第22話 手当と事情
「御木くん!?」
「つぁ……」
目眩がする。耳鳴りがうるさい。
奏江を庇うために突きだした手の平は刃物を真正面から受け止めた。
鋭い痛みが走る。深さの程はわからないが、それなりに広範囲の傷口だ。
不幸中の幸いなのは手の平であったことだろう。動脈は無事だし、すぐに命がどうこうという心配は無いはずだ。
ふらりと倒れそうになる体を気力で支える。
奏江は無事か。
ドロ子は。
暗くなる視界。
瞬きを繰り返す。
「……ひっ」
小さな悲鳴のような言葉は、ドロ子の口から上がったものだった。
「……ドロ子?」
ドロ子は顔を蒼白にし、血のついた包丁を握り締めカタカタと震えている。
目には涙を浮かべ、この世の終わりを迎えたかのように立ち尽くしていた。
「御木くん! 血が! て、手当て、手当てしないと!」
珍しく奏江が狼狽えている。
それが何だかおかしくて笑ってしまう。
ポタポタと血が流れる。痛いには違いないが、我慢できないほどではない。
感覚が麻痺しているのか、もしくはそれどころでは無いことを本能的に察しているのかも知れない。
「ああああああああああっ!?」
ほとばしる絶叫はドロ子の喉から発せられた。
「ドロ子ッ!」
腕を伸ばすが届かない。
同時に水萌もドロ子を確保するべく動いたようだが、一歩遅く、ドロ子は背を向けて駆けていってしまう。
「くそっ!」
追いかけないと。
踏み出した足はしかし、進行方向に立ち塞がった奏江によって止められる。
「ダメだよ、御木くん、手当てしないと!」
「奏江、今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
「ダメ! 絶対ダメ! あの子のことは後でどうにでもなるじゃない! それより、傷のほうを早く何とかしないと!」
僅かな逡巡。
それだけで、ドロ子と俺の距離はぐんぐん開いていく。
外見からはとても想像できないほどの脚力だ。
果たして、俺が全力で追いかけたところでついていけるかどうかわからない。
やっぱりドロ子はアンドロイドなんだな、という実感を強め――。
「ちょっといい?」
「あいだだだだだ!?」
突然、横から腕をひねり上げられた。それもよりにもよって怪我したほうの手を。
水萌だ。
「ふむふむ、なるほど」
傷口を広げたりしながら、何やら納得したように頷いている。
「痛いわ!」
空いているほうの手で頭を叩いてやる。
すぱーんと心地良い音がしたが、水萌の表情は変わらなかった。一言「痛い」と呟いたのみだ。
本当に何を考えているんだこいつは。けが人をいたぶる趣味でもあるのか。どSか。
水萌は不満そうに頭を押さえつつ。
「取りあえず傷は大したことないわ。あの子が咄嗟に引いてくれたのかも。消毒液つけて包帯巻いとけば多分問題ない」
「あ、え、まじ? でも目眩とかしたんだけど?」
耳鳴りもしたし、個人的には結構ざっくりぱっくりいっちゃったかと思ってたわけだが。
「十中八九、精神的なもの。傷そのものより切られたっていうショックが大きかったんだと思う。まあ病院に行くに越したことはないけど、最悪は縫わなくても平気なはず」
「……まじで?」
改めて自分でも傷口を見る。
確かに、既に出血も緩やかになっており、そう大した怪我にも見えない。
範囲こそ手の平を横断するといった感じで広いものの、傷自体は深く無いと考えていいだろう。
「だったら余計に……」
ドロ子を追わなければと前を向くが、既にドロ子の姿は無い。
焦燥感が溢れてくる。
「そうだ、スマホ!」
これでドロ子の視界が確認できればとスマホを取り出すが。
「あ、あれ?」
画面は真っ暗で何も映し出してはいなかった。
「こ、故障か!?」
この大事な時に!
「持ち主と同じで役に立たねえ!」
「ひどい! でもそれがきっとあなたなりの愛の形」
「意味わかんねえよ!? お前は何をどうしたいわけ!?」
コツコツとスマホを叩くが反応なし。
そういえば、途中からイヤホンから流れてくる音もぱったり止んでいた。
これは本格的な故障かと眉をしかめる。
「貸して」
水萌がスマホを奪い取り、確認。
「充電切れてる」
なんともまあ、つまらないオチをつけてくれた。
「充電くらいしとけ!」
「色々やってるから消費が早いの」
「そうなのか……?」
よくわからないがそういうものなのだろうか。
ぼっちの悲哀というか、携帯自体を持ち歩いた経験の少ない俺には、スマホの実情など知るはずも無い。自分の知識の無さが恨めしいが、まあ持ち主が言うのだから間違いないだろう。と自分を納得させる。
「充電忘れてたのは確かだけど」
「このアホ! ドジ! 間抜け! 子狸!」
「子狸……」
何かが心の琴線に触れてしまったようで、愕然と目を見開いて立ち尽くす水萌。
こいつのこんな反応は初めて見たな。
今度から何かあったら子狸と呼んでやろう。
いやまあそんなことはどうでもいいんだよ。
ただでさえ怪我しているのだから、頭に血を上らせないで欲しい。
「そんなことより御木くん、早く治療しなきゃ! 大怪我じゃなくても、放っとくのは良くないよ!」
タイミングを見計らったかのように、奏江が俺と水萌の間に割り込んでくる。
いや、事実見計らっていたのだろう。
水萌を牽制するように一睨みすると、そのままぐいぐいと俺の体を押して、家に向かおうとする。
「お、おいおい?」
「とりあえず私の家に入って。救急箱くらいはあったはずだから、簡単にでも手当てしよう?」
「いや、でも、それはお前、悪いし……」
「何も悪いことなんて無いよ。だって御木くんが怪我したのは私を庇ったからなんだし。むしろ手当てくらいさせてくれないと困っちゃうかな」
有無を言わさぬ強引さで、俺を家に引き込んでいく。
「おじゃまします」
当然のようについてこようとする水萌を白い目で見つつ。
「さっきの子もそうだけど、あの人と御木くんの関係も聞いてみたいところだな、私」
教えてくれるよね? と微笑む奏江。
ストーキングされていただけの他人です、と言ったところで信じてはくれないだろう。
ドロ子の行方といい、先行きを考えると頭が痛い。
再度目眩に襲われる俺だった。
〇
「さて、これでよし、と」
意外というか何というか、奏江は実にテキパキとした動作で傷の手当てをしてくれた。
実に淀みの無い手つきで包帯をくるくると巻く姿には驚いた。
場所はリビング。外観からある程度予想はついていたが、かなり広い。部屋の中心に六人は腰が掛けられるダイニングテーブルが鎮座しているが、そんなもんは小さなことだぜと言わんばかりに奥行きのある空間が広がっている。テーブルからちょうど見えやすい場所に配置してある巨大な薄型テレビ。映画が趣味なのかと問いたくなるレベルのそれは、横に置いてあるコンポと合わせて一目で金がかかっていると見て取ることができ、家具も当然、格調高く重厚なもので占められている。
正直初見の俺としては肩身がせまい。
本来なら「いやっほおおおおう! 女の子の家に初めて入ったぜ! 俺はもう童貞じゃねえ!」と舞い上がるところなのかも知れないが、なんかもう『格差』の二字が頭に浮かんで落ち着かない。
更に言えば、部屋に入る際に水萌が、
「うちの家の半分くらいの大きさ」
と呟いたのも俺の心の傷を深くしていた。
どうせ俺は庶民ですよ! 平凡な家庭に生まれた平凡な男子高校生ですよ! ちくしょう、金持ちが自慢しやがって! かっぺっ! あー金がほしい!
「ありがとよ……」
まあ、女の子の家と言っても奏江の家だ。なんだかんだで素直に喜ぶことはできなかっただろう。
気持ちを切り替え、何か聞きたそうにしている奏江に向き直る。
「じゃあ俺達はこれでお暇するってわけには……」
「いかない。全部余さず一欠片も残さず説明してくれるよね?」
「お、おう……」
表面上は友好的だが、妙な圧迫感を感じる。
一年前の俺が見れば『天使のような微笑みで事情を尋ねてくる無垢なアイドル』という印象を抱いただろうそれは、今だと『いいから早く話せ逃げられると思ってんじゃねえぞこら』という恫喝めいた表情にしか見えなかった。
女って怖い。
いや、この場合は奏江が怖いのだろうか。
喧嘩に負けた犬のように目線を逸らしてしまうのが我ながら情けない。
「御木くん」
笑顔を崩し盛大なため息を一つ、奏江が俺の目を覗き込んだ。
「こういうことは言いたくないけど、一応私、刃物持って襲われたわけだし、聞く権利くらいはあると思うな。そりゃ御木くんが庇ってくれて助かったし、それでチャラにしろって言われたら断りづらいわけだけど」
「いや……」
確かに、奏江が襲われたのは弁解の余地無く俺の責任だ。
普段からドロ子の様子をもっと気にかけていれば、と悔やまずにいられない。
なんだかんだで陽芽に告白されたことで俺は浮かれていたのだろう。
奏江にしたところで、頭では近づくべきでは無いと考えながら、切り捨てることができなかった。
予兆はあった。
ドロ子がおかしくなっていたことに俺は気付けたはずなのだ。
なのにそれを見逃し、何も無いと思い込むことでドロ子から目を逸らそうとしていた。
走り去るドロ子の背を思い出すと焦燥感に苛まれる。
本当は今すぐ追いかけたい。
家に帰っているのだろうか。それとも、一人で泣いているのだろうか。
落ち着かない。
「わかった話す。つってもそんな込み入った事情は無いわけだが」
実際問題、俺がヤンデレ型アンドロイドを買った。それが奏江に嫉妬して襲いかかった。
字面にしたらそれだけである。
あれ、本当に短い!? しかも完全に俺のせいだこれ!?
思ったより責任の度合いは重そうだった。
いよいよ話すのが億劫になりつつ肩を落とす。ただその前に。
「つーか、お前は何してんの?」
部屋の隅でごそごそしている水萌に声をかけた。
俺が治療を受けている間ずっと、水萌はこちらに背を向けて床にあぐらをかいていた。
美人なのにあぐら……。
なんだろう、悪いわけではないのにこの胸に染みる微妙な残念感は。
「よし映った」
俺の内心の葛藤はどうあれ、水萌は手元を覗き込みながら一度大きく頷いた。
こちらを振り返ると、ちょいちょいと手招きしてくる。
「なんだよ……ってお前!」
近づくと、何をしていたのかはすぐに判明した。
水萌の手には使い物にならなくなったはずのスマホ。それが、一本のコードを伝って奏江邸のコンセントと繋がっていた。
「家主の許可くらい取れ!? でもナイス!」
「え、何、あ、コンセント使ってたの?」
スマホを覗き込む。次いで、奏江も首を傾げながら寄ってきた。
スマホには、暗視スコープでも使ったかような緑色の映像が映し出されていた。
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