side 陽芽

「なんだったんだろう」


 突然かかってきた電話は慌ただしく切れてしまった。

 てっきり自分にかけてきてくれたのかなと喜んでしまったのに、少しだけ残念に思う。

 ただ、


『俺のことを愛してくれているなら言うとおりにしてくれ!』


 顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。

 恥ずかしい。

 王ちゃんに見られなくてよかったと本気で思う。


「私、なんか変なこと言わなかったかな。あああ、もう、なんで御木さんの前だとあんなに緊張しちゃうんだろう」


 とにかく、言われたことだけは絶対に守ろう。

 うん。絶対に。何があっても私は玄関を開けない。例え相手が王ちゃんでも、お父さんでも、命に変えても居留守を使ってみせるんだから!


 心の中で固い決意の炎が燃えていた。

 しかし、段々と事の異常さがわかってくる。


 チャイムの音が止まないのだ。

 執拗に。偏執的に。


 悪戯なんていう度合いを超えて、ただひたすらに機械的に連打している。

 リンゴーンリンゴーンリンゴーンリンリンゴーンリンゴーンリリンゴーン。


 少しだけ怖くなった。

 お母さんを起こすべきかどうか少し迷う。


 でも、御木さんが来てくれるって言ってた。きっと何か知っているのだろう。

 だから、私はそれを待ちたかった。

 ちゃんと言われた通りにできましたよって報告して、褒めて貰いたかった。


 チャイムは鳴り続ける。

 警察という単語が頭に浮かぶが、首を振る。


 この理解出来ない行為に御木さんが関係しているとするならば、警察に連絡することで御木さんに迷惑がかかる可能性がある。

 御木さんは警察を呼ぶようにとは言わなかった。だとしたらこれはそういう事態ではきっと無いのだ。


 大丈夫。安心。何ともない。

 でも、鳴り続けるチャイムは少し怖い。


「御木さん……」


 私は耳を塞いで蹲っていた。

 五分、十分? どれぐらいの時間が経っただろうか。

 ある瞬間、ふいにチャイムの音が止んだ。


「え……」


 終わったのだろうか。

 もしかして、御木さんが来てくれたのかも知れないと淡い期待が心に灯る。


 御木さんと私の家はさほど離れてはいない。

 まあそうはいっても歩いて十数分くらいはかかるだろうけど、時間的にはそろそろ到着してもおかしく無い頃だ。


 それでなくても、王ちゃんが帰ってきたのかも知れない。

 私は恐る恐る玄関に近づいて。


「あ、でも、玄関は開けちゃダメなんだ」


 御木さんとの約束を思い出し、手を引っ込める。

 そうだ。いいことを思いついた。

 よく考えたら、わざわざ扉を開けなくても外を確認する手段はいくらでもある。例えば窓だ。カーテンを開けてこっそり外を見れば、誰かいるかどうかは簡単にわかる。


 念のために二階に移動して。

 庭の前にある門が見下ろせる位置、そこにある窓にこっそりと手を掛けた。


 カラッ。


 わー! わー!

 思ったよりも大きな音が出て一瞬焦る。

 まあこれぐらいの音なら、きっと気付かれないはずだ。うん。すごい小さい音だったし大丈夫。


 自分を納得させながら、ゆっくりゆっくりとチャイムのある門を見る。

 果たして。


 目が合った。


 住宅照明によって浮かび上がる金の髪。およそ感情というものを廃したかのような無機的な顔は、息を飲むほど整っている。


 少女だった。


 少女が、眼を見開いて食い入るように私を見つめていた。

 咄嗟に、カーテンを閉めてしまう。


「はっ……はっ……」


 怖い。

 何で? と思うものの、体はがくがくと震るのを止めてくれない。


 可愛い女の子だった。

 私より少しぐらい年下だろうか。

 およそ怯える要素なんて何も無い。


 ただ、目だ。

 暗くて詳細まで見えたわけでは無いが、その目が、表情が、およそ良くない感情を込めてこちらを捉えたような気がしたのだ。


 はっとして、階段を駆け下りる。

 ガチャガチャと、玄関扉が音を立てていた。


 いや、ガチャガチャというのは優しすぎる表現かも知れない。

 それは暴力だった。


 激しく揺れるドア。鍵がかかっているにも関わらず、関係ないとばかりに全力でこじ開けにかかっている。


 壊れるのでは無いかという危惧に、私はとっさに扉を内側から押さえた。

 すごい力。

 どうしよう。何これ。御木さん。御木さん。


 これが先ほどの女の子の力なのだろうか。私の力なんかじゃあ、とてもじゃないけど防ぎきれない。


 目に涙がたまってくる。

 怖い。

 無駄だとわかっていても、私はその場から離れることができない。


「え……」


 ふと、ドアノブにかかっていた圧力が止んだ。

 玄関前に立っていた人物が遠ざかる気配。


 終わった、と思うことはできなかった。

 何故なら、その影は明らかに外では無く中庭のほうへ向かって行ったのだから。


「あ……あ……」


 そういえば、一階の窓の鍵は閉めてあっただろうか。

 自信が無い。覚えが無い。

 開け放ってまではいなかったはずだが、はっきりと戸締まりしてあるという確信は持てない。


 いや、待って。

 そういえば、常に開いている箇所が一つあったはずだ。


 トイレの窓!

 そう思った瞬間走り出そうとして。


「……あ」


 私はその場にへたり込んでしまった。

 どうやら一連の出来事は、臆病な私に予想以上の衝撃を与えていたらしい。


 腰が抜けてしまっていた。


 青ざめる。

 身動きが取れない。

 少しの物音は、やはりトイレのあるはずの場所から響いて。


「御木さんっ……」


 私は精一杯の助けを呼ぶ。

 その声に応じたのは。


「な、何だお前?」


 扉越しにでもわかる、よく親しんだ兄のものだった。

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