4
『抵抗は無意味です。おとなしく裁きを受け入れなさい』
蜘蛛を思わせる複腕が処刑の場へと罪人を手招く。
僕という存在を切り刻もうと踊る刃、その全てが既に喉元まで差し掛かっている。
もう、後には引けない。
目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。
――まさか。こんなことになるなんてなあ。
崖っぷちの状況とは裏腹に、思考はのんきにそんなことを思う。
裁定者として公正にこの世界を判断し、いつものように仕事をこなす。そのはずだったのに。
想定外のことだった。あまりにもきれいな花に出会ってしまった。
花のように儚く、小さく、美しい命。その温もりに出会ってしまったから。気高く尊い心を知ってしまったから。
愚かにも、そちらの方が大切になってしまった。
この選択をする自分を、以前の自分が見たら驚きと軽蔑のまなざしを向けたことだろう。こんな状況になってもまだ、可笑しくて笑ってしまうくらいには、自分でも信じられないことなのだから。
「僕が裁かれた後、この世界はどうなる?」
『新たな裁定者が送られるでしょう。そして、再び公正に、その存在の可否を審査されます』
「そうか」
僕の次に送られた裁定者は。きっとおそらく、最初にこの世界をみた僕と同じように、存続させないという判断を下すのだろう。
「なら僕はまだ、裁かれるわけにはいかないな」
儀式刀を手に握る。全てをかけるには小さな一振り。
『抵抗するのなら、私の刃は罪人のみならず、この世界にも及ぶでしょう。大人しく裁きを受け入れなさい。そうすれば、少なくとも次の裁定までこの世界の存続は約束されます』
「少なくとも、だろう。次の裁定者だってきっと、僕と同じ判決を下すはずだ。そうすればどのみち同じだ。だったら、精一杯の抵抗をして、裁定自体を阻止してみせるさ」
『……。執行の拒絶、さらに罪を重ねる気ですか』
「言っただろう。創造主たちのシステム、その全てを否定するって」
『理解に苦しみます』
「それは残念だ」
『これ以上の会話は不要。時間の無駄です。この世界諸共、消えなさい』
言い放つとともに、裁定者は天高く掲げた腕を一気に振り下ろした。ゆるやかな動作から繰り出されるのは、大気を歪め空を断つ凶刃。押し出された大気がうねりを起こし、全てを切り裂く驚異となって降りかかってくる。
迫り来る刃に目を凝らす。牽制の一撃は単調で、一直線に僕をめがけて飛んでくる。だからといって軽率に避ければ、花畑や大樹に被害が及ぶ。ならばと、前方に大気の防壁を作り、受け止める。
「ぐ……っ」
すさまじい圧力と衝撃。なんとか防げたが。たった一撃が重い。防壁越しだというのに、腕がびりびりとしびれた。ただ腕を振り下ろしただけでこの威力だ。すさまじい破壊者の力。その本領が発揮されたとすれば、到底太刀打ちはできまい。
『わかったでしょう。抵抗は意味をなしません。足掻くだけ無駄なのです』
心に浮かんだ小さな諦観、それをなぞり突きつける執行者の声。だからといって、はい分かりましたと諦めて、おとなしく断頭台に立つような潔さはない。
僕が倒れたら、この世界もそこで終わり。何もかも無かったことになってしまう。次の裁定者が僕くらい奇特なやつだったら、その限りではないかもしれないけど。その可能性は薄いだろう。
ならば、足掻く。
僕が守ろうとしている花はきっとなんの実も結ばない。やがて晒される強風に、容易く散ってしまうかもしれない。それでも。たとえ徒花だとしても、咲き誇るこの一瞬には、自分の全てをかけるだけの価値がある。
不思議と心は澄み切っていた。少女のために、今まで自分を形作っていたすべてに逆らう。そうしたいと思う衝動に迷いはなく、むしろ誇らしいまでの気持ちであった。そう思えたことが嬉しかった。
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