第3話

 眼を開けると、そこは見知らぬ……いや、最早見慣れたと言っても過言ではない天井が映った。

 この薬っぽい匂いには正直嫌な記憶しかないが、今、自分の置かれている状況を説明するのにはこれ以上ないものであった。


「……あっ、起きましたね。おはようございます、てっきり『契約』を果たしてくれるものかと」


「はいはい、無事生きてて悪かったな」


 悪態をつきながらベッドから身体を起こした。手足に異常はなく、問題なく機能する。

 どうやらあの後、救急車でこの病院に運ばれてきたらしい。言うなればここは行きつけの病院であり、この部屋も行き慣れた親戚の家のような感覚である。


「そうそう、話は変わりますが、あなたがこの病院に運ばれて、眠っている間に向こうに戻っていたんです。それで、『多感性致死過剰応答症候群』について調べたんですけど、特に目ぼしい情報はありませんでした。その代わり、今日学校で学んだことをお教えしましょう! より強い情動が伴う――つまり前回の例に倣うなら、白紙の本に記憶という文字が強く染み込んでいれば、いわゆる『前世の記憶』を引き継ぐだとか。まあ、そのようなイレギュラーは不都合らしく、その魂は回収された後にリサイクルされずに廃棄処分されちゃうらしいんですけど」


「そうかい、つまり肝心なことは何も分からずってことだな」


「折角、ヒトが調べてきてあげたというのに。ホント失礼な態度ですね」


 ため息を漏らしながら、慣れた手つきでベッド横のナースコールを押す。すると、程なくしていつもの看護師さんが顔を見せた。


「良かった、目が覚めましたか。はあ、今度はどんな無茶をしたんですか?」


「えっと、実は……」


 彼女は三十代前半といったところであろうか。髪を後ろで束ねており、最後に見た母の面影に近いせいで彼女の前だと妙に舌が回った。


「まあ、大方事情は聞いています。すんでのところで電柱を、下敷きにならずに本当に良かった……全く、心配させないでください。一部では『死神に憑かれてる』とか『死神に愛されてる』って言われてるくらいなんですからね」


「あはは……すみません」


 しばしの沈黙の後、傍らの棚にフルーツバスケットがあることに気づいた。不思議そうに眺めている自分に気づいたのか、看護師さんが口を開いた。


「ああ、そちらは商店街の方やバスの運転手の方が先程お見えになって……何でもお見舞いだそうですよ。今お食べになるならお剥きしますけど、いかがされます?」


「それじゃあ、お言葉に甘えても良いですか?」


 その言葉を聞くと、彼女は微笑みながら、バスケットを持って部屋を後にした。それを見計らってか、横で浮いてる死神が口を開いた。


「病院って中々に良いですね、外なんかより魂回収が捗りそうです。ただ、他の死神せんぱいがいらっしゃるのであまり手出しはできませんが……」


「はあ……病人の前でよくそんなこと言えるな、お前」


「そうですか? あなたがどれだけ足掻いたとしても、命は散って然るもの。死とは、ただそれだけの『現象』なんです。アタシからしてみればあなたの方が不思議ですよ。どうしてそこまでして人を助けたいんですか? そんなことをして、何のメリットがあるというのですか?」


「……うるせえよ。どうせ神様には言っても分かりゃしねえだろ」


 コイツに悪気というものが一切ないことは頭では理解している。そもそも、コイツとは価値観や倫理観そのものがまるっきり違う。だからこそ、俺はコイツを受け入れられないのだ。


 「そうですか、人間とは難儀ですね」とだけ言い残し、視界の端で彼女は影に溶け込んでいく。どうせいつもの『定時連絡』とやらであろう。何度観ても気色の悪い光景を横目に、俺は舌打ちをしながら、引かれたであろう腕を擦る。


「俺はお前の方がよっぽどだと思うけどな。――だってお前は……俺に


 こちらの準備はとうにできているというのに。首元に押し付けられているのに、いつになっても力を込められないその鎌に、そして、それをこの首に飾りつけられながら生きなければならない現実に嫌気が差しながらも、束の間の静寂を噛みしめて、俺はゆっくりと眼を閉じた。

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