第23話 行き先
森だ。
慌てて受け取ったイヤホンを耳につける。
ぶつぶつと何事か言っているようだが詳細までは聞こえない。
ただ、
『……おにいちゃっ』
泣きそうな声で呟かれたその台詞は、俺の胸を打った。
「ドロ子……」
「え、何これ。御木くん、ねえこれ何? 何の映像?」
「いや、ちょっと後で説明するから黙っててくれ奏江」
可愛らしく頬を膨らませる奏江をなだめる。
いや、全然可愛らしくねえけどな!? つか可愛い子ぶんな!?
「足取りに迷いが無い」
水萌の台詞で我に返る。
よく見ると、確かに交差点などで戸惑う素振りも無くノータイムで進んでいた。
目的地がある?
自分の考えに首をひねる。
ドロ子が向かう場所など、正直俺の家くらいしか心当たりが無いが、その割に今見ている映像に心当たりが無い。
いや、どこかで見たような景色ではあるのだが、明らかに俺の家の近所では無さそうだった。
ただ何だろう。本当、この道はごく最近通ったような。
「まずい」
ぽつりと水萌が呟いた。
それと同時に、俺の頭の中で記憶が甦る。
「あっ! これ陽芽を追いかけて鬣と一緒に通った道!?」
そうだ、思い出した。
普段行くことが無いので忘れていたが、ミッキーの正体を突き止めるという名目で鬣と共に陽芽をストーキングしたことがあった。
これはその時に通った道だ。
「ってことはつまり」
青ざめる俺に水萌が頷く。
この先には鬣の家があるはずだ。
当然陽芽もいるわけであり、ドロ子がそこに向かう理由は……。
「か、奏江、鬣の家の電話番号わかるか!?」
「え、ええと、うん。冷蔵庫に連絡網が貼ってあるからわかると思うけど」
「良し! すまん、それと電話も貸してくれ!」
やっぱり連絡網は冷蔵庫に貼るよな、なんて妙な親近感を覚えながら、そんな場合じゃないと立ち上がる。
幸い、冷蔵庫と電話機はそれほど離れていない場所に配置してあるようだった。
俺は連絡網を引っつかみ、一分一秒も惜しい勢いで番号をプッシュする。
「ね、ねえ御木くん、私何が何だかさっぱりわからないんだけど」
「そこにいるアホ女に聞いてくれ!」
悠長に話している暇は無い。
見る限り、ドロ子はかなり鬣家に接近している。
またもや迂闊だったと自分を怒鳴りつけたくなるが、今はその時間も惜しい。
受話器が呼び出し音を伝えてくる。
可能性は考えるべきだった。
ドロ子が俺をずっと見ていたというなら、狙いが奏江だけでは無いのは明白だ。むしろ、ここ一週間で過ごした時間を考えれば、陽芽のほうが奏江よりも遙かに長い。
三コール……四コール……。
出ない。
どうしたんだ。鬣も陽芽も留守なのか?
もしそうならむしろ助かるが、万が一家に陽芽だけ残っている状態だったりしたらどうなる?
陽芽の家は、ここから俺の家を挟んで反対側にある。俺の家からならそこまでの距離は無いのだが、奏江の家からとなるとバイクで飛ばしたとしても、おそらく二十分から三十分はかかるのでは無いだろうか。どう考えてもドロ子が着くほうが早い。
焦れる。手汗がひどい。
出ろ。出ろ。出ろ。出ろ。
「ええっ!?」
唐突に、奏江が大きな声を上げた。
「御木くん!? この人と結婚を前提にお付き合いしてるって本当なの!?」
「何の話!? 水萌、ふざけてないでちゃんと説明しろ!?」
『はい、鬣です』
アホなやり取りのおかげで、電話が繋がったことに気付くのに一瞬遅れた。
聞こえてきたのは実に可愛らしい女の子の声。
陽芽たんだ!
いや、たんって何だ!? 取り乱すな俺!
「ひ、陽芽か!? 俺だ、御木だ!」
『え、み、御木さんですか!? あ、あわわわ、本日はその、お日柄も良く! あいたっ』
何やら向こう側で、ごんっと何かをぶつけたような気配がした。
結構痛そうな音がしたが大丈夫だろうか。
いや、そんなことを言っている場合じゃなく!
「陽芽、突然のことで申し訳無いけど、鬣はいるか!?」
『え、王ちゃんですか? 今ちょっとランニングに出かけてて居ませんけど』
使えねえ!
何てこった。頼みの綱だった人間兵器が留守だと?
状況は最悪の方向に向かいつつある。
「じゃ、じゃあ、お父さんでもいい! 鬣並みに筋骨隆々な大男が在宅しているんだよな!?」
『え、ええと』
こちらの剣幕に陽芽は驚いているようだったが、
『お父さんはいつも残業で帰ってくるのが遅いんです』
「馬鹿な!? じゃあ今、家には陽芽一人なのか!?」
『あ、いえ、お母さんがいます。ただ、もうお酒いっぱい飲んで寝ちゃいましたけど。今ちょうどお布団に連れていったところで』
おかん!? 何してんのおかん!?
時計を見る。
時刻は二十時を四分の一ほど回ったところ。
少なくとも大の大人が酔いつぶれるには早すぎる!
まずい。状況は限りなくまずい。
酔っ払いの母親を起こしたところで何ができるとも思えない。かといって、鬣が帰ってくることを期待するのは都合が良すぎる。
いっそ逃げてもらうか?
まさかドロ子も、鬣家の母親にまで手を出したりはしないだろう。陽芽さえ安全な場所に逃げてしまえば、とりあえずは安心なはず。
しかし、
『リンゴーン』
「なっ!?」
受話器の向こうで、おそらく鬣家のものらしいチャイムが鳴った。
『あ、お客さんみたいです』
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待った! 待ってくれ陽芽!」
水萌のほうを見る。
ものすごい勢いで腕を交差、ばつ印を作っていた。
ドロ子だ。
「ダメだ、陽芽出るな! 居留守を使え! どれだけ執拗にチャイムを鳴らされても、鬣が帰ってくるまで玄関を開けるんじゃない!」
『え、でも、あの……』
我ながら無茶なことを言っているのはわかっている。だが、絶対に陽芽をドロ子の前に立たせるわけにはいかない。
こうしている今も、バックではチャイムの音が鳴り続けている。
手には勿論包丁を携えているはずだ。
正直ドロ子がどこまでやるつもりなのかは俺にはとても見当がつかない。
「頼むっ!」
俺は絞り出すように懇願した。
「俺のことを愛してくれているなら言うとおりにしてくれ!」
『っ! わ、わかりました! 絶対出ません!』
強い返答をしてくれる。
何か勢いに任せてとんでもないことを口走った気もするが、今は考えないことにしよう。
この切羽詰まった状況で、恥ずかしさのあまり蹲ってしまうわけにはいかないのだから。
「ありがとう! 俺もすぐ行くから待っててくれ!」
『え、あの、御木さん、これは――』
これ以上の問答はもどかしく、俺は受話器を置く。
見ると、水萌は既に玄関へと向かい始めていた。
「御木くん!」
「すまん奏江! 戸締まりしっかりして待っててくれ!」
本当は安全のためにも一人でいてほしく無いのだが、バイクが二人乗りである以上、連れて行くわけにもいかない。
ドロ子が向こうにいる以上、奏江に危険は無いはずだと判断して水萌を追う。
「何分かかる?」
ヘルメットとスマホを受け取り、イヤホンを耳に突っ込む。
「限界まで飛ばして十五分から二十分。ただスマホは充電する時間が無かったからすぐに切れると思う」
「ちっ、ままならねえな!」
とはいえ、文句を言っても始まらない。
俺達は我先にとバイクに乗り込む。水萌の腰に手を回したとき、包帯の下がじくりと痛んだが噛み殺す。
「いくよ!」
「おーけー!」
頼むから間に合ってくれ。
心の底から祈りながら、俺達は先ほど通った道を逆走し始めた。
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