11
一秒遅れて、彼は事態を理解する。迫る龍を囮にして、僕が死角に潜み刃を研いでいた事実に。そしてそれが今、自らの刃を凌駕したことに。
力を削がれた執行者の起死回生の一手。喉奥に潜ませた銃口を露わにし、業火を吐き出す。
その動作が、ゆっくりと手に取るようにわかった。研ぎ澄まされた思考に、世界の全てが明瞭に感じられる。火を噴くよりも先に、銃口を切り落とす。凶器を失ったその身体を、大樹の根で縛り封じる。
「終わりだ、執行者」
きつく握った儀式刀に、力をそそぎ込む。鈍色の刀身が、大樹トネリコから受け取った潤沢な力を得て黄金に輝く。夜明けを告げる太陽のようなまばゆさだった。刃が閃く。世界を守り、育む。未来を拓くための力。その全霊をもって、世界に仇成す厄災を祓う。
『……そんな、このわたしが、こんな枯れた世界にやぶれるというの――……』
小刻みにふるえた口端からごぽりと体液がこぼれた。僕と、多くの命と同じ、真っ赤な色。淡い光の粒が執行者から漏れるようにあふれ出した。その姿がみるみるうちに変貌し、異形の破壊兵器から、天使本来のものに戻っていく。
力を失った天使はがくりと膝をついてうなだれる。黄金の羽は剥がれ落ち、彫刻を思わせる精巧な美しさはくしゃくしゃに萎びて、もはや見る影もない。
『ははは……』
乾いた嗤いが響く。ぐるり、油の切れた機械人形のぎこちなさで、首だけがこちらを向いた。
『私を倒したところで無駄、です。反逆は既に創造主たちの耳に届いています。すぐに次の使者が送られてくるでしょう。裁定者ではありません。この世界に、もはや裁定は必要ない。必然なのは滅びのみ。来る執行者によって、反逆の意志諸共この世界は滅びを迎えるでしょう。はは、はは……! お前は愚かな選択をした! 世界を守るといいながら、お前の存在がこの世界に滅びをもたらす! なんて愚か、なんて滑稽!』
はははは! 響く笑い声はどこか調子外れで、まるでネジが外れたみたいだった。天使の仮面が落ち、皮が張がれ、本性をむき出したかのような。僕はそれを正面から見据え、毅然として告げた。
「何度だって来るがいい。誰がこようと、何が起ころうと。打ち倒すだけだ」
天使は依然笑っている。
『フ、それが愚かだという。際限のない戦いだぞ? そのたび世界を危機にさらすつもりか? 全ての命を、営みを、平穏を、そのたびに守れるとでも?』
「もちろん」
迷いはなかった。
「僕は世界を危機になどさらさせない。驚異の影など民に気付かせず。全ての驚異を打ち払う。この物語を平和なままに守ってみせるさ」
血の通った瞳をじっと覗く。見据えるのはその奥。この光景をどこかで視ている、世界の管理者たち。僕の言葉は彼らへの宣戦布告だ。
『戯れ言を――』
歪んだ笑みを浮かべたまま、天使の輪郭がぼやけていく。少しずつ、溶けていくようにその存在が薄れていく。
『精々、後悔するがいい……』
「しないさ」
恨めしげに睨んだ天使にむけて、僕は悠然と微笑んだ。
僕の言葉が届いたかは定かではない。砂の城が崩れ落ちるかのごとく、天使の身体は完全に崩れ、消えてしまった。
やさしく吹き抜けた風が、光の残滓を運んでいく。残るのは静寂。
災厄は退いた。この世界を脅かす脅威はもうない。
けれど――。
僕は神樹へと走る。一刻も早く、彼女の元へと。
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