番外編 踏切のみえる窓

 子供の頃、母の実家へ行くのが好きだった。

 母の実家は、信越本線の沿線にあり、しかも、踏切の近くに建っていた。客間で電車のおもちゃで遊んでいると道路側の部屋の外から遮断機の警報機の音が聞こえる。

 遊ぶのを止めて、部屋の方へ行く。窓の前に祖父か祖母が踏み台を置いてくれていた。踏み台によじ登って、窓の施錠を開けて窓を開ける。

 窓の向こうは道路。その先は、砂利の敷き詰めた駐車場が広がる。

 窓枠に両手を置いて、ワクワクしながら、踏み台の上で待っていると右の方からゴーっと低い音と一定間隔で通過する線路の継ぎ目の音が段々と近づいてくる。

 現われたのは、183系特急「あさま」。グレーよりの緑色のカラーリングをした特急は、長野方面へと颯爽と踏切を通過する。

 踏切を通過し終わり、警報音が鳴りやみ、遮断機の安全棒がゆっくりと上がり終わると踏み台から降りて、客間に戻って放り投げてきた電車のおもちゃで再び遊びはじめる。

 しばらくして、また遮断機の警報機が鳴った。

 部屋の方へ行って、踏み台に登り、窓枠につかまる。

 今度は左の方から音が聞こえる。踏切の方をジーっと見て、何の電車が現れるのか待った。ボンネット型の車体にピンクと青のラインが入ったカラーリング。金沢から来た特急「白山」。

 遮断機の警報音が鳴りやんで、安全棒が上がる。踏み台から降りて、客間へ戻る。

 

 とにかく、このようなことを一日中繰り返して、遮断機の警報音が鳴ると窓から列車が来るのを待っていた。

 

 当時の信越本線は、数多くの車両が走っていた。高崎からサンドウィッチ電車の107系。かぼちゃ電車の115系。長野から緑と赤の信州色。水色と緑の長野色の115系と169系。夕方になると電気機関車が牽引する貨物列車。夜は夜行急行「能登」。夏には、特急「そよかぜ」が走り抜け、行楽シーズンになるとジョイフルトレインが踏切を通過した。

 

 そんなある日。いつものように、母親の実家で遊んでいると、隣の居間から母の呼ぶ声が聞こえた。呼ばれて行くと四角いテーブルの上にお昼ご飯がならべられていた。祖父母と母そして妹の五人でテレビを観ながら昼食を摂った。

 お昼のニュース番組から長野オリンピックの開催準備と北陸新幹線の開業状況についてが放送された。テレビ画面に新幹線の走行試験の映像が映しだされた。「新幹線開業により東京‐長野を最速80分で結れます。これに伴い、信越本線横川‐軽井沢間は廃線になり、軽井沢‐長野間は第三セクターへ移行となります」とキャスターは原稿を淡々と読み上げ。碓氷峠を上る特急列車と電気機関車の映像になった。

 

「ハイセン?」

 意味がわからない単語。

 母が話かけてきた。

「あさまや白山が走らないってことだよ」

 優しくわかりやすく教えてくれたが、実感がわかなかった。


 新幹線が長野まで行く。じゃぁ、なんで、あさまと白山が走らなくなるの。

 わからないことが頭の中をまわる状態で、お昼ご飯を食べていた。


 九月三十日。ハイセンという単語の意味がわかった。

 テレビ画面に、テレビカメラの照明と鉄道マニアのカメラフラッシュが、電気機関車を写し出し、別れを惜しむ言葉や声援。窓からホームに人たちに手を振る乗客。そして、碓氷峠の歴史を伝える特集映像。


 廃線とは鉄道としての役目を終えることだ。


 しばらくして、母の実家へ遊びに行った。いつものように電車のおもちゃで遊んでいると遮断機の警報音が聞こえる。踏み台に登り、窓を開けて、列車が来るのを待つ。来たのは、かぼちゃ電車の115系。

 そうだった、もう、特急は来ない。


 あれから二十数年が経った。祖父母は、二人とも他界。母の実家は空き家状態になり、道路の向こうにあった砂利の駐車場には、事務所が建った。それでも、踏切から警報音が鳴り、ローカル線となった信越本線を列車は走り抜ける。


 あの窓からの風景は、遠い昔の記憶として残っている。

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