いたって言うの? 一体何のためにそんなことするの?」
「分からないわ。だから、二人に話したの。私一人じゃ、もう新しいことは分からなそうだったから」
湊がこうして私たちを頼ってくれるのはとても嬉しい。けれど、それにしたって頼り方というものがあるのでは無いだろうか。私は少し、この風変わりな親友を心の中で非難した。
「話は分かったけど……みっちゃんはともかく、あたしは力になれないよ? あたしの現代文の点数、赤点スレスレだもん」
「作者の意図や表現の意味を理解しろってことじゃないの。私はどうしてこんなものが存在していて、何故それが私の元へ巡ってきたのかが知りたいの」
「そっちの方が難易度高いって……」
しかし、ホラーが苦手な人がつい、その系統の作品を見たくなるようなものなのだろうか。私たちは、怖い怖いと言いつつもその話を終わらせることは無かった。
「二人に協力して貰うのだから、私の調べたことをまず共有するわ。まず、ネットでこの鈴木太郎短編集について調べてみたのよ」
「いや、協力するなんて一言も言ってないけど」
「まぁまぁ……みなっちゃんが私たちを頼るなんて珍しいことだし、話ぐらいは聞こうよ」
「亜里砂がそう言うなら、私もそれで良いけどさ……」
「へへ……安心してよ、仲間外れにはしないって! 私はみっちゃんが寂しがり屋なの、ちゃーんと知ってるからね!」
「そ、そんなんじゃ無いって! わわわわ、私は別に寂しいとかそんな……!」
「……イチャついてるとこ悪いけど、話を進めるわよ」
遠くから運動部のかけ声が聞こえる中、私たちは一つのノートを囲んでいた。それは、湊らしい几帳面で綺麗な文字に、古い新聞紙のコピーが貼り付けられていた。
「2012年8月の新聞よ。ここに、大学生の女性が悲惨な姿で発見、っていう事件があるでしょ?」
「結構昔だね……あたしら、まだ六歳じゃん」
「うん。ニュースでやってても絶対覚えて無いよ」
「私も知らなかったわ。それもそのはず、これって地方の新聞で小さく報じられただけで、テレビなんかじゃ一切報道されてなかったの」
「『19歳K大学在学の〇〇さんが、心肺停止状態で発見。その後、病院にて死亡が確認』って……結構な大事件じゃ無いの?」
「少なくとも、地方のこんな小さな片隅に書かれるような事件じゃ無いわね」
湊は淡々と、凄惨な事件のあらましを語った。本当に同じ人間が行った犯行なのかと、正気を疑う内容だ。それと同時に、あることに私たちは気付いた。
「もしかして、正しい拷問の仕方にも、同じようなことが書いてあったん……? これと似たようなことが?」
「そういうこと。鈴木太郎短編集については何も分からなかったから、こっちの方を探ってみたの。すると、こんな事件にまで辿り着いたってことよ」
「え……? じゃあ何? そのコピー用紙に書かれてる内容は本当に起きたことで、その事件の犯人、もしくは共犯者が書いたものだって言うの……?」
「流石ね。そこまで来たら、もう私が何を知りたいのか、分かるわよね?」
空気が変わった気がした。暑さすら感じなくなって、不自然に身震いしてしまう。湊が何を考えているのか、それを口にするのが怖くて、私達は黙りこくってしまった。
「これは恐らく、この事件やそれに類似したものを実際に行った者が書いた、いわば犯行日記なのよ。そんなものが、何故か私の元へやってきた。どうしてとか、何で、っていうのも大事だけどそれよりもっと――」
湊はその端正な顔を歪めて、恍惚とした表情で告げた。それはまるで……愛する人に囁くような艶やかな声で、それでいて邪悪だった。少なくとも、私はそう感じた。
「こんな面白いこと一人で独占したら、もったいないでしょう? 亜里砂と美希も、そう思わない?」
私たちの居る教室が、少しづつ赤色に染まっている。太陽が沈んで、その内月が顔を出すだろう。その薄明るくくも輝く姿は、見る者を魅了し、届かないと知りながらも、手を伸ばしたくなるような魔力が存在している。
けれど……だけれど、月というものは、あの姿ほど綺麗では無い。クレーターがいくつもあって、歪んでいる。
そして、その裏側はより、歪な見てくれをしているのだ。そんなことを、ふと思った。
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