第25話 事件終わって
俺はずっと妹が欲しかった。
一人っ子な上に母親が仕事柄家にいないことが多かったため、自然と兄妹を欲するようになったのだと思う。
一人で食事をする時、テレビを見る時、布団に入る時、いつも思っていた。
兄妹がいればいいのに、と。
とはいえ、今更年上の兄や姉ができようはずもなく、必然欲するのは弟か妹がだった。
何故妹なのかについては別に深い意味は無い。
どうせなら可愛い女の子のほうが俺が嬉しいというだけの話だ。
実に簡単で切実な記憶。
アンドロイドに求めた役割が恋人では無く、妹だった理由は、言葉にすればたったそれだけのことだったのだ。
〇
目が覚めると病院のベッドの上だった。
白い天井。薬品の匂い。これみよがしに傍にある滑車つきの点滴がそれを如実に物語る。
上体を起こそうとして、腹部に走った痛みにうめく。
痛っええ!
何これ。まじ何これ。
何か頭も重い。
とてもでは無いが起き上がれる気がしない。仕方ないので再度横になっておくことにする。
ていうか何これ。どういう状態だ?
確か俺は刺されて……。
「そうだ、ドロ子っ!」
勢いよく起き上がろうとして、再度痛みに倒れ込む。
いってえ……。
「あ、起きたの? いいから寝てな。あんた腹に穴開いてたんだから」
そんな俺の顔を覗き込んできたのは、ここ最近はあまり見ていなかった顔だった。
「来てたのか」
「そりゃ息子が刺されたなんて聞いたらね」
母さんは、そう言って髪を軽くかき上げた。
普段は放任主義のくせに、こういう時だけは構ってくれるらしい。
まあ、そりゃそうか。
少しだけ反省する。とんだ迷惑をかけてしまった。
後でしっかりと謝っておこう。
「俺どれぐらい寝てた?」
「まあ約一日ぐらいだね。そろそろ夕方近くなるけど、まだご飯食べられないでしょ? あれだったらりんご剥こうか?」
「いや、いらねえ。食欲ねえ」
ていうか食べて大丈夫なのか?
母さんからざっと聞いた限りでは、幸いにも俺の傷はそれほど深いものじゃ無かったらしい。内臓や血管は傷ついておらず、全身麻酔を使ったために今は倦怠感があるかも知れないが、回復までそう長くはかからないだろうということだった。
何回か目を覚ましていたらしいが、まるで記憶には無い。麻酔の影響で朦朧としてたということなので、仕方の無いところもあるかも知れない。「あんた、なんか起きた時血痰吐いてたよ」と言われ、おいおいと思ったが、後で看護婦さんに聞いてみたところ、手術のために挿入したチューブの影響で喉が一時的に傷ついたのだろうというようなことを教えてくれた。喉頭鏡がどうのこうのと詳しいことはよくわからなかったが、別に内臓が傷ついたわけじゃないですよと言われて安心する。
事の顛末については、母親は詳しくは知らないようだった。
「難しいことわかんないからさ。まああんたが無事ならそれでいいってもんよ」
と言ってカラカラと笑う様子は、認めたくは無いが俺の親だなと思わざるを得なかった。
〇
結局、見舞客が来たのは翌日になってのことだった。
まだ上体を起こすのは少し辛い。
そんなわけで寝たままの対応を許して欲しい。
面会時間開始と同時にやってきたのは意外にも奏江だった。
「やっほ御木くん」
「お前、今日平日じゃねえの?」
「そうだね、サボっちゃった」
あっけらかんと微笑まれては返す言葉が無い。
「あれからどうなった?」
開口一番で問いただす。
正直な話、ずっと気が気では無かった。
尋ねようにも母親はあの調子だし、電話しようにも体を起こすことすらできない。室内での携帯使用は禁止されており、そもそもそんなものは持ち歩いていないため外界の情報を手に入れる機会がまるでなかったのだ。
「さあ、私も詳しくは知らない。むしろこっちが聞きたいくらいだよ。現場にいなかったし。御木くんが刺されて入院したーって聞いた時は本当にびっくりしたなー」
現場て。まあその通りなんだろうけど、そう聞くと何か生々しいな。
「ニュースとかでやってないのか?」
自分で言うのも何だが、仮にも刃傷沙汰である。それもアンドロイド関連の。全国トップとまではいかなくても、ニュースとして取り上げられてもおかしく無さそうなものだが。
「なんか地方新聞の片隅にちょこっと載ってたくらいかな」
「随分扱い小さいな。自分が小者な気がしてくるぞ」
大物ではないでしょ、と突っ込まれた。ごもっともだ。
ドロ子がどうなったのか。
一番気になるのはそこだったのだが、確かに現場にいなかった奏江では詳細はわからないに違いない。地方新聞の隅でしか扱われていないということは大きな問題にはなっていないはずだが、わかるのはそこまでだ。
またもやあてが外れたことに、やや苛立って髪をかく。
「ま、詳しくは水萌さんだっけ? あの人に聞いて」
「水萌に? 何かあるのか?」
そういえばドロ子を作ったのはあいつの親の会社だし、今回の件では色々あったのか。
「私もよくわかんないんだけどね。御木くんが何か言うまでは今回の件は黙っててくれって頼まれちゃって」
「なんだそりゃ」
隠蔽工作だろうか。
何だかしっくりと来ないが、まあ水萌の立場としては自社製品が事件を起こしたなんて事実は公にしたくないのかも知れない。
いきなり保身に走られるといい気がしないのも確かだが、ドロ子の件は俺にも大きく責任があるため強くも言えない。
ひとまずは保留にしておく。
「あ……」
思わず漏れたという囁きに首だけ動かして視線を移すと、入り口付近に鬣と陽芽が立っていた。
フルーツバスケットを両手に持ち、陽芽が気まずそうに奏江を見ている。
「……じゃあ私は学校行くね。またね御木くん」
「お、おい、そんな急に」
「大丈夫、御木くんのことは信じてるから」
意味がわからない。
満面の笑顔を携え、奏江は颯爽と退出していく。
すれ違い際、陽芽に何事か囁いたようだったが、その内容までは聞き取れなかった。
「あ、あの、御木さん」
「ようミッキー」
おろおろする陽芽とは違い、迷いの無い足取りで鬣が近づいてくる。
……そういえば、割とやばい会話をこいつの前でしていた気がする。
特に陽芽なんか、御木さんと離れたくないみたいな台詞を声高に叫んでいたわけで、そりゃばれなきゃおかしいという話だろう。
ちわわのように震え出す俺を、鬣は凶悪な笑顔で見据える。
「今回の件はお前のとばっちりだってな。なかなか愉快な体験させてくれるぜ」
「……すまんとしか言いようが無い」
どっかりと丸椅子に腰を下ろす鬣。ぎしぎしと軋む椅子が不憫だ。こんな筋肉だるまを支え続けるのは実に骨だろう。
「も、もう、王ちゃん、そんなこと言ったらダメだよ」
とことこと陽芽が寄ってくる。その顔は慈愛で満ちあふれていた。
「あ、あの、御木さん、気にしないでくださいね。その、確かに私も少し怖かったですけど、それも将来のためにいい経験したと思えば、その、大丈夫ですから」
やっぱりこの子は天使か何かじゃ無いかと思う。
ただ将来の経験って。陽芽は将来何をするつもりなんだと心配になるが、まあ俺を気遣ってくれただけなのは想像に難くないので突っ込まないでおく。
「良かったなミッキー。陽芽がこういうから退院後に一発で許してやるよ」
「ひいい!」
拳をゴキゴキと鳴らす鬣に、あわれ子犬のような俺は為す術なく震え上がった。
「もう、王ちゃん!」
「い、いや、いい、いいから陽芽。迷惑をかけたのは俺なんだから、それぐらいは当然だ」
「殊勝な態度じゃねえか。ま、ちっとは手加減してやるよ」
痛そうだな……。俺ここを出ても、またすぐ病院送りになるのかな……。
まあ仕方ない。巻き込んだのは俺の責任だ。
それを怒るでも訴えるでも無く、一発殴るだけで許してくれるというのだ。むしろこの上ないくらいの温情に感謝したいくらいだ。
「結局あれからどうなったんだ?」
再度気になっていたことを問う。
二人が語るには、救急車が来て俺が病院に運ばれて以降のことはよくわからないらしい。
鬣いわく動揺する陽芽をなだめるのに必死で、他のことに気を回す余裕が無かったそうだ。
手術中に入り口で待ってくれてたりしたという情報には感激したが、その際に奏江も駆けつけてくれたと聞いて驚いた。
「あいつ、そんなこと一言もいってなかったぞ」
「まあ、奏江のことは俺にはよくわからん。お前と仲良いってこと自体意外だったわけだしな」
「キス……」
どう猛に笑う鬣に、ぽつりと呟く陽芽。
俺は慌てて誤魔化すことにした。
「ま、まあそんなことはどうでもいいんだよ。じゃあ、お前らもドロ子がどうなったかはわからないのか?」
「ああ、気付いた時にはいなかったからな。ただ、気になることと言えばお前と一緒にいたジャージ女だな」
どうやら俺が救急車で運ばれる際、水萌は鬣達に「このことは通り魔の犯行ということにしてほしい」と頼み込んだらしい。
実際、俺は鬣家に遊びに来ていた帰りに通り魔に襲われたことになっており、犯人は絶賛逃亡中らしい。
「え、なにそれ。そんなんで警察騙せるの?」
「詳しくは知らん。ただ俺達はそのほうがお前のためになるって言われて口裏合わせただけだ」
通り魔の犯行ということにしたほうが俺のためになる?
どういうことだろうか。
いや、確かにドロ子が捕まるというのは俺の本意では無いが、これだけのことをやらかしてそれで済むものなのだろうか。
どのみち、水萌に話を聞かないとわかりそうにないな。
ドロ子の行方含め、問いたださなければならないことは実に多そうだ。
陽芽が水萌と俺の関係も知りたそうにしていたが、やぶ蛇になりそうなのであえて気付かないふりをしておいた。
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