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 抑揚のない声が放つ。彼の言葉はもっともである、自分でもそう思う。裁定の場において、現地の少女の命を救うために時間が欲しい、だなんて。そんなことを言った裁定者はきっと、後にも先にも僕一人だろう。許されるはずが無いことは分かり切っていた。それでも、限られた手段、一縷の可能性にすがりたかった。

 

『裁定者よ。その発言はこの世界への深い干渉、加えて裁定の放棄と見なされます。ですが、一度であれば撤回を許しましょう』


 天使のまとう空気がわずかに温度を下げた。ひりついた空気が肌を刺す。


『裁定の場においてこの世界の生命はいてはならないものです。承知の上この場に臨んだことも、罪にあたります。ですが、その少女の命はもう尽きかけている。このまま捨て置きなさい。そうすれば、些事とみなし、恩赦を与えましょう』


 すがりつきたいほどの願い、その心を彼は理解し得ない。淡々と、機械的に、懸命な少女の命を単なる事象として見下ろしている。

 彼女をこのまま見殺しにすれば、僕は罪には問われない。この世界を裁定して、終わり。何事もなかったかのようにただの裁定者に戻れる。そうするべきだと、そうしなさいと、天使は言っている。今ならまだ間に合うと。命をひとつ些事として切り捨てれば、僕だけは救われる。


『貴方は裁定の使者として創造主に使わされた。その使命を忘れた訳ではないでしょう』


 そう、僕は裁定者だ。創造主のために、彼らにより優れた物語を届ける、そのためだけに存在するシステム。

 その使命を失えば、僕は何になる?

 何者でもない、空っぽの抜け殻。存在する意味も、意義もない。ただの虚。

 有象無象の命の中の一粒と、己の存在の全て。天秤に掛けるまでもない。


「……そうだね、僕は愚かだった」


 腕の力を強く込める。


「裁定の結果を告げよう」


 僕は天使を見上げた。表情は静謐を貫いている。


「裁定者として。僕がこの世界に下す判断は『否』だ。この世界はあまりに脆く、拙い。生命力は枯れ果て、生命は生きるためだけに他者を蹴落とし、少ない椅子を奪い合っている。そんな世界に、展望は見込めない。物語として、この世界は我らの主を楽しませることはできない。等の昔に終わっている、死した世界。そう、僕は判断した」


 迷いなく告げる。これは僕の裁定者としての判断。間違いはない。一切の妥協もためらいもない。誇りを持って為す裁定だ。


「――けれど」


 静かに僕を映す、無機質な瞳。


「それ自体が間違いだったんだ」


 その縁がわずかに歪んだ。


『何が言いたいのです』


 にわかに眉根をあげて、審判者は僕を睨んだ。重く響いた声は、僕がそれ以上言葉を紡ぐことを牽制する。僕は臆さない。


「それは間違いであり、傲慢にすぎない。物語足り得ない世界は消え去るべき。退屈な世界は、存続することすら許されない。創造主たちの目に触れないようにと、びりびりに破り捨てられ、焼き尽くされ、抹消される。そこに生きていた命なんて、はじめからいなかったみたいに……どうして、それが許される? 世界の、そこに生きる命の価値を、どうして我々が値踏みできるというのか」


 怪訝な瞳が僕を映す。彼にとって僕の言葉は不可解なノイズ、理解し難い戯れ言でしかないのだろう。だとしても構わなかった。これは彼に向けてではなく、その瞳の先ですべてを見下ろす『彼ら』に向けての声。


「一方的に押しつけられた価値観によって、つまらないと、未来はないと決めつけられる。それが正しいことのわけがないんだ。世界の価値を決めるのは、お前たち創造主じゃない。そこにあって、尊くも輝き。懸命に生きようとする命の権利だ!」 


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