【教育長の話】

シン・課長の用件はなんだろう?

退職願に不備があったかなぁ?

また職場に行かなきゃならないのかなぁ?


ソワソワしながら電話に出た。


「教育長がね、最後に話したいって言ってるんだよね。場所は児童館でいいと言ってるけども明日、会えるかい?」


明日は何か用事があるわけないので、「はい。会えます。」と返事をした。


教育長かぁ。

大きなため息が出て、動悸もしてきた。


実は、教育長といっても威圧感があるけども私には優しく接してくれた、あの教育長(第2章【合いの手②】参照)ではない。

教育長は、昨年度の途中で退任された。


後任は、私を「コミュ障」と罵った指導主事だ(第2章【コミュ障①・②】参照)。


教育長に就任後は、パワハラの言動がなくなった。

しかし、指導主事の時に言われた言葉の数々は割り切れるものではない。

面と向かって話すのが怖い。

明日、私は教育長に何を言われるのだろう。


翌日。

ドキドキしながら児童館へ向かう。

昨日、「お世話になりました。」と言ったので事務所の人たちと顔を合わせるのが気まずい。

苦笑いしながら挨拶した。


シン・課長との面談を行った部屋に向かうと、今度は教育長と向き合って座ることになった。

近くにはシン・課長も座っている。

今までのことを思い出すと、気持ちが重くなるシチュエーションだ。


恐る恐る、「おはようございます。」と挨拶をして、椅子に座った。


教育長の方から「退職の意思を聞いて、話したいことがあって来てもらったんだ。」と切り出した。


また嫌味でも言われるのだろうか?

私は固く身構えた。


「実は、うちの息子が仕事を辞めてね。」


拍子抜けした。

話したいことというのは、自分の身の上話ですか。


どうやら教育長には私と歳が近い息子さんがいるらしく、私と同じように突然「仕事を辞めたい」と言ってきたそうだ。

息子さんはしばらく無職の期間があったが、現在は親元から遠く離れたところに、アルバイトに行ってしまった。

ここで話は終わった。


私はまだ、完全に思考できる状態ではない。

大変失礼ながら、話を聞いている間、「なぜこの話を聞かされているんだろう?」と考えていた。


私と同じような境遇の息子さんの話をしたかっただけなのか。

あるいは、「お前は(息子さんと)同じようにならないでね。」という悪い意味の念押しか。


結局、どういう意図なのかわからない。

教育長に直接聞く気力もなかった。


ただ、教育長が息子さんについて、「子どもの時から将来何がしたいか、自分で決められなかったんだよなぁ。」と呟いていたのは、はっきり覚えている。


私も息子さんと同じだからだ。

自分でこの先のことを決められる人にものすごく憧れていた。

私はそれができないまま、大人になった。


でも、教育長の話を聞いて、自分のことを決められないのは私だけではないと知った。

私や教育長の息子さんは、恐らく、何事もやってみなければわからないのだろう。

だから、躓くこともたくさんあるのかもしれない。


一通り自分の話をした後、教育長は「これから先、頑張ってください。」と話を締めくくった。


私は「お世話になりました。」と頭を下げた。


シン・課長は、「この前話した時より顔色も良くなっていて良かった。」と言って、教育長と去って行った。


教育長とシン・課長が部屋から出て行った後、児童館の主査Iさんが部屋に入って来た。


Iさんと二人でまともに話すのは、初めてだ。


Iさんは、予想外の一言を切り出した。



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