第2話
「あ〜、もう退屈です! お仕事がしたいのに、でーきーまーせーんー!」
「うるせえよ。だったらどっか行け」
授業中だろうが、家に帰って期末テストの勉強をしていようが、お構いなしにコイツは騒いでいる。コイツが電気で動くロボットの類であれば、話は簡単であったのに。
「魂回収の契約をしているので、無ー理ーでーすー! さては、契約書を読んでないんですか? ちゃんとあなたの魂に書いておいたじゃないですか!」
「自分の魂なんぞ見れねえんだから、読める訳ねえだろバカが!」
「というか、あなたの魂を回収すれば良いだけなのにこんなに手こずらないといけないなんて……。そもそも、ただの人間のあなたが『多感性致死過剰応答症候群』なんて患っているのが悪いんです、どうしてあなたがその力を持ってるんですか!」
先程までアホ面を晒していた自称死神が突然真面目な顔で核心めいた質問をするもんだから、呆気に取られる。
ただでさえ、ポツポツと地面を叩く雨の音で集中力を削がれているのに、さらにバカが騒いでいてはまともに勉強だってできやしないから、俺はそっとシャーペンを置いた。
「いや、知らねえよ……てか、どうしてこの力がいるか聞いてなかったな。その仕事柄、単にこの力があった方が便利ってのは分かるけどよ、別に無くても回収自体はできんだろ。前に
「はい、というかそれは元々死神特有の力なんです。本来、それを使って効率的に魂を回収をするんですが、アタシは見習いなのでその力は持っておらず、自分の脚で探すしかないんです」
ははーん、つまり、コイツは楽をしたくてこの力を求めたという訳だ。想像通り過ぎてため息すらでない。
「あー! その顔はアタシのことバカにしてますね!? そもそも生き物の死ぬタイミングが分からないんですから、あなたが急にぽっくり逝って、他の
「へいへい」
適当に相槌を打ったことで、なおのことギャーギャー騒ぎだした彼女を無視しながら、昼飯の支度をしようと冷蔵庫を開ける。
「(……ん、そういや緑茶買い忘れてたな。明日は台風直撃だっけか、面倒だけどまだマシなうちに買って来るか)」
「――てことです、分かりましたか?! って、だから勝手に離れられると契約で……ちょ、痛ッ、痛い痛い! 引っ張られるんですって! やっぱり聞いてませんでしたね――だから痛いですって!!」
何かほざいていた彼女を無視しながら、雨の中、俺はスーパーへと足を運ぶことにした。
◆◆◆
「まーた緑茶ですかー? こんな甘くないもの飲むくらいなら水道水で良いじゃないですか。アタシお茶って苦くてなんか嫌いです……オレンジジュースにしましょうよ~」
「別にお前が飲むわけじゃねえし良いだろうが、口出しすんな」
傘を差し、買い物袋を持って商店街を歩く。子連れの親が買い物に来ており、至る所に子どもがいるが、相変わらず吞気に浮いているコイツは街行く人々には見えないようで、不平不満を垂れ流す目障りなスピーカーに見向きもしない。
静かにしろと言っても、言うことをきかない彼女は、そこら辺を駆け回る子どもとなんら変わりがないだろう。
「……お前らって幼少期とかあったりすんのか?」
ふと、気になったことが口をついて出た。それ以上も、それ以下もなく、ただ何となくそう尋ねた。
「なんですか、藪から棒に。うーん、そうですね……考えたこともなかったですが、人間のような『幼体』の時期はなかったと思います。アタシは産まれた時からずっとこの姿ですし」
「幼体ってお前……じゃあ、母親みたいのもいねえのか」
「あなたが想像している母親のような存在はいなかったと思いますけど……死神の王ならいらっしゃいますよ。王はとても素晴らしい方です、右も左も分からないアタシに名前とお仕事をくださったんですから」
「じゃあ、俺からも仕事をやるよ、ほれ」
お茶が入ったレジ袋を自称死神に差し出す。この辺りで一番安いスーパーは家から遠く、そこまで向かったせいで、腕には疲労が溜まっていた。やけに強い風でレジ袋がシャカシャカと激しい音を立てる。
「ですから、死神は
「あ? そんなこと初耳だぞ」
「え、これは話してませんでしたっけ……? コホン、では教えて差し上げましょう!」
いつもよりやけにテンションが高いが、何かを説明する時、彼女は決まってこうだ。
恐らく、自分で新人と言うくらいだから、下っ端も下っ端の彼女が他人に何かを教えることなんて珍しいのだろう。まあ、『こんなことを知っているアタシって凄いでしょう?』という、いけ好かないオーラをまとっていて正直鬱陶しいが。
「簡単に言えば、現世の物質を触れることによって、人間を殺すことができないようにする『決まり』ですね。前にも申しました通り、『肉体的な死を迎えていない魂を回収することはできない』というのは、死神が意図的に寿命を操作する、つまり、死神が直接手を下すことによって、人間の魂を回収することを防ぐという役割があります」
彼女は後ろを向いて、コソコソと何かをし始めた。時折紙の捲る音が聞こえたため、何となく何をしているのかは察しがついたが。
「まず前提として、この世界には魂に質量的概念があります。言うなれば、地球上に存在できる命の上限を大きい紙とするなら、その紙を切り取って製本した白紙の本が生物、そこに書き込まれる情報が記憶ということですね。資源に限りがある以上、魂を回収してリサイクルしないといけないんです」
「長げえよ、前置きはいいからさっさと要点を言え」
「むぅ……折角アタシが親切丁寧に教えているというのに。まあ、要するにアタシたち死神は魂の回収業者であり、魂にはリサイクル日が設けられていて、指定日以外での回収を防ぐために本来の死因を改ざんすることは禁じられているということです」
話半分で聞いていたが、喉につっかえた魚の小骨のように、何かが引っかかった。その違和感を解消するために、口を開く。
「でも、お前らは魂を回収するのが仕事なんだろ? だったら死因が何であれ、魂を回収できるなら関係なくねえか? 極端な話、生物の寿命関係なく、三十年なら三十年で強制的にリサイクルするとか、やりようはいくらでもありそうなもんだが」
「えっと、それは……何ででしょう?」
「おいおい、死神の義務教育はどうなってんだよ」
「なっ!? 失礼ですね! 没個性を誘導しておいて、社会では個性を重視する人間の教育法の方がおかしいです、矛盾しています! それに引き替え、死神の方が矛盾のない高潔な存在ですし、そもそも――」
「んな事俺に言われ……て、も」
ズキリと、今まで経験したことのないほどの――思考が全てその痛覚で埋まるほどの衝撃がこの身を襲った。
視界はぼやけ、上下の感覚すら曖昧になっていく。ぐわんぐわんと頭を大きく揺さぶられているかのように、視線が定まらない。辛うじて動く脚を動かし、路地裏へと雪崩込む。胃から逆流した酸味のある液体が自分の意志とは無関係に喉を通過し、止めどなく外界へと放たれた。
また、いつもの頭痛だ。だが、この規模の痛覚は今までにない。ただ一つ明確なことは――これから大量の人間が死ぬ、それだけだった。
「だ、大丈夫ですか!?」
何とか立ち上がり、歪んだ視界で辺りを見回すと、商店街を抜けた先の横断歩道で、グラグラと揺れる電柱が見えた。
「(電柱が倒れて大勢が下敷きに? いや、この頭痛の規模で考えるなら……!)」
とにかく今ここで立ち止まって思考している暇は無い。頭痛が始まってから長くても数十秒、さっき倒れ込んだ時間を考慮しても、残り十秒残されているかどうかの瀬戸際である。持ってた荷物を全て捨て、ふらつく脚を強引に動かし、大急ぎで道路へと駆け出していく。
……なんたって、この異変に気付けるのは俺だけなのだから。
「ちょ、どこに行くんですか!?」
――九。
びしょ濡れになりながら、人の波をかき分け、酸素の足らない脳みそで策を考える。
電柱を支える? いや、そんなこと、スーパーヒーローでもない俺にはできない。
――八。
そもそも、これは博打のような行為だ。あの電柱が倒れるかなんて分からない、もしかしたら、もっと別の何かが原因の可能性だってある。にもかかわらず、直感で決め打ちし、走り出している。
――六。
正直吐き気が止まらない。今だって頭をコンクリートに何度も何度も叩きつけられているような感覚がある。
それでも、意志は折れることがない。それでも、この心臓は止まらない。
――五。
信号機が点滅を始める。そんなことを意に介せず、半ば暴走を続ける脚は動き続ける。
――四。
電線がブチブチと嫌な音を立て始めた。そして、支えを失った電柱も、首をもたげるようにゆっくりと傾き始める。
――参。
横断歩道のど真ん中にたどり着くと、今まで店で塞がっていた両側の視界が開ける。対面からは大型な車が向かって来ていた。
「(あれは、バスか……!)」
まだ距離はある、今ならまだ間に合うかもしれない。
両腕をめいいっぱい広げ、叫ぶ。聴こえるかなんて分からない、無駄な抵抗なのかもしれない。それでも、この命を振り絞るように叫んだ。
――弐。
車のブレーキ音と人間の悲鳴が混じった甲高い音が響く。電柱のメキメキという音も心臓の鼓動の音も、全てを聞き分けられるほどに、長い、ひたすらに長い刹那が過ぎた。
――壱。
目の前、僅か五メートルほどの所でバスが止まる。顔を真っ青にした運転手と、消えた頭痛を感じてほっと一息つく。
安堵からか、膝が笑い出す。そして、燃料が切れた機械のように、そのままその場へと崩れ落ちる。
……まだ
――零。
自分の顔にぼうっと伸びた長い影が映る。バスを止めることに全力を注いでいたが、一つ忘れていることがあった。それは
その元凶、行き場のなくなった電柱はマグネットのようにこちらへと吸い寄せられていたが、この脚はとうに限界を迎えている。
……いや、脚だけでない、視界だって明滅し、無理矢理言うことを聞かせたからか、疲労困憊の身体は反抗期のように脳からの指示を無視する。
「(……ああ、もう、限界だな)」
辺りに誰もいないことが唯一の救いだと思いながら、何かが腕に触れた感覚を最後に、俺の意識は事切れた。
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