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『抵抗は無意味です。おとなしく裁きを受け入れなさい』


 蜘蛛を思わせる複腕が処刑の場へと罪人を手招く。

 僕という存在を切り刻もうと踊る刃、その全てが既に喉元まで差し掛かっている。

 もう、後には引けない。

 目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。


 ――まさか。こんなことになるなんてなあ。


 崖っぷちの状況とは裏腹に、思考はのんきにそんなことを思う。

 裁定者として公正にこの世界を判断し、いつものように仕事をこなす。そのはずだったのに。

 想定外のことだった。あまりにもきれいな花に出会ってしまった。

 花のように儚く、小さく、美しい命。その温もりに出会ってしまったから。気高く尊い心を知ってしまったから。

 愚かにも、そちらの方が大切になってしまった。

 この選択をする自分を、以前の自分が見たら驚きと軽蔑のまなざしを向けたことだろう。こんな状況になってもまだ、可笑しくて笑ってしまうくらいには、自分でも信じられないことなのだから。


「僕が裁かれた後、この世界はどうなる?」


『新たな裁定者が送られるでしょう。そして、再び公正に、その存在の可否を審査されます』


「そうか」


 僕の次に送られた裁定者は。きっとおそらく、最初にこの世界をみた僕と同じように、存続させないという判断を下すのだろう。


「なら僕はまだ、裁かれるわけにはいかないな」


 儀式刀を手に握る。全てをかけるには小さな一振り。


『抵抗するのなら、私の刃は罪人のみならず、この世界にも及ぶでしょう。大人しく裁きを受け入れなさい。そうすれば、少なくとも次の裁定までこの世界の存続は約束されます』


「少なくとも、だろう。次の裁定者だってきっと、僕と同じ判決を下すはずだ。そうすればどのみち同じだ。だったら、精一杯の抵抗をして、裁定自体を阻止してみせるさ」


『……。執行の拒絶、さらに罪を重ねる気ですか』


「言っただろう。創造主たちのシステム、その全てを否定するって」


『理解に苦しみます』


「それは残念だ」


『これ以上の会話は不要。時間の無駄です。この世界諸共、消えなさい』


 言い放つとともに、裁定者は天高く掲げた腕を一気に振り下ろした。ゆるやかな動作から繰り出されるのは、大気を歪め空を断つ凶刃。押し出された大気がうねりを起こし、全てを切り裂く驚異となって降りかかってくる。 

 迫り来る刃に目を凝らす。牽制の一撃は単調で、一直線に僕をめがけて飛んでくる。だからといって軽率に避ければ、花畑や大樹に被害が及ぶ。ならばと、前方に大気の防壁を作り、受け止める。


「ぐ……っ」


 すさまじい圧力と衝撃。なんとか防げたが。たった一撃が重い。防壁越しだというのに、腕がびりびりとしびれた。ただ腕を振り下ろしただけでこの威力だ。すさまじい破壊者の力。その本領が発揮されたとすれば、到底太刀打ちはできまい。


『わかったでしょう。抵抗は意味をなしません。足掻くだけ無駄なのです』


 心に浮かんだ小さな諦観、それをなぞり突きつける執行者の声。だからといって、はい分かりましたと諦めて、おとなしく断頭台に立つような潔さはない。

 僕が倒れたら、この世界もそこで終わり。何もかも無かったことになってしまう。次の裁定者が僕くらい奇特なやつだったら、その限りではないかもしれないけど。その可能性は薄いだろう。

 ならば、足掻く。

 僕が守ろうとしている花はきっとなんの実も結ばない。やがて晒される強風に、容易く散ってしまうかもしれない。それでも。たとえ徒花だとしても、咲き誇るこの一瞬には、自分の全てをかけるだけの価値がある。

 不思議と心は澄み切っていた。少女のために、今まで自分を形作っていたすべてに逆らう。そうしたいと思う衝動に迷いはなく、むしろ誇らしいまでの気持ちであった。そう思えたことが嬉しかった。

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