2
「こちらにありますので、お好きなときに召し上がってくださいね」
くるるるる。
少女が言い終えるのとほぼタイミングを同じくして、間の抜けた軽妙な音が響いた。手のひらサイズの子犬が喉をならしたような音が、時間にして七秒間ほど。ちょうど風もぴたりとやんで、静かに凪いだ世界の中に響きわたった。
少女の顔が褐色の肌でもわかるくらいに真っ赤に染まっていた。
生理現象。当然といえば当然だ。昨日の果実。たったそれそれしか、少女は口にしていなかったのだから。おもしろいことでも何でもない。
わかってはいるが、あまりに暢気で平和な腹の虫。僕は我慢ができなかった。
「ぷっ」
思わず吹き出してしまう。
「す、すみません!」
少女は果実と見分けがつかないのではと思うほどに顔を真っ赤にして、あわあわとしている。恥ずかしさにもだえるように、身体を小さくしたその姿は、人間の少女というよりなにか小さくて愛らしい、別の生き物のように見えてきた。
なんだかもう、あれこれ細かいことを気にするのもバカらしく思える。どのみち、彼女と関わってしまった事実は変えようがないのだ。いっそのこと開き直ってしまおう。なに、最終的にきちんと仕事を果たせば良いだけのこと。
「召し上がるべきは君の方だねえ」
「ご、ごもっともでございます……」
恥ずかしそうにうつむいた少女。僕は今し方彼女が置いたばかりの果実を指さす。
「僕の事は良いから、ほら、さっさと食べなさい」
「でもこれは神様に捧げたものです。私が食べるわけには」
「君ねえ、毎回毎回口答えしないでくれる? 僕が良いって言うんだから、おとなしく従いなさい。どうせ僕は食べないんだ。このまま腐るより、君の腹の虫を黙らせる方がずっと良い」
「それも、そうですね。なら、有り難く。頂戴いたします――」
顔の前で手のひらを合わせ、小さく感謝の祈りを捧げて。少女は果実を一つとりあげた。小さな口を大きくひらいて、一口。それから、なんとも幸せそうな顔をする。
あふれ出した果汁が口や指を汚すこともいとわずに、一口、もう一口と食べ進めていく。その様子を少し離れたところに座って、僕はじっと眺めている。その視線に気付たのか、少女は食べるのを止めた。
「神様も召し上がってはどうですか? この世のものとは思えないくらい、とっても甘くて美味しいですよ」
僕は首を横に振った。
「この世界の物は口にしない。そう決めているんだ」
「そうなのですか。どうして?」
「内緒」
訪れた世界のものを食べてはいけないというルールはない。これは僕自身の決めごとだ。この世界の食べ物がまた別の世界にあるとは限らない。下手に口にして、病みつきになってしまったら。世界がなくなってしまった後、同じ物に巡り逢えずに悲しむのは僕自身だ。そんな理由を彼女に話せるわけがない。
「そう言われると、気になるのですが……」
僕の回答を不思議そうに聞きながら、少女は果実を一口。本当に美味しいのだろう。幸福感に満ちた、なんとも愛らしい笑みを浮かべている。しかしまあ、美味しそうに物を食べる。彼女の様子は観察のしがいがあった。味覚を通じて与えられる刺激に、こうも素直に喜びを表すことができるとは。
ここではない世界に、物を食べる様子を他者に見せて味の良さをアピールし、見ている者に食べたいと思わせることで宣伝効果を狙う――そんな文化があったが、まさしく彼女が適役だなと思った。彼女の様子を見ていると、その味とやらに興味が湧いてくる。自制を解いて、うっかり口にしてしまいそうなほどに。
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