第3話 高崎発軽井沢・直江津・長岡経由高崎行き

 7月第三週。土曜日。

 天候は生憎の雨。梅雨真っ只中。

 傘をさしながら、歩いて高崎駅へ行く。肌寒かった四月の朝とは、うって変わり、湿気が顔に纏わりつく。

 駅のコンコースを、土曜授業へ登校する学生たちが急ぎ足で改札口を通過していく。構内の売店で、朝食兼昼食用のパンと飲み物を買い、5番線ホームへ降りた。

 6時58分発信越本線横川行き。四両編成の211系電車が5番線ホームに入線。発車時刻まで最後尾車両に乗って待つ。車内は自分を含めて四人。隣のホームからキャリーケースを持った旅行客や登山服に身を包んだ夫婦など休日を使って遠出する人達が慌ただしく往来している。

 発車ベルがホームに鳴り響き、列車は定時に発車。

 信越本線は、高崎から直江津を経由して新潟を結ぶ全長二百八十九キロの長距離路線。特急・急行・普通・寝台そして貨物列車と数多くの鉄道車両が、太平洋から日本海へと駆け抜けたが、平成九年十月一日に長野(北陸)新幹線が開業すると斜陽の如く、衰退し一部区間は、第三セクターへ移管となった。

 高崎を発つと左に大きくカーブし、北高崎・群馬八幡・安中と停車。住宅地と工業団地が建ち並ぶ。安中で、左窓から山の斜面にある、亜鉛の精練工場が、山城の如くそびえている。徐々に山々との距離が近くなり水田地帯へと風景がかわりはじめた。水田には、水が張られ稲の苗が整然と植え付けて、夏へと季節が近づいてきた。

 松井田から急勾配な登り坂になり、右窓から急峻な崖と崖下を碓氷川が流れる。

 7時30分終点横川着。線路の先には、分厚くくすみがかったコンクリート製の車止めが三つ並ぶ。ここから先は鉄路はないこと見せつけた。


 横川-軽井沢間は、わずか十一キロと短い区間だが、碓氷峠が待ち構え、国鉄・JR線の中でも最も急勾配の区間として全国にその名を知られた。列車単体では登ることはできず、また降るとブレーキが利かず、最悪場合、暴走して脱線する危険性がある。

 そのために、碓氷峠の急勾配の坂に特化した峠専用の電気機関車。EF63型電気機関車が最後尾に重連で連結して列車を後押し、降る時は先頭になって、機関車に搭載された峠専用のブレーキ機能を活用して、ゆっくりと下っていた。しかし、新幹線の開業により、平成九年九月三十日をもって廃止となった。

 現在、横川運転区があった場所は、碓氷峠の歴史と鉄道の功績を伝えるテーマパークとして使われ、EF63は園内で動態保存されている。


 鉄路がなくなるも、人流・物流の流れは止まらない。


 横川駅舎を、出て駅近くのバス発着場へ向かう。軽井沢へは、現在バスによる運行がなされている。バス停には、自分と同じようにバスで、軽井沢に行く人が七、八人待っている。

 霧雨が降り、気温は高崎より低いが相変わらず湿度は高い。近くの国道十八号を、バイク・事業用トラックとファミリーカーが、碓氷峠へと向かっていく。

 8時ちょうど、軽井沢行きのバスが発着場に入場。車両は大型観光バスタイプで、運転席付近に料金箱が設置されている。バス運転手が、乗降ドアを開けて、案内と運賃の徴収を始める。運賃は片道五百二十円。小銭入れから、運賃代を出し、料金箱に入れた。座席に座り、シートベルトを装着し発車時間まで窓の外を眺めた。 

 8時03分着の列車に乗ってきた乗客たちが、駆け足でバスに乗り込んできた。車内の席はほぼ満員になる。案内と徴収を終えた運転手が人数と安全確認して、運転席に座った。

 8時10分軽井沢駅直行バスは横川駅を定刻発車。バスは、テーマパークを横目に通り過ぎ、碓氷バイパス経由で軽井沢へ向かう。

 碓氷バイパスは、従来の国道十八号の代替として昭和四十六年に敷設・開通。開通によって、運送トラックや地元住民の重要道路となっている。カーブは全部で四十八。登り坂が続くが、軽井沢手前、約二キロの区間は急な下り坂になっている。この急坂で、夜行バスが操縦不能に陥り道路下に転落。乗員乗客二十数名の尊い命が失われた。

 バスは時速四十キロでバイパスを登ってゆく。車体が大きいせいのか、道路幅が狭く感じる。また、道路にまで伸びた草や枝が車体に擦れる。運転手は、安全喚呼しながら慎重に運転をしている。

 車内は、誰一人としてしゃべらず、碓氷峠と横川・軽井沢の歴史を説明する案内音声だけが聞こえる。

 出発前に、運転手が冷房をまわしてくれた。最初は涼しかったが、バイパスの中間付近から寒くなり、口の中が乾燥してきた。

 登り坂終点に差し掛かり、窓から幾重にも連なる山と雲が標高の低い位置に垂れ込んでいる。運転手はゆっくりと安全に運転しながら、坂を下り、軽井沢の街へ入る。国道から右にそれて、駅へと向かう窓からは大型複合施設の駐車場へ入るための車が列をなしていた。

 8時44分軽井沢駅前に到着。


 9時36分発の「特別快速リゾート軽井沢1号」妙高高原行まで、軽井沢駅で待機となる。この列車は、五百円の指定席を購入しなければならないので、駅構内のしなの鉄道の発券口へ向かう。窓口にいた駅員に、指定席券の発券と行き先の妙高高原までを伝えるが、空調の真下いたせいで、駅員に二度聞かれた。なんとか、指定席を買い、コンコースのベンチに腰掛けて発車時間まで待つ。待っている間も、隣の新幹線の改札口から大勢の旅客客が、流れるように出て来る。その多くは訪日客だ。欧米・中華・東南アジアと国際色が高崎より高い。

 発車30分前になり、改札口を通ってホームへ向かう。1番線に「特別快速リゾート軽井沢1号」が入線待機。しなの鉄道の最新型電車のSR1系。二両編成。ホームの右端に、EF63型電気機関車とアプト式電気機関車EC40型が雨風に晒されて、塗装が色褪ながら静態保存されている。

 横川方面のホームは、大型重機によって解体撤去中。わずかに残っているホームと屋根の支柱が霧雨に濡れている。


 しなの鉄道は、平成九年十月一日にJRから移管された第三セクター路線。軽井沢‐長野間のしなの鉄道線と長野‐妙高高原間の北しなの線の二区間。東濃・北濃地方の地域間を担っている。

 9時36分定時発車。雨は止んで雲の切れ間から日が差し込んできた。中軽井沢・信濃追分と信濃路を進み、右窓から浅間山が見えるも山頂は分厚い雲に覆われて

全姿は拝めなかった。高地であるため、水田は一切なく高原野菜の畑が多く、カラ松林の間から農家の家や納屋・倉庫が建っている。信濃追分を過ぎると追分原の浅間山麓の急な下り坂を速度を抑えながら降ってゆく。

 小諸・田中と停車。南は千曲川が流れ、北には高峰高原・湯の丸高原からなる山々が連なる。上田に着くと乗車する客が増えた。上田盆地内は、住居や商業施設がひしめき合い。別所温泉方面の斜面には、若草色の水田が山の斜面に張り付くように見えた。盆地を離れるにつれて、山と山との距離が短くなり、谷間を列車は駆け抜けてゆく。坂城・戸倉に停車。戸倉を発つと、千曲川の対岸にある戸倉・上山田温泉郷の旅館が建ち並ぶ。

 屋代で山の谷間が抜け終わる。長野盆地がひろがり、それまで速度を抑えていた電車は快速の名の如く、速度を上げる。左右の窓からは、リンゴやモモといった果樹園が現れる。まだ、実は実っていないが、防鳥用のネットが果樹園の周りを薄白く覆っている。

 10時48分に長野に着くと、さらに乗車する人が増えた。

 長野を出ると、新幹線の高架線が平野の真ん中を貫くように飯山方面へとのびる。北しなの線は反対方面の豊野へ。飯綱・戸隠の山裾の急な上り坂を登ってゆく。豊野・牟礼むれに停車すると上田・屋代・長野からの乗客が降りた。登るにつれて人家の数は少なり、線路側に「リンゴの里 豊野」「ナウマンゾウ発見 野尻湖」と書かれ、端の部分が錆びた広告看板がいくつも目立つ。上り坂を上りきると黒姫に着く。元々の駅名は柏原だったが、黒姫山と麓の黒姫高原の観光地開発に合わせて改名された。黒姫山は雲と霧に隠れて見れなかったが、深緑深い高原と観光施設の案内看板は見れた。再び、勾配の坂を登り、何度もカーブを曲がりながら妙高高原に着く。


 11時33分妙高高原駅の2番線に到着。

 ここで乗り継ぎ。隣接する3番線ホームに直江津行きの電車が発車時間まで入線待機していた。発車は12時07分。約二十五分ほど時間があり、駅前を散策することにした。

 駅前は、軽井沢とは違い静寂に包まれていた。メインストリートからは山頂部分を雲で隠した妙高山が見える。駅前に、麓の温泉旅館の送迎用ワンボックス二台が停車して、運転手が予約客の到着を車の外で待っていた。

 妙高高原駅の駅名も元々は田口だったが、黒姫駅と同じで観光地開発で改名。

 駅舎は、国鉄時代から継承された平屋の鉄筋コンクリート造り。舎内は、うちっぱのコンクリートにベンチがボルトで固定され、照明は薄暗く、窓ガラスや壁にはポスターと周辺の案内情報が貼られている。まさに昭和の駅である。

 改札口を通り、3番線ホームへ向う。このあたりは豪雪地帯ともあり、線路と線路の間に流雪溝が設けてあった。

 

 12時07分発えちごトキめき鉄道。直江津行き二両編成。車両はET127系電車。側面は地元企業や専門学校の宣伝広告でラッピングされている。車内は三人だけでがらんとしている。運転台後ろには、路線バスにある運賃箱と天井からは料金表示機固定されている。ロングシートに座り、高崎で買ったパンを食べ、飲み物を飲みながら発車時間になるのを待った。

 えちごトキめき鉄道は、平成二十七年三月十四日に北陸新幹線の金沢延伸によりJRから移管された第三セクター路線。妙高高原‐直江津間のはねうまラインと直江津‐糸魚川間の日本海ひすいラインの上越地方の二区間。しなの鉄道と同じく地域間輸送を担っている。


  12時07分妙高高原を定時に発車。発車してまもなく山を下りはじめた。左右に長いカーブを曲がりながら、関山・二本木に停車。二本木には、蒸気機関車時代に設けられたスイッチバックがある。スイッチバックは、蒸気機関車または非力だった電気機関車が、本線から外れるように側線が敷設された線路を使って、勾配のある坂を上り下りする方法である。電車は、そのスイッチバックの側線をゆっくりと入る。左窓から、蒸気機関車時代に活用された倉庫・ランプ小屋を横目に本線に戻る。

 再び、電車は長い下り坂を下り続ける。高田平野の山側で、傾斜地によって耕作地が狭く、斜面に対して水平になるように北側を高くした水田になっている。また、家の一階が駐車場と納屋か倉庫。二階からが居住スペースの豪雪地帯に見られる家づくりとなっている。

 天気が曇りから晴れに代わり、妙高山と火打山の全姿が見えた。新井・北新井と平野の中間に差し掛かり、水田地帯の耕作地が広い。道路に目をこらすと、アスファルトの道が赤茶色になっている。たぶん、道の真ん中に埋設されている消雪パイプの配管の錆びだと思う。新幹線と接続駅の上越妙高から学校終わりの生徒たちが、一斉に乗車してきた。そのほとんどは、部活終わりらしく、今後の部活と月曜日の授業について話あっていた。なかには、スマホゲームで遊んでたり談笑している生徒もいた。

 12時57分終点直江津に到着。

 直江津は、信越本線と北陸本線の接続駅として栄え、「あさま」「白山」「はくたか」「かがやき」の特急。「日本海」「北陸」「トワイライトエクスプレス」の寝台列車などの長大編成列車が停車するため、ホームが長く、人の往来を良くするため幅が広く確保されている。しかし、新幹線の開業・延伸により特急列車は廃止され、衰退化の道を進み、今では一、二両編成の短い列車が停車するだけである。

 ここから、JR線の信越本線で長岡へ向かう。直江津発の列車は、13時25分発「特急しらゆき5号」新潟行きと14時20分の普通電車長岡行きの二本。迷わず、前者の「特急しらゆき5号」に決めた。

 改札口を出て発券機で直江津‐長岡間の特急券を買った。特急券購入して、2番線ホームへの階段を降りて特急列車が来るのを待つ。ホームは閑散とし、向かいの3番線から13時01分発の北越急行ほくほく線。六日町行きの電車が出発してゆく。


 13時09分「特急しらゆき5号」が入線。車両は、かつて常磐線で使用されていたE653系特急電車。車体色はパールホワイトを基調にオレンジと濃い青のラインをひいたカラーリング。直江津定時発車。右窓から直江津港と重工業の工場施設や工場への引き込み線。JR貨物の貨物ターミナル駅が見えた。市街地を離れ、犀潟・土底浜・潟町・上下浜と浜や干潟の名のある駅を通過。日本海からの強烈な海風から列車を護る黒松の防風林が続く。

 柿崎を発つと日本海と並行になる。数日前、新潟・富山に記録的短時間大雨が降ったせいで、海の色が土色だった。ただ、荒れる日本海と呼ばれる程、波は比較的穏やかで砂浜や海水浴場の駐車場には、多くの車が停まり、家族連れが海で遊んでいる。

 米山‐柏崎間はトンネル区間が多い。昭和三十年代までは、もう少し日本海側を通っていたが、荒波による浸食や土砂崩れによる運行不通が幾度もおきていた。そのため、当時の国鉄が内陸側に新しいトンネルを掘って、この問題を解決し今に至る。

 柏崎の手前の鯨波は、自分にとって思い出深い所である。小学校高学年の時、学校行事の一貫で夏休み期間中に二泊三日の臨海学校で訪れた。鯨波の海水浴場で、自宅から持ってきたビニール袋製の浮き輪につかまり、波にもまれながら楽しんだ。その時の海は鉛色。天気は曇天だった。

 海岸線の先に、柏崎刈羽原子力発電所の建屋が靄の中に霞んで見える。送電線用の鉄塔と赤白に塗られた排気塔の電灯が点滅していた。

 信越本線は、海岸線から内陸へと進み、柏崎に停車。柏崎駅を発つと水田と住宅団地の間を進む。市郊外になると、畑や水田地帯の一部が更地となり、分譲住宅や太陽光発電のソーラーパネルになっている。

 茨目・安田・北条・越後広田と通過。峠にさしかかり、山と山の間を縫うように走りつづける。峠を下りきり、来迎寺から再び平野にもどる。遠くの方に長岡の市街地が見える。

 信濃川に架かる信濃川橋梁を渡り、前川・宮内を通過。14時15分長岡着。


 長岡は上越線と新幹線の接続駅である。乗り継ぎする列車時刻を見ると、上越線は14時38分発越後湯沢行きと新幹線は14時48分発高崎行きの二本がある。もちろん、後者の高崎行きに決めた。

 在来線の改札口を通り、改札横の券売機で新幹線の自由席券を購入。そそくさと、新幹線の改札口へと向かう。

 新幹線ホームは雪害対策で線路全体を大屋根で覆われている。そのせいか、ホーム一帯が蒸し暑く息苦しい。また、ハトやカラスの止まり木にもなっているらしく、フンの匂いがこもる。

 14時48分「とき326号」東京行き。定刻到着。車両はE7系の12両編成。自由席は比較的に空いていて、なんなく座れた。一分間停車し、長岡を定時出発。朝から鉄道で移動して来た疲れが、一気におそい眠ってしまった。

 目を覚ますと窓の外はトンネル。すぐに、ドア上の電光表示板に目をやると、「次の停車は越後湯沢」と表示された。

 越後湯沢に着くと、駅の向こう側にスキー場施設と草に覆われたゲレンデ。そして、バブル経済期に造ったタワーマンションが異様に目立っている。越後湯沢を発つと再び、長いトンネルへ入る。全長二二キロの大清水トンネル。昭和六十三年に北海道と青森を結ぶ青函トンネルが開通するまで、世界一長いトンネルだった。トンネルを抜けると、水上・沼田の玄関口、上毛高原に停車。乗客は乗ってこず、定刻発車。中山トンネル・榛名トンネルと抜けて、15時41分高崎着。


 駅舎を出ると日がさして蒸し暑い。駅前のロータリーを迎えの車を列をなしている。

 自分は歩いて自宅へ帰る。帰りの道中、気が付いた。高崎まで、よく傘を忘れずに持っていたことに。

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