9

 どこにいる、無事でいてくれ。締め付けられるような胸の痛みに、必死でその気配を探る。そして、男たちのすぐ側に、うずくまるように倒れる彼女を見つけた。

 苦しそうにようやく呼吸をする。その姿にを前にして、思考が止まる。まだ生きている。だが、その身体にまとう麻布が真っ赤な色に変わっていた。腹部からの出血。絶えず流れる血が彼女の身体を伝って、周囲の花畑を染め上げている。

 雷光が落ちたように視界がスパークする。そんな感覚があって。気付いたら、僕の身体は彼女の目の前に立っていた。


「――トリネコ、様」


 僕に気付いた少女の表情が安堵に和らぐ。見たことの無いような真っ青な、脂汗が滲んだ顔で、にこりと微笑んだ。


「うわ!? なんだこいつ……!?」


「いきなり現れやがった!?」


 突然現れた僕の姿に、男たちは目を向いてたじろいだ。バランスを崩して、一人はそのまま尻餅をつく。そんな雑音を無視して、僕は少女を静かに見下ろす。


「君をそんなふうにしたのは、この男たちか?」


 問うまでもないことだった。だというのに少女は曖昧に笑って、僕の言葉には答えない。


「どうして」

 

 聞くまでもない。理由など簡単に想像がついたし、その可能性があることだってわかっていた。

 後ろの男たちはおそらく彼女の村の住人だ。生け贄に出した少女が無事役目を果たしたかどうかを入念に確かめにきたのだろう。

 生け贄という大義名分でもって人を殺そうとする。臆病で狡猾な彼らは畏れたのだ。放っておいても勝手に死んでしまうだろう少女が、万一にでも生き延び、自分たちの思惑に気付き、報復にくる可能性を。

 少女の死体を確認して、彼らは安心を得たかった。

 儀式は終わり、少女は生け贄としての使命を全うしたのだ。悲しいけれど、尊い犠牲を糧に僕たちは今日も懸命に生きていこう。めでたしめでたし。

 そう結んで、すべて良かったことにして終わりにてしまいたかったのだ。

 なんて莫迦げたことだろうと思う。身勝手で横暴でふざけている。こんなものに、どうしてこの子の命が翻弄されなければならないのだろう。

 ちりちりと、熱が沸き立つ。身を焦がすような、苛烈な情動。身体の中心、心臓の辺りからどうしようもない感情がわき上がって身体を振るわせる。

 どうして?

 それは僕自身が一番問いたいことだった。

 ページを閉じてしまえば、全てそこまで。すべてはただの物語。僕はそれを外から見ているだけの、傍観者。なのに僕は、たった一ページがめくることができない。受け入れることが、認めることができないでいる。悲劇が、理不尽が、どうしても許し難い。僕はどうして、こんなにもありふれた退屈な物語に、ここまで深く傾倒しているのだろう。


「ト、リネコ……さ、ま……?」


 掠れそうな声とともに、探るような少女の腕が伸びてくる。それが僕に届く前に、裏返った男の声が響いた。


「なんなんだよ、お前はぁ!」


 得体の知れない物への恐怖と怯え、それらを払いのけようとする苛立ちが混じった、汚い音だった。

 僕は振り向いて彼らを見た。その動き、眼差しに男たちは驚き、握った刃の切っ先を立てた。僕へと伸びた鈍色の刃先はまだ新しい赤色でぬらりと塗れている。この刃が、彼女を傷つけたのだ。


「ひっ……こ、この野郎……ッ」


 ただ見ているだけの僕の視線がよほど耐えがたかったのだろう。男たちは目の前の得体の知れない脅威が自分たちに危害を加えることに怯え、そうなるよりも先に退けることに必死だった。

 男の一人が刃を持って向かってくる。冷静さを欠いた、闇雲な突進。少女と同じように、腹部を一突きにしようという、雑で緩慢なその思考を僕は指先一本で封じてやる。

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