第2話 Melody & Music

 それから私は、毎日塔の上に通い詰めるようになった。

 トランペットを吹き鳴らせば、彼女は空の向こうから飛んでくる。


「ぴぃ!」


 小鳥がさえずるような声が嬉しそうに聴こえるのは、やっぱりおかしいのかな。

 私は演奏家で、彼女は魔獣なのに。


「あんたはさ、その。迷惑じゃないの?」


 戯れに、そう尋ねてみたこともある。


「静かな所が良くてこの塔に来たんでしょ? なのに私なんかがうるさく演奏しててさ……イヤじゃないのかって」

「……? ぴぴぃ、ぴぃー」


 ハーピィは言葉の意味も分からず、翼の先でトランペットをモフモフと撫でるだけ。


「……ふふっ。黙って吹けってか。はいはい」


 私が奏でて、彼女が聴く。それだけで、ここにいていい理由としては十分だった。

 楽団にはあまり顔を出さなくなった。別に私がいなくたって、何の問題もないだろう。

 楽団も、都も、どこもかしこも。地上はあまりに息苦しい。

 魔獣である彼女にとって、魔法音楽で溢れた地上はきっと、ひとたび呑まれれば二度と這い上がれない濁流のようなもの。

 私にとってもそうだ。泳げないのに海の底に生まれたみたいに、ずっと生き苦しい。塔のてっぺんまで浮上して、ようやく呼吸ができる。

 だから私も彼女もここにいる。ここを選んで、二人きりで。


 ◇


「……ねぇ。あんたのこと『ラピス』って呼んでもいい?」


 ある日、瑠璃色ラピスラズリの瞳にそう尋ねた。いつまでも「あんた」じゃ味気ないなと思ったから。魔獣に名前を呼ぶ文化があるのかなんて知らなかったけど。


「……? ぱ、ぴゆ?」

「ラピス。らーぴーす」

「ぱーぴゅーぴゅ」

「……そ。ぱぴゅぴゅ。で、私がカルミア……」


 随分と久々に名乗った気がするその響きに、どくん、と心臓が嫌な跳ね方をした。


 カルミアさん、ここのミス何度目? あーあ、今日もカルミアストップか。またカルミアのせいで。


 常に悪態とセットで呟かれ、自分でも嫌いになっていた名前。


「ぱー……ぱぅ……みゃ?」


 そんな呪いを、無邪気なさえずりがほどいていく。


「……ぷっ。あはは……っ。みゃって何だよ。カルミアだよ。かーるーみーあ」

「ぱるりゅ、みゃ」

「っふふ……ああもう。わかったよ。いいよ、みゃで」


 人間じゃない。言葉も通じない。

 それでも、かけがえのない……大切な友達ができたみたいだった。


 ◇


「袖、通るかなこれ……一応ゆったりめなやつだけど……」


 ある日、もう着なくなった昔の服を持ってきてラピスに着せた。ずっと羽毛だけじゃ、その……だったから。

 暑かったのか、次の日にはところどころ破けてた。


「人間の真似事させるのも悪いか……ごめんねラピス、変なことさせて」

「ぴぴぃ♪」

「……リボンは、気に入ったのか」


 私には似合わなかったそれを、両翼の付け根に可愛く結び直しておいた。


 ◇


「おはよ、ラピス。これなーんだ?」

「ぴ?」


 ある日、新しい楽譜を持ってきた。いつも同じ曲ばかりじゃ飽きてしまうと思ったから。家の物置で見つけた昔の楽譜。楽団とは関係ない、好きに吹いても構わない曲。


「ま、へたっぴの私にはどうせまともに吹けやしないけどね」

「ぴぴっぴ?」

「へたっぴ」


 自嘲しながら、心は上を向く。

 ちょっと前まで、楽譜なんて見るのも嫌だったのに。

 ラピスに聴かせるためなら、不思議とやる気になってしまう。


 楽団長にも言われたことあったっけ。あなたの音はいつも俯いてる。自分に自信がないから優柔不断な音になる。トランペットは上を向く楽器だから、まずは顔を上げるだけの自信をつけなさい……って。

 ここで毎日楽器を吹き続けて、ちょっとは上手くなれたかな。自信はついたかな。

 ……そんなわけないか。だってこの音は、相変わらず「魔獣のお気に入り」だ。

 ラピスが近くで聴ける以上、『魔法音楽』としては下の下。無意味で無価値で低俗な音楽。

 上手くなってたら困るんだよ。私の音がラピスを苦しめちゃうから。もう彼女に聴いてもらえなくなるから。


 ……でも、そしたら今度は、あの濁流の中が。音楽の都が。私の居ていい場所に変わるのか?

 それは……何だか、イヤだな。


「ら~~~♪」

「……!?」


 いきなりだった。呼吸が止まるかと思った。誰か来たのかと思って飛び上がりかけた。

 それは、ラピスの「歌声」だった。

 私の演奏に合わせて、急に歌い出したのだ。それはもうびっくりした。


「ラ、ラピス、あんた歌……」

「ぴ!」

「へぁ。あっ、え、演奏止めるなって……?」

「ぴぴぃ」

「……いいの? ……私なんかと、一緒に。歌ってくれる、の……?」


 声がかすれる。指が震える。呼吸が乱れる。喉の奥がやけに熱い。

 そんな私の様子が、凍えているようにでも見えたのだろうか。


「……ぱるるみゃ」


 モフモフとした温もりが、私の全身をぎゅっと包みこんだ。

「……雛鳥こども扱いすんな、こんにゃろう……」


 ぎゅってされて、泣いてるようじゃ。説得力も皆無だ。

 向かい合ったまま、抱き締められたまま。大きく吸い込んで、吹き鳴らす。


「る~~~♪」


 ゼロ距離の温度。耳元で響く、どこまでも透き通った言葉のない旋律。

 おこがましいかもしれないけど……きっと世界でただ一人、私のために歌われた歌。


(忘れてたな……ハーピィの歌声、って)


 ハーピィの歌声は、人間の脳に直接ダメージを与えて苦しめる危険な技……だったはず。

 思い出して笑いそうになった。ラピスの歌声は、こんな耳元で聴かされてもダメージ皆無どころか心地良くさえあったから。

 結局、楽譜の終わりまで演奏して、ラピスの歌を最後まで聴き終わっても、私の脳はいたって正常だった。

 ……この高鳴りを「異常」と呼ぶのなら、それは歌のせいじゃないんだろうし。


「ぷぃーっ」


 ようやく私から離れたラピスが、どこか満足げに息をつく。


「楽しかった?」

「ぴぴぃ!」

「……うん。私も」


 きっと相変わらず、言葉は通じてない。でもそれはもう、どうでもいい。


「……ラピス。ひょっとして、あんたも私と同じだった?」

「ぴっ?」


 歌を操って狩りをするハーピィにはつまり、ハーピィたちの「音楽」がある。群れを楽団にたとえたら、きっと歌が拙い個体は邪魔者になる。

 もしかしたらラピスも、「人間を苦しめる歌を歌えない出来損ない」として、仲間から弾き出されてここへ逃げ込んできたのかもしれない。


 多分似た者同士なんだ、私たちは。

 だからこんなにも惹かれるんだ。

 私に、魔法音楽の才能が無くて良かった。

 ラピスの歌が、人間を苦しめない優しい歌で良かった。


 ねえラピス。明日も明後日も、またここで一緒に奏でよう?

 こんなにも無意味で無価値で低俗で……自由な音楽を。

 私たちだけの、秘密のコンサートを。

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