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 知覚の多くを目から得る情報に頼る、通常の人間なら簡単にごまかせるのだが、彼女のような人間も時折現れる。感性が優れ、視覚に依らずとも世界をみることができる人間。そういった人間は、僕が自分たちとは何かが異なると気づき、違和感を覚えやすい。とはいえ、それも気のせいであると思うほどに些細なもので。僕から離れればすべて忘れてしまう。

 しかし、目の前の少女相手ではそうもいかなそうだ。特別優れた感受性をもっているのだろうか。はっきりと僕の存在を知覚し、他とは異なる性質を感じ取っている。僕が人ならざる何かであるという少女の確信は、神域という場所と相まってなおさら、僕を神と信じ込ませるのだろう。

 そう考えれば無理はない。少女の思い込みも自然なことである。だが、納得している場合ではない。誤解を解くため、僕は改めて否定の言葉を口にしようとした。それを待たず、前のめりな少女は一歩二歩と足を進め、此方へと歩み寄ってくる。その勢いに気圧されて、僕は彼女が近づいた分だけ後ろに下がった。


「私はあなたにお会いする為、この身を捧げる為にここに遣わされたのです。お願いします。村の人たちの願いをどうか、お聞き入れください」


 聞く耳を持たないとはこのことだ。彼女は僕の言葉をまったく信じてくれない。僕を神様だと思っているのなら、その言葉を信じないというのは信仰として矛盾があるのではないか? そう思う僕の心などつゆ知らず。少女の瞳はまっすぐに神様だけを映している。


「あのねぇ……」


「幼い頃からずっと、この日のために生きて参りました」


 僕の言葉を遮って、少女は熱心に語り続ける。


「あなたに会うため、穢れなき心と身体を保ってまいりました。外界と関わらず、社にて毎日祈りを捧げ、今日という日を待っておりました。どうかお願いします。私の命を贄として、村の人々に恵みをもたらしてください」


 滑らかに述べられる言葉は、少女の心というよりも、用意されていた台詞のようだった。少女はただ、己の使命を果たすべく。

 なるほど、僕の声など届かないわけだ。あまりに必死なその姿。僕は彼女がどうしてこんな場所に訪れたのか、理解した。 

 彼女は人身御供――いわば、生け贄だ。

 大人たちの手によって生け贄の御子として育てられ、そしてこの場所に送り込まれてきたのだ。村のために命を捧げる。それが使命だと、皆の命を救う崇高なことだと言い聞かされ、疑いなく信じて。

 哀れなことだ。そう思う。だって、こんなものには何の意味もないのだから。

 僕が本当の神でないからではない。

『少女が生け贄となれば神様が民を救ってくれる』

 その信仰自体が偽りだからだ。

 民が神を信じるならば、その思いは少なからず神の力となる。神にとって世界に生きる命は自らの血肉に等しい存在だ。神が自ら信仰を望まずとも、神を信じる人々の祈りは世界を動かす原動力となる。その思いが強ければ強いほど生み出されるエネルギーも大きく、世界はその力を糧に発展していく。

 この世界はどうだろうか。

 水が枯れ、草木の絶えた地上は、人々の神への心の写し鏡。人々に神を信じる心があるのなら、世界はもう少しマシな姿をしているのではないか。この世界の信仰はとっくに死んでいる。民の心に、信じる神などいないのだ。

 そうなると、神に捧げられたというこの少女は一体なんだ? 神など信じて居ないはずの民が、どうして生け贄を捧げる必要がある? 

 簡単なこと。人身御供などまっぴらな嘘。彼女がここに送られてきたのは、もっと単純な理由――人減らしだろう。


 

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