3

「あ、あんまり見つめないでください」


 夢中になって果実を頬張っていた少女だが、ふと手を止めてもじもじとしはじめた。あんまり僕がみつめるものだから、堪えきれなくなったようだ。見えていなくても視線は感じるものなのだなあ、などとのんきに思いつつ。


「ああ、これは失礼」


 言いながら、特に視線は逸らさない。彼女の恥じらいなど知ったことではないし、それも含めて観察対象として面白かったからだ。そんな僕の対応が我慢ならなかったのだろう。


「神様、意地悪です」


 少女はむうと口元を膨らませて、半身を捻って顔を背けてしまった。なるほど、彼女のような人間であっても、不快になると機嫌を損ねるものなのか。それでも、明後日の方を向きながら残っていた果実をむしゃむしゃと食べていたので、そこまで怒っているというわけではないようだ。

 

「僕は神様じゃないってば。何もしていないのに意地悪だなんて言ったら、本当の神様に失礼じゃない?」


「またそれですか? 神様はあなたじゃないですか。もう、面白くない冗談です。飽きてしまいました」


「だって本当のことだからねえ」


 むう、と頬を膨らませたまま、少女は僕をじとりと睨んでいた。そのまま怒ってどこかへと行ってしまうのかと思えば、ぷりぷりとしながらこちらへと歩みを寄せてくる。そして、僕の隣までやってくると、そのまま腰を下ろした。

 その行動の意味を計りかねている僕に向かって、少女は言う。


「では、教えてください。神様じゃないのなら、なんなのですか?」


 少女の瞳はまっすぐに僕を映している。それをちらりとだけ見て、僕は前方の花畑を眺める。


「悪いけど、僕から君に教えられることはないよ」


「どうしてです」


「そういう決まりだからね」


「どういうことですか? わかるよう、言ってくださいませんか」


「まあ、善処するよ」


 上の空な僕に、少女は納得のいっていないようだった。もの言いたげに開いた唇から、ため息だけを吐いて。それから膝上で組んだ自らの腕に顔をうずめた。


「……わかりました。教えてくださらないなら、もう良いです」


 ふてくされている彼女に、「悪いね」とだけ言う。

 僕がこの世界の外から来たといって、彼女は信じるだろうか。信じたとして、その目的まで知ったとしたら、どんな反応を示すのだろうか。


「そのかわり、ですけれど。お名前くらい、教えて頂けませんか?」


「名前?」


「はい。神様と呼ばれるの、お好きではなさそうなので」


 言葉を発した形のまま、僕の唇は固まっていた。

 名前。個人や物体を区別するために、社会的コミュニティの中で使用される符号あるいは呼称。家系や地位と言った血統を表す為にも使われるらしい。世界に存在する命、とりわけ人間はよく、これを使って物事を区別している。

  知識としては知っている。だが、それだけ。僕にとって名前とは言葉以上の価値はない。

 僕は名を持たない。裁定者に個を区別するための名はないからだ。創造主のために、世界を見定めて選別する。その役割だけが僕を僕たらしめている。それで事足りていた。

 いうなれば『裁定者』という役職自体が僕の名のようなものだ。もっとも、僕以外にも裁定者はいるので、裁定者Aとか、裁定者①とか、区別するとしたらそういう感じになるのだろう。僕たちを管理している創造主達が、僕たちをどのように区別しているのかはしらないが、少なくとも僕には関係のないことだし、興味もなかった。

 名前なんて無くても困らないものだし、欲しいとも思わない代物だった。あまりに縁遠い物だったから、彼女の問いかけに対してどのように返答するか、導き出すまでに少しばかり時間を要した。


「その問いにも、答えることはできないな」


「教えてくださらないのです……?」

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