第24話 俺にできることは?

 何故そうなったのかは推測するしか無い。


 俺達が鬣邸に到着して真っ先に目にした光景。

 鬣がドロ子を地面に押しつけていた。


 月と住宅の明かりに浮かび上がる庭の中央で、極太の腕でドロ子の頭を押さえるようにして鬣は怒っていた。

 絵面だけ見れば犯罪まっしぐらな構図だが、さすがに事実が異なるであろうことは分かる。


 鬣の体にはところどころに切り傷のようなものがついていた。

 近くに包丁が落ちていることから、既に一戦あったのだろうと察せられる。


「鬣!」


 ヘルメットを脱ぎ、門をくぐる。


「ちっ、御木かっ! こっち来るな!」


 え、何その拒絶反応。

 新手のいじめに聞こえなくも無い台詞だが、もしかしてドロ子が襲撃してきたのが俺のせいであると知って恨んでいるのか?


 だとしたら仕方ないことではあるがちょっとショックではある。

 が、すぐにそうでは無いと気付くことができた。


「あああああああああああああ!」


 ドロ子が絶叫とともに暴れ始める。

 鬣が押さえつけようとするが完全には無理のようで。

 およそ信じられない光景だった。

 小柄なドロ子の力で、鬣の腕力をあっさりとはね除けてみせたのだから。


「ちっ!」


 鬣が拘束を諦め後退する。

 ふと、起き上がるドロ子と俺の目が合った。


 その表情は一瞬だけ唖然としたものを浮かべ、かと思えばぐしゃっという表現が似合うほどの勢いで崩れる。

 ドロ子は泣きそうな顔で俺を見ていた。


「おにいちゃ……」

「ドロ子……」


 どうすればいいのだろうか。

 俺は、ここでドロ子に何と言葉をかけるべきなのだろうか。


 叱る? なだめる? 笑う? 泣く?


 刺激せずに場を収めるには、なんて打算的な思考に自嘲する。


「お兄ちゃん? 御木、お前こいつと知り合いなのか?」


 鬣がもっともな質問を投げかけてくるが、それにもどう答えるべきかわからない。


「御木さん……」


 今の今まで気付かなかったが、玄関付近に陽芽が腰を抜かしたかのように座り込んでいた。

 ぱっと見、外傷は無さそうで安心する。


 が、ドロ子の反応は劇的だった。

 陽芽の台詞を受け、弾かれたように包丁に向かう。


「ちっ!」


 鬣が防ごうとするが遅かった。

 あわよくば攻撃をしかけようとしていたのかも知れない鬣の前進は、包丁の切っ先を向けられることで止まる。


 場は一気に緊張感を増した。

 ドロ子も鬣を警戒しているのか、それ以上の行動は起こさない。

 ただ陽芽を見据え、憤懣やるかたない様子で包丁を揺らす。


「ドロ子! もうやめろ!」


 放っておけば今にも陽芽に飛びかかるだろう。

 その気配を察知して、俺は考えもまとまらないまま口を開いた。


「こんなことして何になるんだ!? 陽芽を傷つけたって何がどうなるものでも無いだろう!? 不満があるなら俺に言え! できることならちゃんと聞くから!」


 ドロ子がこちらを振り返る。

 その顔からはまたもや表情が消えていた。

 例の暗い瞳が、深く深く俺を捉えている。


「私はお兄ちゃんが好き」


 囁くように。


「あ、ああ、それはわかってる」

「だから私からお兄ちゃんを取ろうとする存在が嫌い」

「いや、だからそれは誤解――」

「なのに、どうして邪魔するの?」


 まずい。

 言動が支離滅裂だ。わかっていたことだが、少なくともドロ子は通常の精神状態では無い。


 説得は無理なのでは無いかという考えが足下からじわじわと這い上がってくる。

 水萌はこちらに到着した姿勢のまま動かない。下手に俺に近寄るとドロ子を刺激しかねないと思っているのかも知れない。


 鬣は様子を見ている。隙あらば刃物を取り上げる気はあるようだが、陽芽の傍を離れるつもりは無いようだ。

 陽芽は不安そうに震えている。怖い思いをさせてしまったのだろうか。心底申し訳無い気持ちになる。


 考えろ。

 何をどう言えばドロ子は納得してくれる?


「あのな、ドロ子……」

「お兄ちゃんは私のこと好き?」


 一瞬、ほんの僅かな時間だけ言葉に詰まる。

 それは否定を意味するものでは決して無く、ただ予想外の質問にふいを突かれただけのことだったのだが。

 しまったと思った瞬間には既に遅い。


「あ、ああ、もちろ――」

「やっぱりこの女のほうが好きなんだ!」

「ひっ!?」


 ドロ子が陽芽を睨み付ける。

 鬣が陽芽を庇うように立つが、ドロ子の視界から完全には隠せない。


「告白して! デートして! キスしてた! 私とはどれもしたこと無い!」

「い、いや、キスは陽芽じゃなくて奏江だ!?」


 記憶が混同しているのだろうか。怒りの全てを射殺さんばかりに視線に込めている。

 ドロ子の内心でどんな不具合が発生しているのかわからないが、危険な兆候だ。


 かすかに陽芽が「き、キス……?」と呟いていたのは聞かなかったことにしよう。

 失言だった!


「わかった! ドロ子とも告白してデートしてキスしよう! な、それなら問題ないだろう!?」


 ほんと? と言って矛先を収めてくれることを期待しての提案だったが、


「ダメ」


 一言で拒絶される。


「じゃあどうすれば……」

「もうこの女に近づかないで」


 ぽつりと零れた台詞にはあらゆる感情が含まれていた。


 唾を飲み込む。

 迷っている暇は無い。俺と話しながらもドロ子の視線は陽芽を捉え続けており、ちょっとした切っ掛けですぐにでも爆発するだろう。


 ならば、まずは場を収めることが最優先だ。

 仮に今ここで何を言ったとしても、それは仕方の無いことなのだ。


「わかっ……」

「いやっ!」


 肯定しようとした俺の言葉は、陽芽の叫び声によってかき消された。


「い、いやです! そんなの嫌です! 私、御木さんと離れたくありません!」


 恐怖はあるだろう。現に陽芽は座り込んだまま立てていない。

 だが、それ以上に譲れないものがあるとばかりに、声を大にして張り上げる。


「そりゃ、私じゃ御木さんの彼女にはなれないかも知れないけど、でも、だからって頑張ることもできずに離れるなんて、そんなの絶対嫌なんです!」

「黙れ!」


 ドロ子が叫ぶ。

 ぎりぎりと包丁を握り込む。


 奏江といい陽芽といい、何故こうまでドロ子を挑発するのだろうか。

 気持ちはわからなくもない。ただ、この場でそれは明らかに逆効果だ。


「黙りません! あなたが誰なのか私にはよくわからないけど、私と御木さんのことを勝手に決めないでください!」


 決定的だった。

 ドロ子が包丁を手に駆ける。


 立ちはだかるのは鬣だ。

 あの頑強な男は、刃物を前にしても一歩も怯むこと無く構えている。


 俺もドロ子を押さえるべく追いかける。


 包丁が横薙ぎに振るわれる。

 後ろに下がるわけにはいかない鬣は、しかし前に倒していた上体を起こすことで回避。そのままドロ子の腕を取る。


 刃物の無いほうの腕を掴んだ体勢。当然、返す刃が鬣を襲う。狙いは首筋だ。

 残酷な予感に目をつむりたくなる。

 しかし、それすらも鬣は止めてみせた。懐に入るようにして内側から腕を掴み取る。


 果たして、ドロ子と鬣は力押しの拮抗状態へと陥った。


「ドロ子!」


 何故そんなことをしたのかはわからない。

 正直俺には平均男子高校生以上の力は無い。

 鬣に任せておけばいい、と思わなかった言えば嘘になる。


 ただ、必死だった。

 俺が何とかしなくてはいけない。俺以外にきっとドロ子は止められないと、無意識に考えていたのかも知れない。

 俺はドロ子のお兄ちゃんなのだから。


 結果として、俺は背後からドロ子に飛びついた。


「があっ!?」


 暴れるドロ子。揉み合う俺達三人。

 もう何が何やらわからなかった。


 ドロ子の力はあまりにも強かった。それこそがむしゃらにもがけば鬣ですら押さえられないほどに。

 それでも俺は離れなかった。全身全霊で止めようとした。


「御木!」


 焦りを含んだ鬣の叫びが耳朶を打つ。

 とんっと、軽い衝撃があった。


「あ……?」


 呆然とする周囲の顔。

 一番顔を青くしているのはドロ子だ。

 アンドロイドとは思えないほど血の気が失せた表情で、ひたすらに俺の腹部を眺めている。


 腹部?

 視線の先を追う。


 包丁の切っ先が脇腹に突き立っていた。


 なんだこれ?


 まるで現実感の無い光景。

 ただ、今度は軽傷じゃ済まなそうだ、なんて馬鹿な考えが頭に浮かぶ。


「つっ……」


 痛みよりもまず駆け上がってきたのは熱だった。

 カランと音を立てて包丁が地に落ちる。

 足に力が入らず、俺はその場に膝をついた。


「きゃああああああ!」


 声を上げたのは陽芽だろうか。


「み、御木! 大丈夫か!? しっかりしろおい!」

「み、御木さん! 御木さん御木さん! だ、だめです! 嘘! こんなのだめ!」

「動かさないで! すいません、救急車一台お願いします! 場所は――」


 動揺する鬣兄妹とは違い、水萌は既に百十九番を押したようだった。

 相変わらず冷静というか動じないというか。

 ちょっと尊敬したくなってきた。


 意識が遠のく。

 特に抵抗はしなかった。体に力が入らず、今すぐにでも楽になってしまいたい。


 これ幸いとばかりに、地面に倒れ込む。

 最後に。


「私はお兄ちゃんを私から奪う存在が嫌い」


 ぽつりと、ドロ子が呟いたような気がした。


「でも、お兄ちゃんを苦しめる私はもっと嫌い」


 意識はブラックアウトした。

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