第14話 誘いと尾行

 逆に遠慮しなくてもいい相手もいたことを思い出す。


「おはよう、御木くん」


 陽芽を見送った直後、後ろから肩を叩かれた。

 確認するまでもなく、相手は奏江だ。


「…………」


 努めて相手をしないようにしながら教室に向かう。


「あれ? へー、ほー、ふーん、そういう態度とっちゃうんだ」


 無視だ無視。

 どうせ奏江の口からろくな言葉は出ない。神経を無駄にすり減らすだけだ。


「御木くーん」


 無視無視。


「あの子と一緒に登校してるんだね」


 不覚にも振り向いてしまった。

 すぐに後悔するもののもう遅い。

 してやったりと笑う奏江と目が合う。


「昨日は彼女じゃないなんて言ってたのにな。ひょっとして照れてたの? あ、わかった。これから二人の距離を詰めようって段階だから邪魔されたくなかったとか?」

「何の用だよ」


 どうしても苛立つ気持ちを抑えられない。

 からかい混じりの声音が神経を逆なでする。


 自分を好きでいろ、なんて言ってたくせに、何故わざわざ俺と陽芽をはやし立てる必要があるのか。

 俺には奏江がわからない。


「別に用は無いよ。ただ、ちょっと御木くんと仲良くなりたいな、と思って」

「俺はなりたくねえ」


 俺にしてはきついことを言ったつもりだが、奏江はまるで堪えないのか「冷たいなー」と苦笑するだけだ。


 心持ち歩調を早くする。

 一刻も早く教室に入りたい。

 階段を一段飛ばしで上っていく。


「ねえ御木くん」

「なんだよ」

「デートしようか」


 ずるりと、段を踏み外した。

 危うく倒れそうになるが、かろうじて体勢を保つ。


「なっ!」


 奏江の顔を見る。本気か冗談かの判断がつかない。

 こいつはこんなに意味不明な人間だったのか。


 いつも遠巻きに見るばかりで、親しく話したことなど一度も無かった。精々がクラスの用事で二、三言葉を交わす程度だ。

 本当に俺は奏江のことなど何も知らなかったのだと思い知る。


「ふざけんな」


 読めない以上、自分で勝手に判断するしかない。

 今までの流れから、からかわれているのだと決めつけ階段を踏みつける。


「あ、ひどいな。せっかく彼女さんといるときは声を掛けないであげたのに」


 再度、俺の足が止まる。


「……見てたのか?」

「ずっとね。何かすごいラブラブっぽかったから割り込めなくて。でもちょっとだけ妬けたから責任とってほしいな」

「お前な……」


 どこまで本気なのかわからない。

 仮にデートをしたとして、こいつに何か得でもあるのだろうか。


 すっぽかして笑う?

 いや、昨日のこいつの言葉には嘘では出せない迫力があった。だとすれば、これ以上俺に嫌われるようなことを積極的にするとも思えない。


「お前、俺のこと好きなのか?」

「ううん、全然」


 じゃあなんなんだよ!


 怒鳴りそうになるのを抑えて頭をがしがしと掻く。

 これ以上話していても時間の無駄だ。

 わかっていたことだが、改めて確認できた。こいつといても良いことは何も無い。


「駅前に遊園地あるよね、大きな観覧車が目印のやつ。日曜十時にあそこの入り口前でどう?」

「俺は行かない」

「うん、じゃあ私一人で待ってるね」


 勝手な台詞を言い残し、奏江は俺を追い越して教室に入っていく。その後ろ姿からはもう俺と先ほどまで話していたことなど微塵も感じさせない。


「あ、雪ー。おはよー。今日もハイパーウルトラミラクル超絶世美人だねー」

「ほんと、ほんと、眩しいわー。後光でも射してる系で眩しいわー。もしかして仏の生まれ変わりとかなんじゃね?」

「もう、やめてよ二人とも、おはよー」


 いつも通りの学園のアイドルがそこにいた。



 〇



 さて、放課後。

 今日は陽芽との約束もなく、本来であればドロ子にロールケーキを買って帰ってそれで終わるはずだったのだが。


 何故か俺は下足箱の影に隠れていた。

 周囲では、ようやく校舎という名の牢獄から解放された学生達が、思い思いに談笑しながら帰途についている。


 そんな連中に目を走らせながら、俺は巨大な筋肉質の男、鬣と身を寄せ合うようにして体を縮こまらせていた。


「来たぞ」


 鬣が鋭く呟く。

 目線の先には一人の美少女の姿。

 陽芽だ。


「……そうだな」

 緊張する鬣に反し、俺は気のない返事をすることしかできない。


 事の起こりは単純だ。

 今朝、俺は席につくなり鬣に「ちょっといいか」と相談を持ちかけられたのだ。


 その時、俺は鬣に対して精神的に優位に立ったつもりでいた。

 こいつ、本当は俺のこと大好きなんだよな、なんて思いながら肩を震わせていた記憶がある。

 次の言葉を聞く瞬間までは。


「俺の妹の相手だけどな。名前をミッキーとか言うらしい。覚えがあるか?」


 さあ、もうお分かりだろう。

 当然知らないと誤魔化す俺に対し、鬣は協力を打診。

 後ろめたさから断れない俺は、哀れ探偵の真似事をする羽目になりましたとさ。

 めでたしめでたし。

 いや、めでたくねえよ。


「……今日は待ち合わせはしてねえのか?」


 昨日と違い、陽芽は迷いの無い動作で靴を履き替えると、ため息を一つ吐いて校外へと歩いていく。


「そ、そうじゃないか? まあそのミッキーとかいうのが仮にいたとしても、まだ付き合うとかそういったところまでいってない可能性が高いんじゃないかな。うん。毎日一緒に登下校しているとまでは考えにくい」

「登下校? そういえば、今朝は途中で別の方向に逸れて行ってたな。本人は忘れ物だとか何とか言ってたが。そうか、登校か」


 やぶ蛇だった。


「となると、今も別の場所で待ち合わせている可能性があるな。行くぞ御木」

「……おう」


 俺からすれば約束が無いのはわかりきっているのだが、鬣にそれを知らせるわけにもいかない。


 というか、これ俺必要か?

 尾行するだけなら鬣一人で十分な気もするが。


「俺は顔が割れてるからな。見つかった場合は後をお前に頼むしかない」


 尋ねてみると、納得いくような、いかないようなお言葉をいただいた。

 実のところ俺の顔も思いっきり割れているのだが、鬣の中では陽芽と俺の面識は無いことになっているのだろう。


 更にもう一つの理由として「俺が暴走した場合、止める奴がいねえとミッキーがどうなるかわからねえからな」と血の気が引くようなことを教えてくれた。


「頼むわ」


 気の弱い子供ならショック死するほどの表情で頼まれ、断ることはできなかった。

 陽芽はとぼとぼと一定のペースで進んでいく。


 それを俺達二人は電柱やら民家の影に隠れながら追跡する。

 完全に不審者丸出しだ。

 周囲にいる学生さんやらの視線が痛い。

 いつ通報されるのかと戦々恐々とする。


「どう思う、御木?」

「すごい恥ずかしい」

「あ?」


 何わけのわからないことを言ってるんだお前は、と睨まれる。

 どうやらこの男には羞恥心がないらいしい。それとも陽芽のことで前後不覚に陥っているだけか?


「そうじゃねえ、よく見ろ。陽芽のことだ。どうも元気がないと思わねえか?」


 言われ、改めて陽芽の様子を観察する。

 まあ確かに元気はない。

 心なしか肩は落ちているし、歩調も何だか遅い気がする。

 かと思えば、急にぶるぶると首を横に振り「よしっ」と可愛らしくガッツポーズを取っている。


「……挙動不審ではあるな」

「だろ?」


 陽芽はいつもあんな調子な気もするが。


「俺が予想するに、陽芽とミッキーは本当は今日も一緒に帰る約束があった。それをミッキーとかいうクソ野郎が一方的に破棄した。陽芽の純真な心を弄んで楽しんでやがるんだろう」


 ミッキー悪い奴だな。

 鬣の拳がミシミシとあり得ない音を立てている。怖いからそれやめてください。


「ま、まて鬣、こうは考えられないか。ミッキーのほうにも事情があった。本当は陽芽と一緒に帰りたかったが、どうしても外せない用事があったとか――」

「そんなもんはねえ!」


 えええええええっ!?


「陽芽より大切な用事なんてあるわけねえだろうが!」

「だ、だよね、あははは」


 キャラ崩壊しすぎだろう鬣。

 クールで大物然としたお前はどこに行ったんだ。

 頼むから早く帰ってこい。お前の大好きな俺がピンチだぞ。


「ミッキーとかいう野郎が誰かはわからず仕舞いか」


 結局、三十分近くに渡り繰り広げられた尾行劇は、陽芽が自宅に直帰しそうだという理由で終わりを告げた。


 陽芽は途中、近所の犬と戯れたり、何もないところでこけかけたりしていたが、概ね平穏に事は済んだ。

 まあ問題の俺がここにいる以上、何も起こりようがないわけだが。


「俺が思うに鬣よ、ミッキーというあだ名は本名に関係ない可能性が高いな」


 安心ついでに、俺はミッキー像をあらぬ方角へ誘導しておくことにした。


「なに?」

「考えても見ろ。ミキモト、ミキヒサ、ミキタロウ、どんな名前かは知らないが、名前にミキがあるからと安易にミッキーというあだ名をつけるだろうか?」

「つけるんじゃねえか?」

「ばか! ばか! おたんこなす!」


 お前は何もわかっちゃいない!


「いいか鬣。名は体を現すと言う。つまり、あだ名とは外見に由来することが多いものなのだ。つまり、ミッキーというあだ名から予想されるのは、こう、あれだ、もっと何というか、ミッキーっぽい見た目なのだ」

「そんなもんか? っていうかミッキーっぽいって何だ?」

「それはお前あれだ……その……こう……そんなことは自分で考えろ!」

「お、おう」


 俺の迫力に珍しく鬣が折れる。

 普通なら一笑に付されるところだが、どうやら、友達がいない鬣はあだ名の付け方などわかっていないらしい。

 かくいう俺もよく理解できていないのだが、まあ適当に言っているだけなので実のところなどどうでもいい。


 うん、別に知りたいとも思わない。本当に。


 ふと、何気なく後ろを向いた時だった。

 美人さんと目が合った。

 一瞬、息をするのも忘れて見惚れてしまう。それほどの容貌だ。


 顔の造形だけで言えば間違いなく俺が生きてきた中で一番だと断言できる。ドロ子や、陽芽、奏江なども可愛さでいえば負けてはいないが、この女性には一種、他を圧倒するような輝きがあった。


 それはまるで神が創った美術品のように。

 ウェーブがかった腰まである長髪は、一房切り落とせば金と同等になるのではないが。

 そんな益体も無い想像をしてしまったほどだ。


 彼女こそ、神が地上に使わした天使だといわれれば、俺は迷わずそれを信じただろう。

 ただ一点。

 ……彼女が来ているのが野暮ったいブルーのジャージでさえ無ければ。


「台無し過ぎる……」


 げんなりする。

 なんだろう、この本当なら良いものを見たはずなのに無駄に損したような気分は。

 観光旅行に行って、有名な滝壺を覗き込んだら土左衛門が浮いていたとか何かそんな台無し感。


 いや、まあこれはこれで可愛いらしいのかも知れない。

 少なくとも、彼女の美しさを覆い隠すほどで無いのは確かだ。

 彼女は俺に視線を合わせたまま横を通り過ぎて――。


「変な顔」


 とだけ呟き去っていた。


「…………あ?」


 なんだって?

 鬣を見る。

 首を振られた。

 どうやら鬣のことを言ったわけではないらしい。


 ……俺?


 そりゃ馬鹿みたいに見とれていたが、当の本人からそんな直球な指摘をいただけるとは。

 ものすごく落ち込んだ。

 美人の言葉には殺傷力がある。

 

 しかし今の声、どこかで聞いたことがあるような?

 小さな疑問は、美人に罵られたショックでいつの間にか忘れていた。

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