第26話 ドロ子の行方

「奇遇だね」

「いや、お前が俺を訪ねてきたんだが……」


 第一声から気が抜ける。

 待ちに待った女は、何やら物珍しそうに病室を見渡し、落ち着きなく俺の前にある椅子に腰掛けた。


 緊張しているんだろうか?

 と考えすぐに否定する。


 図太いという言葉では足りないくらいの神経を持った女だ。知人の見舞いくらいで小さくなるほど繊細ではないだろう。

 割と失礼な考えだとわかってはいるが、どうもこの女を前にすると憎まれ口を叩きたくなってしまうんだよな。


「お前には色々聞きたいことがある」


 一日とはいえ、情報が無い状態で待たされたんだ。

 俺のフラストレーションは溜まりに溜まっている。

 ここらですっきりさせて欲しいところではあるのだが。


「スリーサイズ以外なら何でも答えるわ」

「いや、元から聞く気ねえから」

「……上から一〇三、五十一、八十七よ」

「言うのかよ! しかもあからさまに嘘だろ! すぐわかる嘘つくな、このど貧乳が!」


 ジャージで体のラインがわかりにくいとはいえ、さすがに巨乳かどうかくらいは見ればわかる。断言してもいいがこいつはあってBまでだ。一〇〇超えなんて摩訶不思議バストは所有していない。

 って、いかんいかん。またしてもこの流れにはまりかけている。


「貧乳……」


 胸元に手をやって肩を落とす水萌。

 なんか俺まで悲しい気分になってくる。


「今はお前と遊ぶ気分じゃないんだが……」

「気が合うわね。私もよ」

「ドロ子はどうなった?」


 水萌と言葉を交わすと、どうしても会話のドッチボールになってしまう。あえて無理矢理にでも聞きたいことを尋ねなければ、一生目的地に辿り着ける気がしない。

 とりあえず、俺がもっとも気になっているのはドロ子のことだ。それさえ聞けば、後のことはゆっくりでもいい。


 ただ、自分でも理解しがたい感覚が胸に渦巻いている。

 俺はドロ子にどうしてほしいのか。

 開けてはいけない感情のような気がして、妙に気が急いてしまっている。


 流れを無視した俺の疑問を受け、水萌は一瞬だけ押し黙った。

 不愉快だった、というわけでは無い。

 純粋に言い淀んだのだと直感で理解した。


 何故言い淀む?

 思考に不安の影が差し始めた頃。


「処分したわ」


 ぽつりと水萌が呟いた。


「……は?」


 おそらく、俺はものすごく間抜けな顔をしただろう。

 言葉は聞こえたのだが、それがすんなりと頭の中に入ってこない。

 聞き間違えたのだろうかと、耳をほじる。


「すま……」

「処分したの。適切な表現じゃないとは思うけど、もうこの世にはいないと言ったほうがわかりやすいかもね」


 もう一度言ってくれと頼もうとした俺を遮って、水萌が淡々と口を開く。

 ちょっと待ってくれ。

 声が出ない。

 体が震える。


 いや、おかしいだろ。

 え?

 だって何だ処分って。

 は?

 この世にいない?


「アンドカンパニーは知ってる?」


 混乱したまま首を縦に動かす。

 むしろ知らないほうがおかしい。アンドロイドを最初に製造し、世に送り出した大会社。高い技術力を独占しており、実質アンド社以外にアンドロイドを製造する技術は無いと言われている。


 あれ、でも何かおかしくないか。

 そもそも何で今アンド社が?


 頷いたのは頭が真っ白な状態での、ほぼ反射的な行動だったのだが、水萌が先を続けるには十分だったようだ。


「あそこってうちの親戚が社長でね。父さんはそこで技術者をやってたの」


 だから何だ?

 今大事なのはそこじゃないだろう?


「ロボット三原則は知ってる?」


 水萌はこちらの内心を知ってか知らずか、更に話を一転させる。


「名前くらいは聞いたことあるが……」

「ロボットを使う上で人間に不都合が出ないようにするための三つの原則だと思って。人に危害を加えない。人の命令に従う。自己防衛。上にいくほど優先順位が高いんだけど、まあその辺の細かいところはどうでもいいわ。ロボットを作る上で必ずといっていいほど組み込まれる三原則。ちなみにそれはアンドロイドも例外じゃ無い。これだけわかってくれればいい」

「あ、ああ……」


 正直な話、水萌が何を言っているのかさっぱりわかっていなかったが、なし崩し的に首肯する。

 それが今ドロ子と何の関係があるのだろうか。

 いや、当然あるから言っているのだろうが。


 しかし、その割にはドロ子は奏江や陽芽に危害を加えようとしていたのではないか?


「ドロ子には、このロボット三原則が適応されていなかった」


 俺の内心を読んだかのようなタイミングで、水萌は腕を組んだ。


「なぜ……?」

「ドロ子を作った会社の名前は?」


 アンド……じゃない。確かドロイカンパニーだったか。水萌の父親が代表だったはずだ。


「ドロイカンパニー?」

「実のところそんな会社ないの」

「はあ?」


 どういうことなんだ?


「簡単に説明するとね。ドロ子はお父さんが会社に内緒でこっそり作ったアンドロイドなの。それもロボット三原則に囚われ無いどころか、ヤンデレ型なんていう人を傷つけることを視野に入れたね」

「なんでそんなもんを……」

「お父さんのことは私にもよくわからない。ドロ子を作ってすぐに死んじゃったから、真相は闇の中。ただ、ドロ子の存在がアンドカンパニーにとって好ましいものじゃ無かったのはわかってくれると思う」


 ええと、つまりどういうことだ?

 ドロ子は水萌の父親がアンドカンパニーに内緒で作りあげた、それもロボット三原則を適応していないアンドロイドだった。


 いわゆる不良品のバッタもののようなものだが、ここで問題となるのはそのバッタものを作ったのが会社の技術者だったということだ。


「アンド社は責任問題を恐れた?」


 俺の頭で出せる精一杯の答えがそれだった。

 しかし、水萌は両腕でバッテンを作り否定する。


「ぶー。まあそれもあるんだけどね。一番の問題はアンドロイドが人を傷つけたという事実なの」


 首を傾げる。


「アンドカンパニーがアンドロイドを製造して数年。今のところアンドロイドが人を傷つけたというニュースは特に無い。商品としての流通はこの上なくうまくいってたの。今回までは」

「つまり、それは……」

「そう、元々、アンドロイドが暴走して人を傷つける可能性は捨てきれないっていう議論はあった。それこそ、一度のミスが会社にとって大打撃になるであろうというレベルで警戒していた事柄だったわけなの。だからこそアンドカンパニーはそれを一番恐れた。一技術者の暴走とはいえ、アンドロイドが人を傷つけた、という事実を表に出したくなかった」


 少しだけ話が読めてきた。

 つまり、ドロ子が人を傷つけたことを知ったアンドカンパニーが、隠蔽工作に動いたのだろう。


 てっきり動いているのは水萌だけかと思い込んでいたが、予想外なところで予想外な相手が出て来たものだ。

 なるほど、アンドロイドはまだ普及してきてそれほど時が経っていない。

 人を傷つける可能性がある、などという醜聞は是が非でも隠しておきたいところだろう。


「それでドロ子は……」

「もし自社製品であったとしてもアンドカンパニーは隠蔽に動いたと思う。それだけあの人達にとっては重大なニュースだったの。ましてや一技術者が暴走した結果できた欠陥品なんて、残しておく意味が無い」

「なっ……」


 絶句した。

 あまりにも明け透けな台詞だった。

 瞬間的に頭に血が上る。


「ふざけんなよ!? お前の親父のことじゃないのかよ!? 勝手に作っておいてその言いぐさは何なんだよ!?」


 思わず起き上がろうとして、痛みにうめく。

 水萌は俺と目線を合わせないまま、ただ病室の壁を見ていた。


「それで何だ、お前ドロ子が処分されるのを黙って見てたのか!?」

「あの子は明らかにおかしかった。あのまま放っておいたら誰にどんな危害を加えるかわからない」

「っ……。だ、だからって他にもっと方法があったんじゃないか!? そんな一方的に決めつけて処分して? 何様のつもりなんだよ!?」

「…………」


 腹が痛む。

 怒鳴り声を出しているせいで、相部屋の爺さん連中の視線が集中しているのがわかる。落ち着かなければ、すぐにでも看護婦が飛んでくるだろう。


 ぎりりと、奥歯を噛む。


「俺は納得しない。お前らが隠蔽するっていうならこうやって声高に叫んでやる。大企業がどれほどのものか知らないけど、何でも思い通りにいくと思うなよ」

「……じゃあどうすればよかったの?」


 責めるように、縋るように水萌が呟く。


「あなたならもっとうまくやれた? ドロ子は暴走していた。あのままの状態でずっと付き合っていく自信があったの?」

「それは……、いや、でも何も処分しなくたって……」


 刃物を持ったドロ子の姿を思い出す。

 実のところ俺はドロ子のことが怖かった。一瞬でも、怖いと思ってしまったのは事実だった。


 あのままドロ子と家に帰ったとして、果たして今まで通り普通に接することができたのだろうか。

 隠しておきたかった本音が浮かび上がる。


 もしかしたら俺は安心しているんじゃないか?

 俺にどうしようも無いところでドロ子という厄介ごとを処理できて、心置きなく偽善という怒りに身を任せているだけなんじゃないのか?


 水萌の視線が俺を射貫く。

 まるで全てわかっていると言わんばかりに。


 いや、しかし俺とドロ子は兄妹で……。

 それもしょせん仮初めの、それも一週間程度の付き合いに過ぎない。

 ドロ子の性質を正しく理解してもなお、俺はあいつを必要としたんだろうか?


「で、でも……」


 認めたくないものを振り払うように、声を絞り出す。


「俺はドロ子を好きだったんだ」

「妹としてでしょう?」


 容赦の無い返しが胸に刺さる。


「最初からわかってた。妹という選択肢を選んだ時点であなたの側に恋愛感情が芽生え無いであろうことは予想できた」

「…………」

「あなたが欲した愛情とドロ子が欲した愛情に差があったの。この差がある以上、うまく付き合っていけるはずもなかった」


 じゃあ妹なんていう選択肢、最初から用意するなと言いたかったが、とはいえ、言ったところで何の意味も無いことくらいは俺にだってわかる。


 結果として、俺はドロ子を恋愛対象としては見ていなかった。

 ほんの軽い気持ちだったのだ。

 寂しさを埋めたい。可愛い妹が欲しい。その程度の些細な欲。


 ただ、目の前にふいに湧いたチャンスに飛びついてみれば、それは俺との相性があまりにも悪かった。


「それでも他に親しい異性がいなければしばらくは平和でいられたと思うんだけど。タイミングが良いというか悪いというか」


 ため息を吐かれる。


「それでも、処分なんて結果は認めない……」


 かろうじて絞り出す。

 認めよう。俺はドロ子を怖いと思った。

 厄介ごとを抱え込んでしまったと思っていた。


 責任感で突っ走ったはいいものの、先のことを考えるのが怖くて目をつむっていただけだ。

 今後うまくできた自信なんてまるでない。


 ドロ子があのまま元に戻らなければ、俺は近い将来疲れ果て、自らドロ子を手放そうとしたかも知れない。


 だが、それでも。


 それでも俺はドロ子と家族だったのだ。

 たった一週間とはいえ、一緒に飯を食い、一緒に笑い合い、一緒の布団に入って眠った。


 ドロ子が好きだった。

 この気持ちに嘘は無い。

 水萌が立ち上がる。


「あなたのことはアンドカンパニーから私が任されてる。ここの入院費は勿論、必要なら慰謝料だって出ると思うから考えておいて」

「ふざけんな……。一銭だっているかよ……」

「そう」


 そのまま踵を返し、出口へと向かう。

 水萌の顔は見られなかった。


 罪悪感、嫌悪感、怒り、悲しみ、全てがごちゃまぜになったような感情の渦の中、俺はただ身を丸めて耐え続けるしか無い。

 そのまま去るかと思われた水萌は、しかしぴたりと足を止め、


「あなたの好きにすればいいと思う」


 え?


「ただ、一つだけ言わせて。処分を望んだのは他でも無いドロ子だった。きっとこれ以上自分がいるとあなたを困らせることがわかってたのね」


 目を見開いた。

 ドロ子が望んだ?

 処分を?

 そんな馬鹿な。


 ――私はお兄ちゃんを私から奪う存在が嫌い。でも、お兄ちゃんを苦しめる私はもっと嫌い。


 ドロ子の最後の台詞を思い出す。

 あいつ、ひょっとして自分の存在が俺を苦しめていると思って?

 愕然とする。


「それでも訴えるなら好きにして。父さんは残念ながらもういないけど、私やアンドカンパニーは健在だし。手伝える範囲なら協力するから」


 それじゃあ、と。

 水萌は今度こそ振り返らずに退出していった。


 俺はただひたすらに、水萌の言葉を思い返していた。


 腕で目元を覆う。

 なんなんだよ。

 どうしたいんだよ。


 結局のところ、俺には何もわかっていない。

 ただ、大企業なんて意味不明の存在に、まるでドラマのちょい役のように絡んでは弾かれたのだと、


「ドロ子……」


 漏れた呟きは、病院の清浄な空気に溶けて消えた。

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