第18話 キスは頬に

 予想以上に遅くなってしまった。

 夕暮れ時の駅前を、西に向けてゆっくりと歩く。


 陽芽とのデートは楽しかった。

 俺自身その実感があるため、こんな時間になるまで遊びほうけてしまった。


 別れ際、送っていこうかと尋ねる俺を、陽芽は申し訳ないからと断った。

 断ってから何やら肩を落としていたが、俺もいまいち強く出る理由が無かったため、結局は現地での解散となったのだ。


 今は、俺一人で歩いている。

 向かう先は『針葉樹』だ。

 以前に買って帰ったロールケーキが好評だったため、ドロ子のご機嫌取りも兼ねてお土産にしようと思ったのだ。


 学校がある平日はともかく、流石に休日にまでドロ子を一人にし過ぎたと反省している。

 ロールケーキで機嫌を直してもらおう。そんなことを考え、俺は商店街に向かった。


 元々『針葉樹』は駅を挟んでショッピングセンターの反対側だ。徒歩とはいえそこまでの距離ではない。

 ほどなくして到着し、中に入ろうとしたところで、出て来た女性二人組とすれ違った。

 どこかで見た顔だと思ったのは一瞬だ。


「でも超うけるよね。あの雪が男に振られっとかさ」

「いやーまじ本当だったら面白いわ。ちょっと後でもう一回見にいこうよ」


 振り返る。

 見覚えがあるのは当然だ。顔だけで言うなら毎日のように見ていた。奏江の取り巻きの連中だ。

 二人は俺に気付く様子も無く、針葉樹で買ったらしいケーキ箱を片手に笑いながら歩いて行く。


 今、あいつら何て言ってた?

 奏江が振られた? 誰に?


 嫌な予感が頭をもたげる。まるで隠れていた大蛇が背後から忍び寄ってくるような不快感。

 大体、何故あいつらはあんなに楽しそうなのだろう。話し声はどこか嘲るような響きすら含んでいたように聞こえる。普段はあんなに奏江のことを持ち上げているのに。友達じゃなかったのか?


「お、おい!」


 気付けば、俺は二人を呼び止めていた。


「あ?」

「何?」

「今のどういうことだ?」

「は? 何? つか誰?」

「あーあー、なんか見たことあると思ったら御木じゃん。何、あんたケーキなんか食うの?」

「御木? 誰それ? つか何?」

「あれあれ、なんか同じクラスのやつ。鬣と仲いいやつ」

「なになにうるせえよ。質問に答えろ」


 意味の無い会話にいらいらする。

 焦っていたせいもあって、多少強めの口調になってしまった。


「は、何こいつ?」


 案の定、取り巻きその一が顔をしかめる。

 しかし、取り巻きその二のほうは大して気にも止めなかったようで、顔を邪悪に歪めて身を寄せてくる。


「いや、それがさ聞いてよ御木、ここだけの話なんだけどさ」


 ここだけの話といいつつ、取り巻き二の口は実に軽かった。

 聞いてもいないことまでぺらぺらと喋ってくれる。

 取り巻き一は最初こそ渋っていたものの、すぐに同調してまくし立てる。

 二人の話を総合するとこうだ。


 昼頃、二人は偶然遊園地前を通りがかったらしい。すると、そこで誰かを待っている奏江を発見したという。その時は「なんだよ男とデートかよ死ねよ」とだけ思っていたのらしいのだが、つい先ほど同じ場所で同じように佇む奏江の姿を見て、これはもしかしてと噂していたと言うのだ。


「いやだってさ、何時間経ってると思ってんの。あれ確実にすっぽかされてんね」

「まじそうだったら面白いのにね。あの雪が男に振られるとか。本当、写メ撮ってくればよかった」


 呆然とする。

 奏江がまだ待っている?


 いや、だっておかしいだろう。

 あいつは俺のことなんか何とも思ってないはずで、ただ逃げられるのが気に食わないからと引き留めてきただけじゃないのか。つまり、引き留められないと分かればとっとと見切るだけのはず。


 それがまだ待っている?

 あれから何時間経っていると思っているんだ。陽芽と別れたのが確か一八時頃だったはずだ。奏江との約束は午前十時。およそ八時間ほどが経過している。


 白いものが視界を横切る。

 それはゆらゆらと揺れて、地に落ちて消えた。

 雪だ。


「お前ら楽しそうだな……」

「え? いやだってあの雪がだよ? いっつも自分はもてて当然ですみたいな顔してるのにさ」

「そーそー、態度でわかるもんねー。私は人とはちがうって思ってるの。ほんと何様っていうか」

「友達じゃねえのかよ……」


 体が震える。

 雪は次第に数を増し、ゆっくりとではあるが視界を白く染めていく。


 寒い。

 いつの間にか陽は沈み、この短時間外にいるだけで凍えそうだ。


「雪さー、褒めると色々買ってくれるから便利なんだよねー」

「そうそう、むかつくけど気前はいいよね。ちょーかこれギブアンドテイクっていうんだっけ?」

「うわ、英語使うとかマジ頭良さそうだし」

「あんたが馬鹿すぎんじゃねーの」


 ケラケラと笑う二人組。

 俺は駆け出した。


 気付けば、全力で地を蹴っている。

 背後で取り巻き連中が何か言ったような気がするが耳に入らない。


 とにかく走る。

 遊園地へ。

 頭が混乱して自分でも何をしたいのかよくわからない。


 ただ遊園地へ行かなければならない。

 俺はそれだけを胸に、雪降る商店街を一人駆け抜けていく。



 駅前にある遊園地は、昔、地域活性化のために作られたものだ。

 まだショッピングセンターができる前、何か目玉となる施設が欲しいという市の考えで建設されたと言われている。


 今となっては客足が徐々に遠のき、閉園の噂まで出ているのだが、当時は商店街との相乗効果が見込まれていたのだろう。 

 従って、位置としては商店街の目と鼻の先だ。


 ほとんど時間もかからず、俺は目的地へ到着する。

 人影は少なかった。

 既に営業時間は終わりが近いようで、どこかもの悲しい音楽が流れ始めている。


 奏江の姿は無い。

 視線を周囲に巡らせる。

 親子連れが一組。男性が一人。

 見つかったのはそれだけだ。


「はあ……はあ……」


 今更ながらに自分の息が荒れているのを自覚する。

 そうだよな。

 奏江が俺なんかをいつまでも待っているわけがない。


 きっと、あの二人は何か見間違いをしたのだろう。

 その場に崩れそうになる。


 そうだ、気のせいだ。

 あいつは我が儘で自分のことしか考えて無くて冷血で、俺のことなんか道ばたの石ころほども思っていない酷い奴なんだ。


 入り口まで歩いて行く。

 中を覗こうとしたら「すいません、今日はもう終わりなんですよ」と係の人に注意された。


 仕方なく、近くの壁に背を預ける。

 雪はまだ止む気配が無い。


 どれだけそうしていただろうか。

 すっかり園内の灯りが消え去り、人は完全にいなくなった頃。


「いつまでそこにいるの?」


 声が掛けられた。


「……よう」


 言いたいことは山ほどあったが、満足に言葉が出てこない。

 鼻の頭を赤くして、奏江がバツが悪そうに立っていた。


「ずっと待ってたのか?」

「何のこと? 私今来たところだからわからないんだよね」


 俺と目を合わせないまま、とことこと隣に歩いてきて同じように壁にもたれる。


「本当は来るつもりなかったんだけどね。ほら、御木くんが私との約束真に受けて待ちぼうけしてるかと思ったらおかしくて。こんな時間までいたら笑ってやろうかなってついつい見にきちゃった」

「そりゃ傑作だったな」

「うん、面白かった。馬鹿だよねー。私が御木くんなんかと本気でデートするわけないじゃん。ここに来たのもほんの気まぐれ。だから勘違いしないでね」

「そうか」


 奏江は俺のほうを見ない。

 ただ空を見つめたまま、少しだけ早口に話し続ける。


 外見からは彼女が何を考えているのか読み取れない。

 痛々しさはまるでなく、むしろいつも通りの奏江であるように見える。

 しかし、確実に何かが違っている。


「すまん」


 気がつけば、俺は謝っていた。

 ぴたりと、奏江のお喋りが止まる。

 耳に痛い静寂の後、今にも溶けて消えてしまいそうな声で、


「……うん」


 と呟いた。


「トイレに行ってた」


 いきなり何を言い出したのかと動揺する。


「戻ってきたら御木くんがいた。私はそのまま帰ろうかと思った」


 俺がここに来た時の話だとすぐに気付く。


「だって、そこで顔を出しちゃったら、私はそれまでどうしてたんだーって話になるわけで。そんなのはさ、なんていうか、恥ずかしいしプライドが許さない」

「ああ」

「だから帰ってやろうと思った。けど、ただ帰るのは何だか釈然としなくて。御木くんがやっぱり私は来ていなかったんだって判断して、安心して帰るかと思うとそれも悔しくてさ」

「だから出てきた?」

「御木くんがすごく悲しそうな顔してたからかな。私としてはどうでも良かったんだけど、あんな辛そうにされると流石にね」

「そんな顔してねえだろ」


 嘆息する。

 奏江は俺にとって意味不明な人間だ。

 やること為すこと、全て俺の理解を超えている。


 ただ、一つだけわかったことがある。

 こいつは壊滅的に素直じゃない。


「お前さ、俺のこと好きなの?」


 改めて聞いてみる。


「全然、ていうか私のこと好きなのは御木くんでしょ?」


 お決まりの台詞を返される。

 結局は何もわからない。

 奏江のポーカーフェイスは俺なんかには崩せない。

 だから、俺はゆっくりと壁に預けていた体を起こす。


「帰るか」

「そうだね」


 奏江は俺を責めなかった。泣くこともなければ怒ることもなく、普段通りの表情を変えなかった。

 だからつまり、何も言わないのがきっと正しいのだろう。


 若干、責任逃れのようなことを考えつつ別れの言葉を口にする。


「御木くん!」


 それは本当に意表をつかれた。

 名前を呼ばれ、振り返ると同時に襟首を引っ張られた。

 頬に温かい感触。


「はっ!?」

「あはは、一応デートだからね。記念ってことで」

「おまっ、何言って」

「じゃあ、また明日学校でね」 


 呆然とする俺に手を振って、奏江は慌ただしく去って行く。


「なんなんだ一体」


 本当にあいつはわからない。

 残された俺は、ただ頬を押さえることしかできなかった。

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