10
「ここから去るように言っているんだ」
少しだけ強い口調で言う。
少女はわずかに身を縮ませて、きゅっと唇を噤んだ。揺れ動く瞳は失意と戸惑いに今にも泣き濡れてしまいそうに思われたが、涙がこぼれ落ちるよりも先に、少女はか細い声で応えた。
「……わかりました」
うなずいた身体がより小さく感じられて、小動物を捨て去るような罪悪感が胸にわいた。苦い感情に顔をしかめつつ、わかってくれたのならそれで良いと踵を返した。
「感謝する。さようなら」
僕は少女から視線を逸らして、距離を取るため歩き始める。少し離れたあたりでその様子を窺うためちらりと後方をみやると、俯いたの少女は未だ花畑に座り込んだままだった。
この先少女がどうなるのか、あまり考えたくはなかった。
盲目の少女が、流刑の地で生きていけるなど、彼女をここへ送った大人たちは誰一人として思っていないはずだ。自分たちの目に届かない場所で野垂れ死ね――そういうことなのだから。
このまま放っておけば、そう遠くないうちに彼女は自然と力尽きるだろう。食べられる果実を見分ける力も、他の生命を刈る術も持っていないのだ。
酷な運命だとも哀れだとも思う。それだけだ。僕には関係ない。
彼女を救おうとは思わない。だが、死ぬまでの時間を眺めているような趣味はない。村の大人たちが彼女を遠くへ追いやったように。僕も、最期は自分の目の届かないところで迎えて欲しいと思う。だからこそ、早くここから去っていって欲しいのだ。
しばらくして少女はようやく動き出す。けれど、動いたのは足ではなく腕だった。ゆっくりと懐から取り出したのは、少女の様相には不似合いなほど華美な装飾を施された儀式用の短刀。鞘から抜きだした鈍く光るその切っ先を、少女は迷わず自分の喉へと向ける。
刃を掲げたか細い腕が震えている。顔を真っ赤にした少女の荒い呼吸音がここまで聞こえてきた。わずかな逡巡の果て、唇を強く結んで。少女はその刃を自らに――。
「――――」
不可解な行動だった。
少女は先ほどほんの少し言の葉を交わしただけの他人であり、裁定対象の世界に生きる、小さな生命の一つでしかない。彼女が死のうと、死ぬまいと、僕の務めにはなんの影響もない。こうして関わることこそが禁忌であるとわかっていた。そのはずだったのに。
いつの間にか身体が動いていた。とっさに振り上げた腕が、世界の形にほんの少しだけ干渉する。大気がゆがみ、巻き起こった突風が少女の腕から短刀を奪う。
「きゃ……!」
突如吹いた風に少女は驚いて、身体をびくりと弾ませる。何が起きたのか理解することも追いつかず、空っぽになった手の平の感覚に戸惑い、ぽかんと宙を見つめていた。やがて、舞い上がった短刀が花畑に吸い込まれ、乾いた音とともに地に転がった。
「刀……あれ? 刀は……? どうして?」
消えた短刀を探して、少女は必死に周囲を探っている。手当たり次第に動かした手が、咲く花の花弁を揺らす。
はらり、花弁が舞い散る。その様子に、ああそうか。僕は思った。少女の自害を阻んだ自分の行動が腑に落ちた。ここで血を流されれば花畑が汚れてしまう。僕はそれが嫌だったのだと。
ずいぶんとくだらない動機で魔が差してしまったものだ。嘲笑しつつ、いまだ混乱した様子で地を這う少女の元へと歩み寄る。せっかく守った花畑が少女の手によって散らされてしまっては意味がない。
「何をしている」
少女ははっとして顔を上げた。よほど余裕をなくしていたのか、声をかけるまで僕の存在に気付かなかった。
「まだお近くにいらしたのですね……少しばかりお待ちいただけますか。刃が見つかれば今一度改めて、この身を差し出す儀式を致しますので」
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