11

「その必要はない。生け贄はいらないと、先ほど言っただろう」


「ですが……」


「居場所をなくした君が自ら命を絶つのは勝手だ。だが、僕の目の届くところでは駄目だ。この神域をその血で汚すことは許さない」


「ですが……どうすればいいのですか」


 その声は震えていた。

 

「そうすることしかわからないのです。祈りを捧げた刃でもって身を捧げる。そうすればみんなが救われる。その為だけに生きてきたのです。それを不要と言われては、わたしはいったい、どうすれば……」


 今にも泣き出してしまいそうだった。言の葉は、困惑に溺れ途方に暮れた彼女の心そのものだ。目指して進んできた灯の光をたどり着く寸前で奪われる。それだけを糧に生きていた少女にとって、自分の存在価値、そのものすら見失いかねない事態だろうことは容易に想像できる。

 縋るように僕を見上げた瞳。その端から滴がこぼれた。頬を伝い、花畑へと吸い込まれていく。嗚咽も漏らさず、静かに絶望を飲み込むように。少女はただ、ぽろぽろと涙をこぼしている。

 

「……」


 まただ。先ほど感じた奇妙な感覚。全身のむずがゆさに、居ても立ってもいられなくなるような。

 参ったものだ。目の前の少女は、世界にありふれた命の一つ。物語の構成要素。それだけの、取るに足らない存在だ。ただの観測対象、その命が尽きることだって事象のひとつにすぎないというのに。

 肺を満たす鬱屈を吐き出して、それからぽりぽりと頭を掻いた。


「――そこの木」


「え?」


「右を向いてそのまま九十九歩前進。そこに木がある。そこの実でいい。神は果樹を好む」


「は、はい!」


 少女は一拍だけぽかんと口を開いて、それから電気が走ったように声を上げた。そのまま真っ直ぐ素直に僕が告げた方向へ進んでいく。

 その先には力強く枝葉を茂らせた果樹がひとつ。少女の背丈よりも少し高いだけの、小振りな木ではあったが、たくさんの陽光を浴びていきいきとしていた。幾重にもなった丸い形の葉の中に、ひときわ目を引く色彩。真っ赤な果実がたわわに実を結んでいる。

 果樹へとたどり着いた少女は枝葉の中から果実を見つけた。背伸びとともに懸命に腕を伸ばし、丁寧にもぎ取る。

 さすがなものだと感心する。彼女はきっと目が見えないかわりに、物体を気配によって読み取ることにたけているのだろう。僕の存在をはっきりと感じ取るだけのことはある。


「こちらでよろしいでしょうか」


 しばらくして少女はこちらへ戻ってきた。差し出された手のひらの中には拳ほどの大きさの真っ赤な果実が包み込まれていた。


「ああ」


 頷いて、手に取る。神の膝元、神域に自生しているだけあって、瑞々しい生命力を感じた。普通の人間が口にすれば、寿命くらいは延びるかもしれない。たっぷりの栄養を蓄え、成熟した果実の煮詰まったような赤色は血をまとった心臓のようにも見えた。生け贄の代わりとしては申し分ないだろう。


「……本当に、よろしいのですか?」


 肩をすくめて少女は僕をのぞき込んだ。


「神は草食なんだ。生き血は苦手だ。もらっても困る」


「そう、なのですね。存じ上げませんでした。血を捧げることで失礼をしてしまうところだったのですね。申し訳ございませんでした」 


 適当にでっち上げた言葉だが、少女は素直に信じて驚いている。


「頭を下げなくてもいい。僕は神じゃないんだから」


「ふふ。どうしても嘘をつかれるのですね」


 僕はつとめて淡々と少女の言葉に返事を返している。別にユーモアを交えたつもりはないのだが、少女の表情は次第に緊張が消え、ふんわりとした微笑みがのぞく。

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