第16話 夜の出会い

 取る。


『私』


 切る。

 電話が鳴る。

 取る。


『私』


 切る。

 一体何度繰り返したことだろう。


 もはや悪戯とかそういうレベルを超えている。

 軽く執念を感じる。さすがに少し怖くなってきた。


 本格的に警察へ通報することを検討すべきかも知れない。

 そう考え始めていた時。


 ジリリリ!


 またもや電話が鳴った。

 きりがないな。


 仕方がない。確かに愉快なやつだったが、ものには限度というものがある。

 度が過ぎた行いは誰のためにもよくないのだということをわかってもらわなければならない。


 この電話を切ったら通報しよう。

 俺はそう心に決め、受話器を耳に当てた。


『切らないで』


 意外にも第一声が変わった。

 その切実な声音に、思わず動きが止まってしまう。


『聞いて』

「……話す気になったのか?」


 ドロ子の様子を見る。どうやら待ちくたびれて眠ってしまったようだ。机に顎をのせたまま涎をたらしている。

 こりゃ今日も風呂は無理だな、と思う反面、不思議と怒りは湧いてこない。


 電話口から聞こえてくる声が、今までとは全く違う真剣味を帯びたものだったからだろう。


 切るという選択肢は無くなった。

 少なくとも、こいつが何を言うのかは興味があった。


『今からコアラ公園に来られる?』


 コアラ公園というのは俺の家からほど近い場所にある普通の公園だ。遊具の一にコアラの絵が書いてあることから、地元ではコアラ公園と呼ばれている。


 こいつ、意外と近い場所に住んでるいるのか?

 どちらにせよ、最寄りの公園を指定してきた以上、俺の家の場所はばれていると考えて良さそうだ。

 それ自体は別に構わないのだが、やはり目的がわからない。

 そもそもこの女が誰かすらわかっていないのだ。


「会う必要があるのか?」

『……できれば直接話したい』


 言外に電話で十分じゃないのかという意味を込めたつもりだが、どうやら通じなかったらしい。

 さて、どうしたものかと思案していると。


『アンドロイドの娘にはバレないようにして』


 不意をつかれた。

 今こいつ何て言った?

 アンドロイド? アンドロイドって言ったのか?


 ドロ子のほうを見やる。

 当然他に心当たりは無い。


 しかし、何故こいつがそれを知っている?

 俺はドロ子のことはそれこそ母親にすら話していない。

 極力家から出さないようにしていたし、偶然目撃されたということも無いだろう。

 そもそも、この女から最初に電話があったのはドロ子が届いて二日目だ。あまりにも早すぎる。


「コアラ公園だな」

『うん』

「すぐ行く」


 とにかく行けばわかる。

 俺はドロ子が風邪をひかないように毛布をかけてやると、起こさないようにしてこっそりと家を抜け出した。



 〇



「待たせたな」


 当たり前の話ではあるが、深夜の公園には人気が無く、目的の人物はすぐに見つかった。どうやら先に到着していたようだ。

 まさかこの時間に人違いは無いだろうと思いつつ、恐る恐る声をかけた。


「私も今来たところ」


 ベタな返答は間違いなくあの女の声だ。

 少しだけ安堵する。


「それで話って……」


 近づいて顔を確認し、はっと息を漏らす。

 目の前にいる女の顔があまりにも整っていたからだ。


 神話の中から抜け出してきたのでは無いかと見紛うほどの際立った容姿。暗闇にあってもなお輝きを保つかのような美しさ。

 着ている服がジャージでさえ無ければ完璧だった。


 って、ジャージ?


「お前っ!」


 昼間の女だ。

 間違いない。

 こんな超弩級の美人を見間違うことなどあり得ない。


 馬鹿な。

 予想外のショックが俺を襲う。


「お前だったのか……」


 なんだこの敗北感は。格下だと侮っていた相手が実は自分より上だった時のような衝撃。

 夢であってほしいと思うが、女は冷静に言い放つ。


「私だったのよ」

「本当に……?」

「本当よ」


 がくりと膝をつく。

 なんてことだ。神は実に残酷だ。


 性格さえ知らなければ、俺もこんな美人と縁ができたことを喜んだかも知れないが、中身があれでは残念な気持ちしか湧いてこない。


「どうしたの、急に跪いたりして。騎士にしてほしいの?」

「意味がわかんねえよ……」


 まともに突っ込む気にもならない。

 とにかく切り替えよう。

 別に相手が絶世美人だったところで俺のやることは変わらない。


「で、お前の名前は?」

あかつき水萌みなも


 素直に答えられて拍子抜けする。

 またなんだかんだと誤魔化されるかもと疑っていたのだが、どうやら真面目に応対する気があるようだ。


「ちゃんと名前あったんだな」

「貴方は御木御琴ね」

「ああ」


 当然こっちの名前は知っていると。


「で、何を聞かせてくれるって?」


 こちらとしては聞きたいことは山ほどある。何を話すつもりかは知らないが、最低限何故俺に電話してくるのかということと、ドロ子を知っている理由は問いたださなければならない。

 意気込む俺に、水萌と名乗った女は横目を向けて。


「暁って名前に聞き覚えない?」

「暁? 知らないな」

「正確には見覚え、というべきかも」

「いや……言葉を変えたところで知らんものは知らん」


 というか、こいつはさっきから何をしているのだろうか。

 水萌は俺がこちらに来てからずっと、右手にスマートフォンのようなものを持っていた。

 話している間も、ちらちらと画面を見ていて落ち着かない。


「時間、後でちょっと用事があるの」


 目線から察したのか、水萌が俺の視界から遠ざける。


「それはいいけど、話に集中してほしいもんだな」

「してる」

「そうは見えないけどな」

「暁悟って名前に見覚えは?」


 話を逸らすなよ。

 いや、むしろこちらが本題なのか。


「知らな――」


 い、と言いかけて、ふと頭の片隅に引っかかるものがあった。

 暁悟。

 確か、ドロ子を創った会社の社長か何かがそんな名前では無かったか。

 そうそう、前書きに書いてあったドロイカンパニーとかいうパチモンくさい会社だ。


「思い出した?」

「ああ、だけど暁?」


 こいつは自分を暁水萌と名乗った。

「つまりお前は暁悟の?」

「娘」

「まじか」


 成る程。それなら色々得心がいく。

 家の住所や電話番号、氏名を知っているのはドロ子を購入した時に俺自身が打ち込んだ内容だからだ。当然配達に際し相手に伝わっているはずである。


 ドロ子にしても存在が知られていて当たり前。

 なんせ相手が俺にアンドロイドを売りつけた張本人なのだから。いや、正確にはその娘、か。どちらにせよ、情報を入手できる立場ではあっただろう。


「で、その娘が何で俺に悪戯電話を?」

「悪戯じゃない」

「嘘付けや!」


 何度思い出しても悪戯以外の意味があったとは思えない。


「心配だったの」

「あん?」

「お父さんが作った商品がちゃんと可愛がってもらえているかどうか心配だったの。だから巧みな話術で状況を聞き出そうとした」

「誰の話術が巧みだって?」


 こればっかりは突っ込まざるを得ない。


「私」

「本気で言ってるならお前やっぱアホだわ」


 こいつとドロ子の話なんて一度もした覚えが無いぞ。

 言っていることが本当だとするなら、全く役に立たない話術だった。第一それならそうと最初から言えばいいのに、名前まで隠していた意味はあったのだろうか。


「お前さ」


 一言注意してやろうとして「あっ」という水萌の声に遮られた。


「いけない」


 水萌はスマホに目をやると、慌ててポケットに突っ込んだ。


「また電話する」


 そのまま駆け出していく。


「お、おい!」

「電話ちゃんと取ってね」


 去り際に一言だけ呟いて、その姿は闇の中に消えていった。


「なんなんだ……」


 後には、呆然とする俺だけが残される。

 慌ただしい奴だ。そんなにスケジュールがきついならこんな時間に呼び出さなければいいのに。


 まあ、単なる悪戯じゃないことがわかっってひとまずは安心した。

 また電話があるかと思うと少しだけうんざりするが、事情がわかっている分、次はマシな会話もできるだろう。

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