【早かった】

「いやぁ、早かった!」


これがIさんの第一声。


私は初め、何が早かったのか理解できずにキョトンとしてしまった。


その後、Iさんは「早かった。早まったと思うよ。」とため息混じりに言う。


まだIさんの意図を理解できなくて、返答に困っていると、Iさんは、


「いや。俺はね、神山さんは辞めると決めるのが早すぎたんじゃないかと思ってるんだ。」

と説明した。


辞めることを決断済みの自分には全くなかった考えだったので、かなり驚いた。

「えっ、そうなんですか!」としか言葉が出せなかった。


Iさんは、普段から温厚な人だ。

酒が入ると楽しい酔い方をする人で、飲み会の時はいつも楽しませてくれた。

そんなIさんの気分が悪くなるような反論はしたくなかった。


だから、「もう決めたことなので。」というような発言はできない。

ましてや、シン・課長に言った「私が辞めたら喜ぶ人がたくさんいると思います。」という後ろ暗い発言は、この場で言ってはいけない気がした。


言葉選びに手こずって、全く言葉が出てこない私にIさんは、


「いやぁ、もったいなかった、、、早すぎるよ、、、俺は早まったと思うよ。」


と、残念そうな表情で呟いた。


私はこの時、Iさんの言わんとしていることを完全には理解できていなかった。

「そうでしたかねぇ。」と腑抜けた返事しか出なかったから。


そんな私にIさんは諦めたのか、「いや、でも、もう決まったことだもんなぁ。今までお疲れ様でした。」と言った。


私は「こちらこそ、短い間でしたが大変お世話になりました。」と頭を下げた。


Iさんと別れて、児童館の階段を降りる時。

Iさんの言葉について考えた。


Iさんは、「辞めないで休職して、児童館に籍を置けば状況は変わるよ。」と伝えたかったのかなぁ。


でも、どうしても私には、この組織にいる限り、また同じことを繰り返す気がしてならない。

この先、Iさんの言うように時間を置いて、この組織に居続けたところで、「辞めないでいてよかったな」と思える日は来るのだろうか?

私にはどうしても、「永遠に来ない」としか考えられなかった。


Iさんには申し訳ないけども、辞めて良かったんだよ。

この時はそう思いながら、児童館を出た。


※本章の【もう1つの選択肢】の注意書きに書いた内容とかぶりますが、この時の私は視野が狭くなっていました。

「この職場にいても、自分には地獄しかない。」としか考えられませんでした。


町役場を退職してから、Iさんの言葉のように「辞めるの早まったわぁ。」と後悔したことは一度もありません。


しかし、時が経ち、メンタルの異常で視野が狭くなっている時は、少し時間を置いて決める方法もあると知りました。

あの時、Iさんはこのことを言いたかったのかもしれません。

当時は児童館のボランティアさんが不足していたので、困っていたがゆえの言葉だったのかもしれませんが。


社会人経験が長くなれば、多少の生き抜く知恵も付きますよね。

だから、「辞めないでいたら生きる知恵が付いて、案外、生き残れるかもしれないよ。」

Iさんはそういうことも言いたかったのかもしれないです。

歳を重ねて、Iさんの言いたかったことをなんとなく見えてきた気がします。


しかし、当時の職場の状況を考えると、『生き抜く知恵』というのが、果たして私にとって良いものだったのかどうか。

正直、それについてはなんとも言えません。

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