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そんな神にとって、裁定者の存在は突然現れた自らの世界に害なす余所者でしかない。ある日突然やってきて、自ら大切にしてきたものを勝手に批評し、最悪の場合滅ぼしていくのだから。僕が神だったら、裁定者なんて見かけた時点で排除したい存在ナンバーワンだ。
裁定者側としても、神の存在は自らの仕事の最大の障害となる。裁定の結果が良ければ、「これからも頑張ってね」程度で済むのだが。結果が悪ければ、自らの世界を守りたい神との衝突は避けられない。自らの生み出した世界が否定され、壊されるのだ、はいそうですかと受け入れるわけがないのは当然だ。
なるべく穏便に、争いなく事をすませたいならば、神に裁定の結果を伝えなければいいのでは? そう思うのだが、裁定の結果を告げる七日目の宣告は、世界の神の前で行うことが決められている。これまで世界を運営してきた神に対して、その裁決を直に伝えるのは最低限の礼節として必要なことである。という考えらしい。いずれにせよ酷なことではあるが、これに関しては僕も肯定派だ。長きにわたり世界を育て、守り続けた神の行いは崇高で尊いものだ。軽んじてはいけないし、敬意をもってしかるべきだと思う。
それは置いておいて、僕が神の元へ向かおうと思ったのはなにも喧嘩を売りに行くためではない。単純に興味があったのだ。
神は自らの世界をより良いものとして維持しようとする。これは性質のようなものだ。普通に考えれば、神が居るにもかかわらず世界がここまで荒廃することはそうそうあり得ないことなのだ。
このままでは何もせずとも生命は生き絶え、裁定を待たずして世界の崩壊もありえる。そうなれば自分自身も死んでしまうというのに。この残状を前にして、神はいったい何を思い、考えているのだろう。
世界の管理方法は神によってさまざまだが、神の多くは能動的で、自ら直接世界の住民に接触して、その威光を示し、信仰を得たりする。言葉通りの神として、世界に君臨するのだ。信奉者となった人々を神は言葉によって導き、自らの望む方向へ世界を誘導する。世界がより長く続き、大きく発展するように、自ら社会に介入して管理するのは効率的な方法だ。
そういう神たちと比べると、この世界の神は珍しいタイプといえる。放任主義、的な感じなのだろうか? 未だかつて類を見なかった状態。どうしてこうなったのか、なぜ何もしないのか。その考えを聞いてみたい。
残りの日にち、特にすることがあるわけでもない。ただ無為に時間を潰すよりは退屈しのぎ……いや、裁定のための有意義な必要な情報収集になる。
裁定者に対して神が友好的に話をしてくれるかはわからない。僕をみるなりいきなり攻撃を仕掛けてくる可能性もあるが、そのときはそのときだ。
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