第1話

「お、回収チャンスですか?」


「……させるかよ、アホ」


 この頭は突発的な頭痛に見舞われることがある。それを『偏頭痛』で済ませられれば、どんなに楽であったか。鈍痛につられ、片手で頭を抑える。

 フラフラとした足取りで、駅のホームに設置してある非常停止ボタンを静かに押した。周りの人間たちは『何をしているんだお前』という視線を送ってくる。

 ……まあ、俺も逆の立場だったらそう思う。そして、そのまま周囲を確認した。


「だ、大丈夫ですか!?」


 案の定、悲鳴とともに、男が線路に転落する様子が視界に映った。

 落ちた男の齢は六十といったところで、発作か何かが原因なんだろう。電車はホームに差し掛かる辺りで停まっており、駅員の救助の末、事故は未然に防がれた。

 傍らにいる彼女はがっくりと肩を落とす。「ざまあみろ」とだけ呟き、俺はその場所からそそくさと退散した。


 ◆◆◆


 この力に目覚めた、あるいは知覚してしまったのはもっと小さい頃だったと思う。

 当時はただの頭痛としか認識されず、かかりつけ医もお手上げ。原因不明の急性頭痛ということで片を付けられたが、苦しむ息子を不憫に思った両親は俺を連れて、町から市、市から県、県から国へと病院を転々と移動して行った。

 初めこそ軽い頭痛であったが、病院を移動するにつれて、ある事実に気づいた。それは、病院の規模が大きくなるにつれ、頭痛の重さが変わるということ――つまり、死に直面しやすい重症患者等を受け入れる病院ほどのだ。

 だが、そんなバカみたいな話を信じる医者なんておらず、唯一信じてくれた両親でさえ、この世を去ってしまった。人の死を知覚できても、完全に防ぐことはできない己の無力さを何度呪ったことか。


「もう、また勿体ないことをしましたね」


 家までの道を歩く俺の周りをぷかぷか浮かぶ女はそう話しかけてくる。風にサラサラと弄ばれる長い黒髪は俺の視界を邪魔し、鬱陶しくて手で払う。

 この力はどこぞのスーパーヒーローのように空を飛べる訳でもなければ、動物や昆虫の力を扱える訳でもない。ただ、人の死の前兆を数十秒前に頭痛として感知するだけの力である。

 しかも、感知できる範囲はさほど大きくなく、絶対的に免れることができない死はどうあっても防ぐことはできない。その時は、指を咥えて眺めることしかできないのだ。


「……ほっとけ。誰がお前に協力すると言ったんだよ、ストーカー女」


 目の前の女こそ、俺の力の正体を告げた人物……いや、正確には『人物』と呼ぶのは不適切かもしれないが。


「なっ、ストーカーだなんて、失礼ですね! これでもあなたより高位な存在なんですよ? なんたって、死『神』なんですから」


 一度は耳にするであろう存在、『死神』。彼女は初めて会った時、自分のことをそう言った。

 別に信じている訳ではないが、その物騒な黒鎌を携えながら、ただの人間にはできない芸当をするもんだから、疑いようがないことは確かだ。

 この死神はかなり厄介で、他人には見えない。人混みの中で会話をすれば、ぶつぶつと独り言を発する痛いヤツになってしまう。

 ただ、最近じゃワイヤレスイヤホンで通話をする人も増えているため、あくまで電話をしているていで話せば、多少奇怪な眼で見られこそするが、比較的問題はないことは救いではある。


「だいたい、アタシには『ミライ』って名前があるんですから、名前でそう呼んでください」


「はいはい、ミライねえ……」


 俺は隣の少女が言ったことなど意に介せず、彼女と初めて会った時のことを思い出していた。


 ◇◇◇


「初めまして、新人死神の『ミライ』と申します。あなたのその力、アタシのために使ってくださいませんか?」


 時遅く、手遅れになってしまった仏さんに合掌をしていたら、真っ黒な影の中からぼうっと赤い瞳が浮かんでいるのが見えた。

 真っ黒なロングコート、黒のシャツにネクタイ、そしてパンプスや髪の一本でさえ、影に溶け込む少女。その右手にはてらてらと光る鋭利な三日月を携えている。

 死神――そう呼称することが、今まで生きた十余年で一番しっくりきていた。

 そうか、やっとなんだな。そう考えながら、俺は全てを受け入れるように頭を垂らした。これで両親の元に行けるのであれば、それはそれで良いかなと思ったのだ。


「……えっと、何をされてるんですか?」


 困惑する声が聞こえる。訝しんで面をあげると、目の前の”何か”が明らかに狼狽していた。


「何って、お前死神なんだろ? 俺の首を落としに来たんじゃないのかよ」


「首を落とすなんてとんでもない! アタシは来たんです」


 それを聞いてもイマイチピンと来なかった。なんたって俺は死神とやらに頼られるような人間でないのだから、ただただ首を傾げるしかなかったのだ。


「えーっと、人間界風に言うなら『多感性致死過剰応答症候群』というものを患っているはずですが、違いましたか?」


「……なんだよ、それ?」


「そうですね、あえて例えるなら誰かの死を悟る『虫の知らせ』の感知範囲が拡大され、痛みに変換されることによって起きる一種の病気のようなものです。てっきりあなたがそうだったと思ったのですが、人違いでしたか……」


 落胆した様子を見せ、彼女は元の場所、もとい影の中に帰ろうとする。


「なっ、なあ、待て! お前、この力が欲しいのか? ならくれてやるよ!」


 こんな力、こちらから手放せるのであれば、この好機を逃す訳にはいかない。これ以上、目の前で命がこぼれていくのは耐えられないのだ。


「ホントですか!? なら契約成立です!」


 彼女は自分の胸に手を当てると、この胸の内で、ジュっと焼ける音がした。痛みなどはないが、まるで烙印を押されているように、胸の中が熱かった。


「今、何をしたんだ……?」


「ですから、契約です。たった今あなたの魂を予約したんです」


「……は?」


「死神は回収した魂の権能を一部いただけるんですよ。ただ、肉体的な死を迎えていない魂を回収することはできないので、予約したんです」


「おい待て、それじゃ……!」


 目の前の死神はきょとんとした顔で首を傾げる。それからだった――俺がコイツに付きまとわれるようになったのは。

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