10

 ぱきん。僕の手に触れた刃が軽快な音で折れ、そのまま砂のように崩れて消える。


「な……、…………は?」


 何が起きたのか理解できない様子で。男はしばらく呆けたままだった。


「うわあああああああっ」


 もう一人の男が慌てて向かってくる。その刃も、僕に届くよりも先に砂となって消えた。


「…………」


 先に飛び込んできた方の男は、ようやく状況を理解したようで。へなへなとその場にしりもちをついて、ひきつった顔で乾いた声を漏らした。僕はそれを見下ろして、ゆっくりと手を伸ばす。ナイフと同じ末路をたどらせてやるつもりだった。後ずさりする男たちを一歩ずつ、ゆっくりと追いつめていく。


「だめです、トリネコ様!」


 呼び止める声。それとともに、何かに服の裾を捕まれた。引っ張られる感覚に、はっとして振り返る。地を這う少女が、泣きそうな顔をしてこちらを見上げていた。


「止めるな。それとも、この男たちを赦すのか?」


 驚くほど冷淡な声とともに、僕は少女を睨んだ。少女は臆さなかった。


「ここで血を流すなと言ったのは、あなたでしょう」


 柔らかく微笑んで、優しい声が言う。

 沸騰していた脳に、彼女の言葉がすうっと染みた。

 燃えるようだった血が冷えて、肩から力が抜ける。


「……そういえば、そうだったね」


 足を止めて、僕は呆けた様子の男たちを見下ろす。


「去れ」


 ぎくりと身体を振るわせて、怯えた子犬のようになった男たちは間抜けな顔で僕を見上げていた。


「今後二度と、この場所へは近づくな。生け贄を寄越すことも禁じる。愚かな慣習を後世に残すな。良いな」


「ははははは……はいぃっ」


 男の一人が声を上擦らせながら答えた。もう一人は声を出すことすらできず、ただ何度も頭を上下に振っていた。


「わかればいい、失せろ」


 もう一度返事をして、男たちは身体を引きずりながら転がるように逃げ去っていった。そうしてまた、花畑には僕と少女二人だけになる。

 傾きかけた日差しが大樹の陰を長く伸ばす。ぬるい風が、くしゃくしゃになった花達を撫でるように吹き抜けた。

 寄り添って少女の身体を抱き起こす。傷は深い。あふれる血は止めどなく、少女の命を蝕んでいる。


「ありがとう、あの人たちをゆるしてくれて」


「君が望んだからだよ」


 少女は微笑む。弱々しく、今にも消えてしまいそうだ。

 生け贄という言葉が、自分を切り捨てる為の免罪符であると。そんな村の大人たちの愚かな本当を、彼女はきっと知ってしまった。それでも、彼女は彼らを恨まない。目が見えないその代わりに、たくさんの優しさをもらったのだ。そう言っていた時と何も変わらず、穏やかにすべてを赦してしまえる。

 どうして、そんな風にあれるのか。いつまでも清らかな、気高く美しい魂。それがどれほど得難く尊いものなのか。噛みしめる。

 今にも消えて、美しいままに永遠になろうとしているその命が、ひどく惜しくてたまらない。

 これからこの世界を否定し、消し去ろうというのに。そうすれば彼女の命だって、同じように消えてしまうのに。矛盾している。

 失いたくない、だなんて。

 こんな感情を抱くなんて想いもしなかった。

 思えば、彼女と出会ってからずっと僕は、こんな調子だ。自嘲気味に綻んだ口元を、彼女は不思議そうに眺めている。


「食べられるか?」


 神樹に捧げた果実に手を伸ばして、少女の口元へ差し出した。神域の力に満ちた果実ならば、彼女の命をつなぐ力になるかもしれない。

 少女はこくりと頷いた。弱々しいながらも力を振り絞ってようやく一口運ぶ。ゆっくりと飲み込んだ。それでも顔色は優れないまま。出血も止まらない。

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