三章 来訪者たち

 そこは地下の庭園だった。

 日のささない地下世界に作られた小さな池。そのなかには魚が泳ぎ、カエルなどの両生類が住み着いている。光なしでも育つコケ類や菌糸類がそこかしこに生えており、それらの植物を食べる虫たちのバリバリ、ボリボリ、ガサガサという音が響いている。

 ハリエットはその音にさすがに眉をひそめた。通常の貴族令嬢であれば決して足を踏み入れようなどとは思わない場所。もし、無理やり連れて行かれようとすれば『そんなところに行くぐらいなら死んでやる!』と大騒ぎするにちがいない場所。

 いくら、ハリエットの使命感と義務感をもってしても、その場への嫌悪感を完全に消すことは出来なかった。いくら、その場所が自分が望んで作らせた場所であったとしても。でも、それでも――。

 クンクン、と、ハリエットは鼻を鳴らしながら言った。

 「不思議です。ここには下水のあの醜悪しゅうあくな匂いはしません。空気も淀んでいない。同じく排水を処理するための場所だというのに……」

 「当然じゃ」

 ハリエットの声にふんぞり返って応じたのはチノ。ポリエバトルからやってきた博物学者。

 「時代遅れの下水が匂うのは生命の循環を無視した作りだからじゃ。そこに、意図せず様々な生き物が住み着くことであの悪臭が生まれる。ここはちがう。ここは下水などではない。このわしが何十年もかけて日のささない洞窟内の生態系を読み解き、再現し、さらに発展させた地下庭園じゃ。ここには最初からすべての排泄物を浄化できるよう計算し尽くした生き物たちを住まわせておる。空気も淀まぬよう、常に循環するよう作っておる。匂いも、空気の淀みも、存在するはずがないわい」

 どうじゃ、すごいじゃろう。ほめろ、ほめろ。

 そう言わんばかりのその態度。偉ぶった学者と言うよりも調子に乗った子どものようにしか見えない。しかし、この地下庭園が大した場所なのは確かだった。

 ハリエットの依頼を受けてチノが作りあげた地下庭園。下水にかわる、排泄物処理のための場所。その実証試験場だった。

 チノの住んでいる家の地下。日々、チノ自身の垂れ流す排泄物がこの池にそそぎ込まれる。流し込まれた糞尿は池に住み着いている生き物たちによって食べられ、その生き物たちはさらに大きな生き物たちに食べられる。大地に吸収された養分は苔や菌糸類が吸収し、自らの栄養源としてその身を育てる。

 育った苔類を虫たちが食べて育つ。その虫たちは定期的に収穫して鶏たちの食用に当てる。鶏たちはその虫たちを食べて卵を産み、肉を提供してくれる。

 チノは日々、自分の家で食い、眠り、排泄しながら、自らの考案した『まったく新しい下水』である地下庭園の状況を記録し、運用実績を積み重ねている。いつか、この地下庭園を大陸中に広め、従来の下水に取って代わらせる、そのために。

 「下水ではなく、地下庭園。下水掃除人ではなく、地下庭園の庭師。そう呼び方をかえるだけでもたしかに、職業に対する印象はかわりますからね」

 「失敬な!」

 ハリエットの言葉に――。

 チノは憤然として見せた。相手が『国王』であることなどまるで意にも介さないその態度。チノにとっては非礼でもなんでもない。なにしろ、かのにとっては自分より優れた人間などこの世にいないのだ。天下万民ことごとく自分を崇め奉り、教えを請うべきなのだ。そのチノにとっては『たかが国王』ごときに例を守る理由なぞない。

 「この地下庭園は単に名前をかえただけではないぞ。役割そのものがまるでちがう。従来の下水は単に人間の垂れ流す汚れを押し流すだけ。しかし、この地下庭園は排泄物を生命の循環に乗せ再び、食糧へとかえる仕組み。文化的な洗練度がまるでちがう。名前だけかえたように言うでないわ」

 「そうでした。申し訳ありません」

 ハリエットは素直に頭をさげた。

 「わかればよい」

 と、チノは生徒に持ち上げられて悦に入る老教師そのものの態度でふんぞり返った。ちょっと持ち上げられただけでホクホク顔になるその態度は『かわいい』と言えば言えないこともない。ほとんどの場合『この糞ジジイッ!』としか思われないだろうが。

 「当然、この地下庭園の庭師たちは単に汚れを落とすだけの底辺労働者などではない。生命の循環を司り、日々の糧を与える存在となる。人々からの感謝と尊敬を捧げられる存在にな。それこそがおぬしの望みじゃうろが」

 「……はい」

 チノの言葉に――。

 ハリエットは真摯しんしにうなずいた。あまりにも真剣すぎて言葉がすぐには出てこないほどに。

 『誰もやりたくないが誰かがやらなくてはならない仕事』がある限り、奴隷はこの世に必要とされる。だから、『誰もやりたくないが誰かがやらなくてはならない仕事』そのものをなくすことで差別をなくす。まったく新しい仕事として定義しなおすことでその職に従事する人々を、世間から蔑まれ、見下される存在から、人々の感謝と尊敬を得られる存在へとかえる。

 それがハリエットの悲願であり、『地道に働く人々が報われる国を作る』という理念そのものの現実化だった。

 そのはそんなハリエットの思いを知っている。知っているからこそ何度もうなずいた。

 「その意気や良し。わしがその思いを叶えてやろう。この地下庭園には人間の排泄物を養分にして植物が育ち、その植物を食うことで虫が増える。その虫を収穫して鶏たちの食糧に当てる。それだけでも人間は卵や肉を手に入られるようになる。だが、それだけではないぞ。ついてくるがいい」

 堂々と『国王相手に』命令して、チノは歩きだした。ハリエットはおとなしく従った。これがもし、かつてのレオンハルト国王レオナルドだったらその場で激昂げっこうし、八つ裂きにするところだ。もちろん、ハリエットはそんなことはしない。自ら『教えを受ける師』として選んだ以上、態度がどうあれ、素直に従う。

 ふたりは地上に出た。チノの家の裏手。そこには湧き水が湧き出しており、小さな湿地帯を作っていた。その周りには小さな作で区切られた牧草地があり、雌牛が一頭、はなされている。さらに、その隣には畑が広がり、様々な作物が育っている。

 「地下庭園で浄化された水はこの湿地帯に湧きだし、この場で最終的に浄化される。この水は排泄物の養分がたっぷりと含まれた水じゃ。この水を放牧場にまいて牧草を育て、ウシを育てる。そして、畑に使い、作物を育てる。そのウシの乳と肉を、作物を、人間が食う。そして、また排泄……と、ここに生命の循環が完成する。これこそ文明であり、文化というものじゃ」

 チノは自慢げにそう言うと、身を屈めた。湿地帯の水をカップに汲んだ。そのカップをハリエットに差し出した。

 「ほれ。飲んでみい」

 「えっ?」

 いきなりのことにハリエットがさすがに戸惑うと、チノはかんらかんらと笑って見せた。

 「安心せい! もとはかわやから排出された水とは言え、自然の作用によって完全に浄化されておる。その証拠に見よ。わしは毎日、実証試験のためにこの湿地帯の水を飲んでおるが健康そのもの。腹を壊したこともなければ病気にもなっておらん」

 ハリエットはカップを受けとった。

 なみなみと汲まれた水をじっと見つめた。

 見た目は普通の水。しかし、糞尿の混じっていた水。いくら『浄化されている』と説明されたからと言っても、通常の貴族令嬢なら絶対に飲んだりしない、受け取ろうともせずに逃げ出す水。

 しかし、ハリエットは貴族令嬢ではない。国王だ。国王としての義務感と責任感がある。そして、『人の世から差別をなくす』という強い使命感がある。その使命感のままにハリエットはカップのなかの水をあおった。

 「普通の……水ですね」

 湿地帯の水は拍子抜けするぐらいに『ただの水』だった。とくにおいしいというわけではないが、匂いもしなければ変な味もしない。本当に日頃、飲んでいる『普通の水』だった。

 「そうじゃろう、そうじゃろう。自然の仕組みをうまく使ってやれば糞尿まみれの水と言えど普通に飲める水となる。これぞ自然の浄化作用の偉大さ。そして、その仕組みをうまく活用したこのわしの偉大さじゃ」

 そう言って――。

 かんらかんらと高笑いするチノだった。


 チノと別れたあと、ハリエットは執務室にこもった。書類に囲まれたまま、未来の構想にふけった。

 「……地下庭園の実証試験は終わりつつある。この国全体に地下庭園を作りあげ、その水を使った農園を作る。そして、その管理を下水掃除人たちに任せる。単に下水の掃除と言うだけではなく、食糧の生産者としての顔もあれば人からの尊敬も得られるし、収入も増える。そうなればもう蔑まれ、見下されることもなくなる。なくなるはず。そうなれば、子どもたちの将来も広がる。ゴーレム技術を応用して家畜の解体を自動化し、墓掘りも……とにかく、この世から『誰もやりたくないけど誰かがやらなくてはならない仕事』をなくす。そんな仕事がある限り、奴隷は必要とされるのだから。そして――」

 ――次には人と人が争う必要のない仕組みを作る。

 ハリエットは断固たる決意を込めて心に呟いた。そのときだ。執務室の扉が叩かれた。あわてた声がした。

 「陛下! ハリエット陛下! レオンハルトからアンドレア陛下がお越しです! アーデルハイドさまもご一緒です!」

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