二章 『新しい国』の苦悩

 ハリエットの宮殿では恒例の晩餐ばんさんかいが開かれていた。

 招かれているのは家畜の解体人に下水掃除人、それに、墓掘り人夫。日頃から世間から蔑まれ、見下され、見かければ唾を吐きかけられる。そんな暮らしを送っている人間たちとその家族。その人間たちがいま、水準からしたら質素なものとは言え、一国の宮殿に招かれ、もてなされている。テーブルの上に並ぶご馳走の数々と一瓶が一ヶ月分の食費にも相当する高級酒。ハリエット自らがメイド服を着込んで接待している。想像もしたことのない事態に、招かれた客たちは誰もが目を白黒させている。

 そんな人々に向かい、ハリエットはにこやかに語りかけた。

 「本日、集まっていただいたのは『誰もやりたくないけど誰かがやらなければならない仕事』についている方々。報われないなかで日々、自分の職務を全うし、わたしたちの生活を支えてくださっている方々です。そのご苦労に報いるためにささやかな宴を開かせていただきました。どうか、今宵こよいはすべてを忘れ、お楽しみください」

 ささやかな宴。

 ハリエットはそう言った。

 それはまちがってはいない。かつて、レオンハルト王国で毎夜のように開かれていた貴族たちの舞踏ぶとうかい晩餐ばんさんかい。とうてい食べきれない料理と酒が用意され、専任の楽団が音楽を鳴り響かせ、踊り明かす。消費された量の二倍もの料理と酒が下水に捨てられるような、そんな豪勢極まりない宴に比べれば、ハリエットの開く晩餐ばんさんかいはたしかに『ささやか』と言ってよかった。

 しかし、その日のパンにも事欠くような給金でしかも、誰からも見下されるような仕事をしている人間たちにとってはまさに夢の国。想像したこともない贅沢な一時。最初の内こそ戸惑い、目を白黒させていたものの、場の雰囲気に慣れると夢にも出会えなかった料理と酒をむさぼるのに夢中になった。

 もちろん、上級階級のマナーなどなにも知らない人間たち。その振る舞いは『よく言ってがさつ』といったものであり、世話役のメイドたちは等しく嫌悪の目を向けていた。

 それを責めるわけにはいかないだろう。主催者であるハリエット自身『かのたちはマナーを習えるような立場にいなかったのだから……』と、何度もなんども自分に言い聞かせ、出席者たちの粗暴な振る舞いを見て見ぬ振りをしなくてはならなかったのだから。まして、ハリエットに命令されてメイド役を演じている女性たちが好意的になれるはずもなかった。

 いくら、家畜の解体や下水掃除が自分たちの暮らしを支えるための必要不可欠な仕事であると頭で理解したとしても、貴族であれば当然、知っているべきマナーの欠片も知らない階層の人間たちと関わることへの不快感はどうしようもない。

 ともあれ、宴自体はつつがなく終わった。せっかくの機会だからと限界以上に酒とご馳走を詰め込んでパンパンになった腹をさすりながらゲップを繰り返し、爪先で歯をせせりながら帰って行く、その姿を見せられるのはどうしようもなく不快ではあったけれど。

 ――貴族と比べてはならない。かのたちには貴族のような教育を受ける機会がなかったのだから。そして、あの人たちをそんな境遇に閉じ込めてきたのはまぎれもなく貴族自身。わたしも含め『自分のやりたくない仕事』を他人に押しつけてきた人間たちなのだから。

 自分で自分にそう言い聞かせながら、ハリエットは黙々と後片付けをした。もちろん、

 「国王たるお方がそんなことをしなくても……」

 そう眉をひそめるものも少なからず存在した。それでも、ハリエットはこの晩餐ばんさんかいの準備と後片付けは自分で行った。

 「わたしたちのしたくない仕事をしてくださっている方々に報いることがこの晩餐ばんさんかいの目的。その準備と後片付けを他人に押しつけていては意味がありません」

 そう言い張って。

 後片付けを終えたあと、ハリエットはメイド服から私服に着替え、執務室に籠もった。今日は朝から晩餐ばんさんかいの準備にかまけていた分、国王としての仕事が溜まっている。小さな部屋を占拠する大量の書類。そのすべてを朝までに処理してしまわなくてはならない。

 後にまわす、ということは出来ない。どんな理屈をこねようと晩餐ばんさんかいの準備にかまけて国王としての仕事がおろそかになる、となれば本末転倒。誰の理解も得られるわけがない。晩餐ばんさんかいの準備と後片付けを自分で行う以上、国王としての仕事は遅滞ちたいなくこなさなければならない。

 はああ~、と、ハリエットは大きな溜め息をついた。

 あまりの仕事の量についつい嫌気がさした……わけではまったくない。この程度の徹夜仕事、勇者一行の一員として戦闘以外のすべての仕事をこなしていた頃から当たり前にやってきた。溜め息をついたのはまったく別の理由でだった。

 「あの人たちをもてなすことは出来るけど……それでなにかが解決するわけではない」

 ハリエットがため息を漏らしたのはまさに、その一点だった。

 家畜の解体人に下水掃除人、墓掘り人夫。日頃、誰からも蔑まれ、見下され、決して評価されず、認められず、それでも黙々と自分の仕事をこなしている人々。そんな人々を宮殿に招き、一夜の夢を見せることは出来る。

 しかし、それだけだ。人並みの給金を払えるわけではないし、世間のかのたちを見る目をかえられるわけでもない。夢から覚めれば結局は目先のパンにさえ事欠く給金と、将来の展望などなにも描けない暮らし。そして、なによりも、世間からの差別という現実がまっている。

 それは、ハリエットがいかにかのたちの重要性を訴え、そのために晩餐ばんさんかいを開こうとかわらない。むしろ、悪化している。

 「なんで、あんな連中が陛下直々にもてなしてもらえるんだ」

 そう不満を漏らすものがいることをハリエットも知っている。官僚のなかには面と向かってそう訴えかけ、不快感をむき出しにするものもいる。

 「ならば、あなたも下水掃除や墓掘りをしてください。そうして世間に対する貢献度を重ねてください。そうすれば、いつでも晩餐ばんさんかいにお招きします」

 ハリエットはそのたびにそう言って聞かせる。そうすれば一応は引きさがる。苦虫を噛み潰したような表情で頭をさげ、なにも言わなくなる。しかし、それもしょせんは表面上のこと。押し黙った心の底では不満と嫉妬が渦巻いている。

 それは、もっとも弱い存在である子どもたち相手に吹き出している。実は最近、下水掃除人や墓掘り人夫の子どもたちが石を投げられ、いきなり、殴りつけられたり、といった事件が増えている。この子どもたちはいままで見下されるだけの存在だった。だから、逆に攻撃の対象とはならなかった。

 関われば自分も汚れる。

 その思いがあった。

 だから、誰もが関わること事態を避けていた。見下される存在であるが故に攻撃を受けることだけはなかったのだ。それが、『下賤げせんの輩のくせに国王からチヤホヤされている』というねたみが加わった。そのねたみが攻撃に転じているのだ。

 ハリエットはそのことに対し、なんら手を打てずにいた。

 「法で行為を禁じることは出来る。だけど、法で人の心を縛ることは出来ない。無理に法で縛れば不満が高まり、国をふたつに割る原因となりかねない。そんなことになればせっかくの『新しい国』が……」

 日の当たらない場所で、地道に自分の職務に励む人々の報われる国を作る。

 その思いのもとに作りあげた『新しい国』。

 しかし、理念はまだまだ現実のものとはなれていなかった。

 「……結局、あの人たちがさげすまれるのは『誰もやりたくない仕事』についているから。根本的に解決しようと思えば『誰もやりたくない仕事』についている人をもてなすのではなく、『誰もやりたくない仕事』そのものをなくさなければならない」

 それを思うとさしものハリエットも頭痛がしてくる。そんなことが本当に出来るのだろうか?

 「……とにかく、いまは目先の仕事を終わらせないと」

 ハリエットはそう言って山と積まれる書類を片付けにかかった。それは大変なことに思えたが、実は――。

 ハリエットにしてみれば本当の難題から逃れることの出来る貴重な時間なのだった。

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