四章 真実を知って

 アーデルハイドとカンナ、それに、アンドレア、ジェイ、アステスの五人がハリエットの執務室に入ってきた。ハリエットはそのことに驚き、戸惑いの表情を浮かべた。

 「アンドレアさま。それに、ジェイ総将とアステス補佐官まで。いま、この時期にあなた方が前線をはなれてやってくるなんて……いったい、なにがあったのです?」

 ハリエットの疑問は当然すぎるぐらい当然なものだった。

 エンカウンを奪還し、鬼部おにべを人の世から叩き出すための反撃に勢いづいているこの時期、レオンハルト国王であるアンドレアと人類軍の総指揮官であるジェイ、そのジェイの補佐官であるアステスという中核を為す三人が前線からはなれる。

 本来であれば、そんなことがあるはずがなかった。いまは勢いのままに一気に相手を押しきるべき時期であり、指揮官たちは一時たりと前線をはなれないはずだった。それが、こうしてやってくるなんて……。

 「……よほどのことが起きたのですね?」

 ハリエットは息を呑みながら尋ねた。そのことはかのたちの表情を見るだけでもわかった。

 アーデルハイド。

 カンナ。

 アンドレア。

 ジェイ。

 アステス。

 その表情はいずれも深刻で、ただならぬ雰囲気をたたえていた。

 とにかく、アーデルハイドたちは席に着いた。ハリエットはふと、思い出した。

 「そう言えば、チャップ卿はどうしたのです? アーデルハイドさまと同行していたのでしょう?」

 「チャップは鬼界きかいとうに残りました」

 それが、アーデルハイドの答えだった。

 「メイズ銅熊どうゆうちょうを探すために。逃げ兎と合流して鬼界きかいとう全域の探索に当たっています」

 ですが、と、アーデルハイドは言った。

 「いまはそのことを話している場合ではありません。アンドレアさまたちにはすでにお話ししましたが、ハリエットさまにも聞いてもらわなければなりません。わたしたちが鬼界きかいとうで見聞きしたことを」

 そして、アーデルハイドは話し出した。鬼界きかいとうでの出来事を。

 ハリエットの表情が見るみる緊張に強張こわばっていく。アンドレア、ジェイ、アステスの三人はすでに二度目なのだがそれでもやはり、表情が緊張に染まっていく。それぐらい、アーデルハイドの報告はハリエットたちにとって衝撃的なものだった。

 「……ふたつの歴史の戦い。それが、この戦いの真実だと?」

 「そうです」

 「本当の決着は鬼部おにべを倒すことではなく、天帝を納得させることでしか得られないと?」

 「そうです」

 「そして、わたしたちが勝利すれば鬼部おにべの歴史は消滅すると……」

 「そのとおりです」

 アーデルハイドは迷いなくうなずいた。

 鬼部おにべの歴史が消滅する。

 正直、それ自体はハリエットにとって問題ではない。人間を襲い、食らう鬼。その鬼が一鬼残らず消えたところで良心の呵責も罪悪感も感じはしない。しかし――。

 「……鬼界きかいとうには人間もいるのですね?」

 「はい」

 「鬼部おにべの歴史が消えればその人たちも消えてしまう。そういうことなのですね?」

 「そうです」

 アーデルハイドはきっぱりと言いきった。

 「立場こそ違えど、わたしたちと同じ人間。わたしたちがこの戦いに勝利すればその人々も鬼部おにべとともに消滅します」

 「なんてことだ!」

 アンドレアがまるでいまはじめて聞いたように頭を振りながら叫んだ。

 「この戦いに勝利することが、同胞たちの大量たいりょう殺戮さつりくにつながるとは!」

 なんたる理不尽か!

 アンドレアはそう怒り狂っている。

 「しかし……」

 アステスが遠慮がちに口にした。

 「その話は本当に正しいのですか? 騙されている、と言う可能性はないのですか?」

 正直、『ふたつの歴史』がどうのと言われてもわけがわかりませんし、信用できません。

 アステスはそう付け加えた。

 アステスの疑問は実のところ、その場にいる誰もが感じていることだった。

 あまりにも突拍子もない話でとても信用できない。しかし、アーデルハイド自身は信用している。だから、その話も本当なのだと信じ込もうとしている。そのなかで、アーデルハイド自身を疑うかのようなことを口に出来るのはこの場にはアステスしかいなかった。

 アステスの言葉にムッとした表情を浮かべたのはカンナであって、アーデルハイド自信は眉ひとつ動かさなかった。表情をかえないまま淡々と語った。

 「お疑いになるのはごもっともです。そして、正直なところ『事実である』と証明することは出来ません。事実であればこれは、わたしたち人間が干渉できる次元を越えた世界の話。まさに、『神の意志』の問題なのですから。

 わたしたちに出来るのは目覚めしものの言葉を信じるかどうか、と言うその一点だけです。わたし個人の感想で言えば目覚めしものは事実のみを語っていたと思います。根拠があるわけてはありませんがそう感じました。少なくとも、目覚めしものの言うことが嘘だとする根拠もまたありません」

 そう言われてはアステスとしても黙り込むしかない。

 「そんな話が信用できるか! すべて嘘に決まってる!」

 などと叫んですべてを否定できるほど、アステスは粗暴でもなければ単純でもなかった。このときばかりはそうであればよかったのにと思わせられたが……。

 「確認しておきたいのですが……」

 今度はジェイが発言した。

 「鬼界きかいとうの人間たちが鬼部おにべとともに消滅するのは避けられないことなのですか? 例えば、鬼界きかいとうが消滅する前にすべての人間をこちらの大陸に連れてくるなどした場合は、消滅を避けられるのですか?」

 「それはわたしも目覚めしものに確認しました。答えは無理、とのことです。鬼界きかいとうの人間たちはあくまでも鬼部おにべの歴史のなかの存在。どこにいようとも鬼部おにべの歴史が消えればともに消滅する。それは、どうしようもないことだそうです」

 それに、と、アーデルハイドは付け加えた。

 「鬼界きかいとうに攻め込めば、少なくともかんぜみ部族の家人かじんたちは鬼部おにべとともにわたしたちと戦うでしょう。かのたちは鬼部おにべを飼い主として認め、尊敬していましたから」

 「なんてことだ!」

 アステスが叫んだ。

 「鬼部おにべに飼われて喜んでいるなんて……そんなの、人間じゃない!」

 「アステス……」

 思わずそう怒鳴るアステスをジェイがたしなめた。『あっ……』と、アステスは失言に気付いてカンナを見た。

 カンナは唇をかみしめ、ジッとうつむいている。カンナも同じ思いから結果として人ひとりを死に追いやってしまった。その話はアステスも聞いている。気まずそうに顔をそらした。

 「それなら……」

 ハリエットが尋ねた。

 「決着をつけなければどうなります? あえて、決着をつけずにいればふたつの歴史はともに存在できるのですか?」

 「わたしたちがそう思っても鬼部おにべはそうはしないでしょう。すでに、かんぜみ部族は鬼部おにべとしては例外的に文明を発達させています。かんぜみ部族の文明が鬼部おにべ全体に広まったとき……鬼部おにべの勝利が決まり、わたしたち人類の歴史は消滅します。

 もし、鬼部おにべの側も文明を発達させることを放棄したらそのときは、どちらの歴史もいままで通り、破滅を迎えることになります。どちらにしても、生き残ることは出来ません」

 「それじゃ、選択の余地なんてないじゃないか!」と、アンドレア。

 「決着をつけずにいれば滅びるだけ。それなら、鬼界きかいとうの人間たちを見殺しにしてでも勝つしかない。それが、この大陸に生きる人々に対する責任をもつ、わたしたちの役目だろう」

 「そのとおりです! 例え、鬼界きかいとうの人間たちを滅ぼしてでも勝利するべきです」

 「私も同感です」

 アステスの叫びにジェイもうなずいた。

 「私たちが守るべきはこの大陸の人間であって、鬼界きかいとうの人間ではない。鬼界きかいとうの人間たちのために、守るべき人間たちを滅ぼすわけにはいきません」

 「諸国連合の王に集まってもらいましょう」

 ハリエットはそう答えた。

 「わたしたちで勝手に決めていいことではありません。諸国の王にも聞いていただいてその上で改めて討論しましょう。それに……」

 「それに?」

 「会っていただきたい方もいます」

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