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 自らの存在儀を捨て、虚無へと落ちようとする罪人。その愚かにも滑稽な姿は、この瞬間を遙か天井で悠々と眺めている彼らの興味を多少なり引くかもしれない。無意味だとしても。直ぐ塵芥と踏みつけられるにしても。僕は今ここで、全てと引き替えにしてでも異を唱える。


「その尊厳に土足で入り込み、平気で踏みにじる。命を身勝手に弄ぶことは許されて良いことではない。僕は認めない。世界を選定するシステムを。それを生み出した創造主たちを、僕は否定する!」


『否定? 面白くももない冗談です』


 冷めた相貌が見下ろす。


『ただの裁定者、いえ、今はもう、それですらない――お前に異を唱える権限があるとでも? 裁定を拒否し、自らの立場を捨てるだけでなく、創造主を否定し、侮辱するとは』


 愚かにも程がある。そう言い放つ硝子の瞳には、今まさに一線を越えた僕への侮蔑と憐憫の色が滲んでいる。


「自分の身の程などわきまえているさ。彼らに生み出されたシステムのひとつにすぎない僕が、創造主に楯突こうなんてばかげた話だ。でも、ね。それはこれまでの話。僕は今、その権利を得る」

  

 腕の中、鼓動を感じる。とくとくと、確かに燃えている命の脈動。生きようと必死に足掻く、無二のきらめき。肌を伝う温度を確かめて、静かに息を吸う。咲き誇るかぐわしい花の香りが鼻腔に届く。それはこの世界が懸命に生きている証。育まれた命たちが、未来を望み、咲き誇っている証明だ。

 その命の美しさに、僕は寄り添いたい。その強さに、尊き意志に背を向けたくはなかった。


「これ、借りるよ」


 懐から短刀を取り出す。少女が持っていた儀式刀だ。花畑に落ちていたものを回収し、預かっていたのだった。

 おもむろに鞘から抜く。その身を神に捧げるための、少女の健気な祈りが込められた刀身に自らの髪をあてがう。握りしめた刃に、僕はためらうことなく力を込めた。鈍色の光にさらされた長い髪が、一瞬で断ち切られ、舞い落ちる。

 

 そして声を上げる。

 世界に響くように。すべての命に届くように。


「名もなき裁定者はここで死んだ。今、この地にて侵略者達に異を唱えるのはこの世界に生きる――トリネコである!」


『愚か』


 冷え切った声が響く。


『創造主の意志に背くというのか』

 

「そうだよ」


 僕はにたりと笑ってみせた。


『では、反徒として。断罪します』


 天使の瞳が冷たく光る。理知をまとった女神の皮がむけ、そこから獣の姿が顕れる。まとう黄金の羽根は獰猛たる黒に塗りつぶされ、使者は今、反逆の徒を裁く執行者へと変貌する。

 むき出しの眼球が妖しげに光り、裂けた口元からは猛獣の牙がのぞく。轟咆哮とともに、すらりとした体躯が、メキメキ音を立て歪を描いた。人の形をした細い腕、その下から新たに無数の腕が生え出てくる。流麗な曲線、その先端にあるのは掌ではなく湾曲した刃。容易く首を落とせるであろうそれは、まるで死神の持つ鎌の様だった。

 耽美なる高貴さは影を潜め、おどろおどろしい異形の姿に変わった執行者。罪を刈り取る断罪の使徒と形果てる。刈り取るという、生やさしいものではない。血の一滴も残さぬほど、徹底的に殲滅する。そうなるまで止まらない、暴力的な破壊装置。

 寒気を感じるほどの殺気。びりびりと震える大気が皮膚を刺し、焼け付くように熱い。僕でさえこうなのだから、生身の少女にはひとたまりもないはずだ。腕の中の弱々しい身体をかばうように抱きしめる。


「トリネコ、さま……」


「すまない、少しだけ、辛抱してくれるか」


 微笑んで少女の耳元にそっと告げる。穏やかに微笑みを返して、少女はこくりと頷く。そっと抱き抱え、神樹の根本に横たえる。もう残された時間は少ない。どうか持ちこたえてくれと願いながら、戦禍が及ばぬよう、大気の層を幾重にも重ねた防壁で彼女を包み込む。


「彼女をまもってやってくれ」


 願うように神樹へと語りかける。最後に少女の顔を確かめて、ゆっくり立ち上がった僕は執行者へと向き直った。


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