慎重であればある程いい
これまでの性被害者にとって、極めて困難だった「抵抗できたか否か」の問題。
加害者側にとって実に無罪を勝ち取り易かった「強制性交等罪」や「強制わいせつ罪」など。
被害者が多大な労を以て「抵抗できなかった」「拒絶しても同意と捉えられた」など立証せねばならず、被害者に不利な法となっていたのだ。
これにより日本では性犯罪を立証し辛い環境だった。
法の改正により潜在的な性犯罪は、今後多く炙り出される可能性はある。
構成要件に該当する必要性はあるし、立証責任は勿論、訴えを起こした側にあるが。
それでも構成要件に該当すれば、少なくとも罪に問うことが可能になった。
抵抗できたか否かで争う必要性が減ったのが大きい。つまりは「同意があったのか」が問われる。
まあ単純に言えば「嫌よ嫌よも好きのうち」なんてのが、排除されたわけだ。抵抗の意思を示しても勘違いが横行していて、それは「抵抗じゃなかった」と認識している加害者が多過ぎた。
雑な法律のせいで被害者が後を絶たず、正しく裁かれることも無く、被害者が泣き寝入りしていたのだ。
改正刑法では曖昧だった部分が明確になった。
身勝手な言い分を通し辛くなったのだろう。
そうなると面倒なことも増えると予想されるわけだ。
今、この時点で俺に面倒事が舞い込んでいる。
カフェの一角に陣取り笑顔を見せながら、テーブルに肘を突き「今日呼び出したのはね」なんて言ってるが。視線を俺に固定し「そろそろいい頃だと思うの」と。
どうやら目の前に居る女性は俺に惚れたようで。深い交際をしませんか、なんて雰囲気を漂わせ誘惑しているのだ。
「今度の休みだけど箱根に行こうよ」
「誰と?」
「智輝。あなただけど」
「なんで?」
俺の返答に目を丸くし「なんでって、あたしの気持ち分かるでしょ」だそうで。
分かっているからこそ、避けたいこともあると理解して欲しい。
「じゃあ、条件付きで」
「条件って?」
「互いに指一本触れないこと」
「は?」
互いに大人なのだから、交際していれば自然に関係を持つ、そう思っているようだ。
だがな、性犯罪の多くは、その考えの緩さから来ている。何も男だけが狂ってるわけじゃない。女性もまた、被害者にならぬよう慎重さも求められる。
相手を信用するにしても、その信用を裏切る可能性も考慮すべきだ。その上で関係を持つに相応しいか、吟味すべきなのだが。
「指一本……って、何それ。子どもじゃないんだよ」
「だからだよ」
「意味分かんないんだけど」
法律を知らんのか?
これを説明すると長くなるから嫌なんだが。ああ、そうか。法務省のサイトを見せれば済むな。
スマホを操作し該当するページを表示する。ついでに「不同意性交等罪とは」などと、記載されたサイトにもアクセスしておく。
「まあ、これを見てからだ」
「何?」
スマホを受け取り訝し気な表情で画面を見ているが。
俺を見たと思ったら。
「バカバカしい」
「なんでだ?」
「だって、お互い合意してたら関係無いでしょ」
「あるんだよ」
法務省のサイトだけでは「アホか」となるだろうよ。だが、改正に至った背景やら、新たな法が問い掛けるものを理解すればな。
スマホを渡せと言って別のページを表示し、また手渡すと「わけ分かんない」と言いながら読んでるようだ。
「恋人、夫婦なら大丈夫、なんてことは無い、と分かるだろ?」
「でも。このケースって嫌がってるんでしょ」
「だから、嫌だと思っても意思表示し辛いだろ?」
関係性が壊れてしまう、と思えば我慢してしまえ、なんてこともある。多少でも愛情があればな。それでも後日、やっぱり無理やりは嫌だった、と言われ告訴されたら。
そんなリスクを常に抱えた状態になる。
「分かるか?」
首を縦に振るでもなく横に振るでもなく、言葉も発しないようだ。スマホを手に顔をしかめているな。
それでもスマホを俺に返すと「こんなの、お互いの気持ち次第じゃないの」とか言い出す。
まあお互い熱に浮かされている間は、告訴だの不同意だの考えないだろうよ。しかしだ、気持ちは冷める。冷めてしまった時に冷静になり、なんであの時、許してしまったのか、なんて後悔しだすと。
「お前なんか訴えてやる、になるんだよ」
例えば、事に及んだあとに喧嘩をしたとして、鬱憤を晴らすために「訴える」と言われてみろ。人生詰むんだよ。
逮捕されて不起訴であったとしても、経歴に傷は付く。あいつ逮捕されたぞ、なんて噂になれば性犯罪者の烙印を押されるんだよ。
邪推する奴には事欠かない。
「だ、だったら、智輝だって、あたしを訴えられる」
「男の場合、女ほど楽じゃないと思うぞ」
「なんで?」
「不同意であったとしても、反応したら?」
中折れでもしてくれれば、不同意だったと言えるだろう。だが最後まで元気だったら、何を以て不同意とするのかって話だ。本気で嫌だと思えば反応しないはず、とか言われてみろ。同性ならともかく異性だっての。幼児だの高齢者相手でも無いとなればな。
内心で喜んでるじゃないか、なんてなりかねない。
「男と女じゃ違うからな」
そう言ったリスクの全てを排除して、問題無し、となれば行為もありだ。
だが、僅かでもリスクがあるのであれば、行為に及ばないに越したことは無い。
「理解してくれたか?」
「結婚とかどうするの?」
「婚姻関係は可能だろ。そのあとの行為はともかく」
「意味あるの?」
無いだろうなあ。ただお互い同じ家に住み、互いに働いて家ではただ会話を交わすだけ。指も触れずに過ごすなら、別に一緒に居る必要も無い。
「子どもは?」
「欲しくなったら同意書でも作ればいい」
「何それ」
「リスクを徹底排除するなら必要だ」
家庭内で作っても効力は怪しい。
公証役場で作ってもらえば、証拠として万端と言えるだろうよ。万全とは行かないけどな。そこはあれだ、双方の意思が完全に合致していた、なんてそれこそ証明不可能だからだ。
「それ、結婚する意味あるの?」
「それでも良ければ、って話だ」
「何それ」
そんな面倒な手続きが必要になって、誰が結婚したいと思うのかと言い出した。
確かにそれはある。やりたくなったら同意書となればな。都度公証役場に出向いて、双方の意思確認と同意を得て、なんてやってられん。
そんな面倒な手続きが必要なら、一生独身で居た方が気楽だ。
「みんな、そんな考えなの?」
「それは分からん。世の中には能天気な奴らも多いからな」
どうせだ。そういう能天気な奴らを相手にした方が、俺を相手にするより楽だと思う。
それを言うと。
「確かにそうだね」
「だろ?」
「じゃあ、そうするね」
それでいい。人同士で絶対の信頼関係なんてあり得ない。
「なんて言うと思った?」
「は?」
「あたしだって、誰でもいいわけじゃないんだよ」
「まあ、それは理解するが」
じゃあ、と言うことで提案された。
「とりあえず指一本触れない、は同意しておく」
「そうか。ならば」
「でも、いいって言っても断るの?」
「口頭で約束しても証拠にならん」
呆れているようだ。
カフェの天井を見て俯き深いため息吐いてるな。
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