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 この世界にもまだこんな場所があったのか。

 なんて美しいのだろう。失われてしまうには惜しいと思うほど。だが――それだけだ。

 花を踏まぬようにをつけながら、大樹へと近づいていく。

 

「神よ。我は裁定の使いである。突然の来訪だが、お目通り願いたい」


 さぁ、静かに吹き抜けた風が草花を優しく揺らした。

 返事はない。


「神よ。……『神樹・トネリコ』謁見を願う」


 やはり、返事はなかった。

 ふむ。腕を組んで、じっと木を見上げる。感じる力も、存在感も本物だ。この木がこの世界の神であることは間違いない。

 普通であれば、神域に踏み言った時点で神は来訪者の存在を感知する。我々が創造主の使者であることも、その来訪の目的も彼らならばすぐにわかる。

 彼らにとって我々の存在は世界の存在を脅かす驚異に他ならない。当然警戒され、それなりの対応でもって扱われる。僕が姿をみせた時点で襲いかかってくるような神もいた。だというのに、どうしたことか。この神はとことん沈黙を貫いている。名を呼んでも、幹をこんこんとたたいてみてもとんと返事がない。

 

「もしや、寝ているのか?」


 おうい。大きな声で呼んでから、先ほどよりも少しだけ力を込めて幹をたたいてみる。枝に巣を構えていた鳥達がバサバサと音を立てて飛び立っていった。やはり大樹はしんとしていて、うんともすんとも言わない。

 少々拍子抜けだった。もしかしたらこの神は飛び抜け怠惰な性格で、世界の管理よりも睡眠をとる。そんな変わったタイプなのだろうか。

 なんにせよ困ったものだ。さすがにこのまま最後の最後まで沈黙を貫かれる、なんてことにはならないだろうが。これではここにきた意味がない。少しは退屈しのぎになるかと思ったのだが。仕方がない。神がこの様子なら。裁定の結果がどうであれ、躊躇わず仕事ができる。そう思うことにする。

 とはいえ。世界は大方見終えてしまったし、裁定もほぼ決まったようなものだ。やることがない。すっかり手持ち無沙汰だ。どうしたものかと少し考えて、花畑が目に留まる。そそぐ日差しは柔らかで、ぽかぽかと暖かく心地が良い。

 思いつく。する事がないなら、ひとつ。この陽気の中で惰眠をむさぼるというもの悪くはない。自分たちの世界が終わるかどうかという瀬戸際にたって、その事実を知るよしもない小さな命達の紡ぐ風景。平穏きわまりない日常の長閑さは、有り余る時間を消費するにはうってつけだった。

 別に、さぼりではない。仕事に関して僕はとっても真面目で誠実だ。微睡みに身を預けられる平穏があるかどうか、それも世界の裁定には大事なポイント。そう、これはその調査の一環なのだ。

 神樹から少し離れて、花畑の真ん中に移動し、咲いている花をつぶさないよう寝転がってみる。背を伝う大地のぬくもり。草と花のにおい。舞い踊る蝶々。柔らかい風が吹いて、草花の揺れる微かな音が聞こえる。穏やかな陽光に包まれて心地がよい。先ほどまで微塵も感じていなかったはずの眠気がやってくるまで、それほど時間はかからなかった。微睡みに、意識の帳が降りる。けれど、それは長くは続かなかった。

 

「誰か、いるのですか?」


 声が聞こえた。

 あるはずもない声。ここは神の聖域であり、人間が訪れることはない。そのはずなのに。不思議に思いながら、ゆっくりと身体を起こす。

 少女が一人、そこにいた。

 まだ若い。いや、幼いというべきだろうか。十代前半か、それにも満たないほどにみえた。印象的なのは、褐色の肌と短く切られた黒い髪。小さく細い身体を麻布を軽く縫い合わせただけの簡素なワンピースで包んでいる。黄みがかった白色と少女の肌色のコントラストが、華奢なその身体つきをより強調していた。


「そこにいらっしゃるのね?」

 

 高く、澄んだ高音がはずむ。

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