9

 


 一面の黄金色が視界を埋め尽くしていた。まぶしさに目を細め、それとほぼ同じくして、妙な浮遊感に包まれていることに気付く。先まで這っていた大地は遙か眼下。やわらかなぬくもりに抱かれて、身体はふわりと宙に浮かんでいる。


「これは……」


 いったい何が起きたというのか。全身を苛んでいた苦痛が消え、驚くほどに身体が軽い。焼けただれた皮膚も、断ち切られた肉体も、全ての傷と痛みが癒えている。確かめるように見つめた手のひらを握っては開く。指先から足の先まで自由自在、感覚も元通り、いやそれ以上に鮮明に感じられる。

 神樹の大きな幹が黄金色に光り輝いていた。それと同じ光が僕の身体を包み込んでいる。光を通じて、大樹と彼の司る世界に触れる。連綿と紡がれてきた命たちの記憶。語り尽くせぬほどの物語によって編み込まれたタペストリー。激しくも優しく、悲しくも愛おしい。ありふれた、けれど尊く美しい――。それらのすべてが僕のなかに流れてくる。肉体を駆けめぐり、心臓を打つ。迸る脈動。身体の奥から生命力が泉のように溢れてくる。温かくて心地良い、満ち足りた感覚。

 感嘆が吐息となって漏れる。漲る無限の力が身体の隅々までを満たしている。熱を帯びた身体に反して、思考は凛冽たる真冬の空気のように冴え渡っていて。見渡し、感じた事象の全て即座に理解していく。


『貴様……その力は……!』


 眼下から執行者の声が届いた。見下ろしたその相貌は驚愕と焦燥を鮮やかに写していて、これまでの無機質さが嘘のように感情に溢れていた。

 僕を満たす力。その正体に彼も気付いたのだろう。

 にたり、と笑みを含んで。僕は執行者を見据える。そうして――堂々告げた。


「ご明察! 我が身に満ちるは神樹の力。我は今、世界の神と相成った。託されたこの力でもって、世界を亡ぼさんとする災厄を祓う!」


 黙する世界の神に、僕の声は届いたようだ。

 神樹は声に応え、その力を僕に与えた。肉体を癒すと共に叡智や権能、すべての力をを注ぎこんだのだ。再構築された僕の肉体は神樹と深く繋がり、完全にシンクロナイズしている。

 創世から現在にわたるまでの全ての出来事。積み重ねた歴史とともに在った命の脈動。全てを内包した大いなる神の力――この世界の息吹そのもの。それが僕の中に芽吹き、息づいているのがしっかりと感じられる。

 

『神に成った、だと……? 思い上がるな。枯れかけた世界の神の力を得たといって何ができる! その驕傲ごと、皆まで焼き払ってくれる!』


 執行者の瞳がギラリと光る。地響きと共に大地を裂き、吹き上がった業火が唸りを上げて牙をむく。全てを灰燼に帰す獄炎の竜。迫り来る熱気だけで大気が揺らぎ、息をすることさえ難しい。

 希望を打ち砕き、ねじ伏せようとする破滅の厄災。しかし、僕の心は驚くほど穏やかだった。先ほどまでの歯が立たなかったそれを前にしても、畏れ、たじろぎない。心は凛と凪いでいて、不思議と自信があった。

 それは確信に変わる。迫る火龍。大きく開いたその口腔を、正面にかざした右手でもって受け止め、相殺する。


『何ィ!?』


 歪さを増す執行者の表情に、そんな顔ができたのかと感心する。彼が驚くのも無理はない。だって、僕だって驚いている。こんなにも容易く、執行者の力に打ち勝てるなんて。

 誇張なく、執行者の業火は世界そのものを焼き払える力だ。そんな慈悲すらないはずの破壊の一撃を打ち払って、そうしてなおも尽きることのない力が溢れてくる。にわかには信じられない。

 神の力がこれほどまでのものとは思ってもみなかった。こんなにも偉大な力を、神は――この世界は秘めていたのだ。

 笑みがこぼれた。大いなる力を得て、興奮状態にあった。それもある。だが、純粋に嬉しかった。希望がみえた。僕はこの世界を救う、救ってみせる。

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