5

 僕を見つけたようだった。まずいな、と思った。

 裁定者は対象の世界に干渉してはいけない。僕たちは理の外の存在。遙か上空から世界を覗く観測者であり、物語に関わることのない部外者だ。

 我々の来訪によって世界が影響を受け、その運命――物語の流れが変わることはあってはならない。物語はその世界の登場人物だけで成り立つべき。創造主達はそう考えている。

 だから、僕たち裁定者は自ら積極的に世界に関わったりはしない。あくまで俯瞰的に世界を眺め、公正に見極める。それを円滑に行うためにも、裁定者の姿は世界の住人に認識されにくいようになっている。

 完全に見えない方が良いのではないかとも思うが、そうもいかない。世界を上から見通す立場といえど、僕たち裁定者は万能ではない。裁定のための判断材料は自分の足で歩いて手に入れなくてはならないのだ。

 この世界ではその必要はなかったが、ここよりもより高度な文明が育ち、情報の複雑に入り組んだ世界だったりすると、実際に社会にとけ込み、そこに生きる民の生活に混ざることで情報を得なければならないこともある。そうなると、完全に実体のない姿では仕事ができないのはお分かりだろう。

 世界に深く関わってはいけないのに、民の生活に溶け込むのは矛盾があるのではないか。そうお思いだろうが、安心してほしい。文字通り、僕たちは世界に溶け込んでいるのだ。雑踏を行き交う人の群のように、雄大な森林を形作る木々のように、そこに在るのはわかっても、意識せずにそれを個として識別するのは難しい。

 僕たちはそんな風に出来ている。存在感がきわめて薄い。見えはするが気付かない。触れたとしても、記憶には残らない。

 だから、少女が僕を見つけるなんてことはあり得ないはずだった。

 いくらこの場所が見晴らしの良い花畑であるからといって、ただここに居るだけの僕をただの人間が見つけられるはずがない。こちらから話しかけでもしない限り気付くことすら出来ないのが普通である。

 こんなことは初めてだった。いったいどうして。予想外の事態、手のひらがわずかに湿るのを感じた。すぐにこの場所から離れさえすれば、彼女の記憶から僕のことは消える。自分が何かに気付いたことすら忘れてしまうだろう。彼女がたどり着く前に、さっさと退散してしまおう。

 そう思考を巡らせている間に、少女はどんどんこちらへと歩み寄ってきていた。花畑を踏みしめる足は裸足のまま。おぼつかない足取りで探るような一歩を重ねて、ゆっくりと少女は近づいてくる。大きな瞳がまっすぐ、前だけを見据えている。しっかりと正面を向いているのに、唇をきつく結んだ表情はどこか不安げで、それが妙だった。

 ぴたり、少女が足を止める。僕の目の前だった。もうほとんど、触れてしまいそうな距離。僕の視界いっぱいに少女の顔が映る。あどけなさの残る、素朴でありながらも愛らしい顔立ち。長いまつげに縁取られた瞳が瞬きもせずに僕をみつめている。

 どうしてだろう。少しも動くことができなかった。

 僕をみつめる少女の瞳、ぽっかりとあいた穴のような黒目が朧気に空虚を映している。星を抱く宙に似た静かで深い色。美しさの奥、底知れぬ深海のような、果て無き蒼穹のような無限。吸い込まれ、そのまま落ちてしまいそうになる。さわさわした感覚が背中を擦った。言葉にしがたい違和感に全身を捕まれて、思わず身じろぎする。

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