【勉強だけ『は』できるよね②】
【勉強しかできない】というのは、元々私が自分自身に対して感じてきた評価だった。
私は幼少期から【自分は何もできない人間だ】と思っていた。
そのくせ『使える人間になりたい』という願望を抱いていたため、それを叶えられない自分が嫌だった。無力感から悲しくなることもあった。
自尊心はすこぶる低い私だったが、小学生の時に勉強の『わからないことがわかる楽しさ』を体験した。
小学4年生の時だったか、進○ゼミのような子ども向け教材を始めた。算数の教材を開いてみたら解説が教科書よりもわかりやすくて、分数の計算ができるようになった。そしたら算数が楽しくなって、その楽しさは別の教科にも波及した。
何もできない自分でも楽しくやれることがある。やればやるほどテストの点数も伸びる。初めて目に見える結果が出たことが嬉しかった。
嬉しいを通り越して奢る気持ちが出てしまい、痛い思いをしたこともあるけれども。
詳細は割愛するけれども、この件はすごく反省したし、今も後悔している。
でも、わからないことがわかるのが楽しいから、奢る気持ちは捨ててその後も積極的に勉強していた。
しかし、勉強以外のことに対しては、相変わらず価値を感じなかった。
だから、私の頭の中には【勉強しかできない】という言葉がこびりついて離れなかったし、【勉強しかできない】は自分の中で持ち続けたコンプレックスだった。
だから、管理課副主幹から「勉強だけはできるよね」と言われる度に、「そうですよね〜。やっぱり私は何もできなませんよね〜〜」と、どうしても思ってしまう。
そして、自分の無力感を認めざるを得なくて泣きたくなる。
もしかすると、管理課副主幹は相手のコンプレックスを見抜いて自己肯定感を下げるのが得意なのかもしれない。
管理課副主幹のようなネチネチパワハラの標的にされたくなければ、ある程度の自尊心が必要なのだろう。
自己肯定感の低下を仕掛けられても自尊心があれば、「そんなことはなーい!」と跳ね返せる。
そんなネチネチパワハラタイプの管理課副主幹には、超強力なサポーターがいた。
部下のLさんである。Lさんは私より1年先輩で正職員の女性。いつも笑顔で挨拶する人で第一印象はよかった。
教育委員会に配属された時は、歳が近くて自分と同じ正職員の女性がいることが心強くてホッとした。
しかし、管理課副主幹が私に絡み始めると、Lさんは打って変わって冷たい人に変身する。
管理課副主幹の言葉にダメージを負う私は、Lさんの合いの手によってさらに追い討ちをかけられるのだった。
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